【037】楽しんでるから許してね
たしかこのあたりだったはずだ、と思いながら川辺を探す。昨日、営業先へ向かう途中、マフラーに引っかけてピアスを橋から落としてしまったのだ。川辺は草が茂っていて、泥と水のあわさった生臭いようなニオイがする。川の中には落ちちゃっていないと思うんだけど……と少し恨めしい気持ちで川を眺める。
あのピアス、気に入っていたのに。あれは、永遠の愛を誓った男からもらったものだった。愛は永遠どころか、ほんの半年ももたずに終わってしまったけれど、ピアスのかわいさは永遠のはずだった。形あるものはすべていつか壊れるということか。
「愛なんて形もないくせに壊れたじゃないか」
もう寒いから探すのは諦めようか。川を眺めていると水面がぬらぬらと揺れて鯉が集まってくる。パンくずでももらえると思っているのだろうか。ほしいものに正直で、まっすぐ向かってこられる情熱が羨ましいよ君たち。大きな口をバフバフさせながら泳ぐ鯉を眺めていると、細い竹のようなものが水面から突き出ているのを見つけた。ニンジャのすいとんの術みたい、と思って竹の先を指でふさぐ。微かに指に圧力を感じる。本当にニンジャがいたら、私ニンジャを溺死させてしまうわ、と思って笑おうとしたとき、ザバリと音をたてて何者かが水中から現れた。それはニンジャではなく、河童だった。緑色で、頭に皿があって、背中に甲羅がある、想像の通りの姿だ。子供の頃に未確認飛行物体は見たことがあったけれど、河童は初めて見る。どうしよう。河童のくせに肺呼吸だったんだ。
「肺呼吸だってこと、誰にも言わないから」
私は、試しにそう言ってみた。すると河童は、私のほうへ指を向け、念力のようなものを出した。攻撃されるのかもしれない、と思って私は身構えた。河童の攻撃って何だっけ。溺れさせられるのだったか。それなら、すいとんの術をふさいだ私の自業自得だわ。しかし、河童は攻撃してくることはなく、私の目の前に虹色の万年筆が出現した。
「ええ?」
河童を見ると、万年筆を握って文字を書くようなジェスチャーをする。
「あの、私が探していたのは万年筆じゃなくてピアスなんですけど」
日本語が通じないのかもしれない。
「えすぱふなやしこやーぃや」
唯一できるギリシャ語で話しかけてみるが、通じない。しかたなく、私は万年筆を握って宙に「ピアス」と書いた。文字なら読めるかもしれない。私が書いた「ピアス」の文字は、虹色のインクを宙に放ち、それは輝きながら丸まって、私の落としたピアスになった。
「すごい。何この万年筆!」
驚いた。河童にこんな能力があるなんて知らなかった。念力で不思議な万年筆を出現させる河童。
「ありがとう」
河童にお礼を言おうとすると、もうそこには誰もいなかった。私は、残された虹色の万年筆を握ったまま、狐につままれたような気持ちになっていた。実際は河童につままれたのだけれど。なんだったんだろう。過去に河童に恩返しされるようなことでもしたかなと考えたけれど、思い当たらない。万年筆で宙に「きゅうり」と書いたら、虹色の文字はうねりながら伸びて、つやつやの太いきゅうりが出現した。
「ありがとう!」
さっきより少し大きな声を出して、きゅうりを川に放った。きゅうりは放物線を描いて、たぷんと川に落ちた。鯉の群れがきゅうりにむらがる。君たち、何でも食べるのね。
私は、なくさないようにピアスをポケットにしまった。なんだかお腹がすいた。虹色の万年筆で宙に「鍋焼きうどん」と書いたら、虹色の文字はふつふつと熱されて、熱々の鍋焼きうどんになった。ご丁寧に箸までついている。私は川辺にずっといたからすっかり体が冷えていた。その場に座って、熱々の鍋焼きうどんをすする。うまい。ちょっと変なニオイがする川辺で食べても、うまいものはうまい。やっぱりあったかい食べ物は人間を元気にするよね、と思って空を見上げたら、橋の欄干を黒猫が横切った。冬の寒空を、ジッパーを開けるみたいに裂いて、中から夕闇が零れ落ちてきた。それはまるで
私はパソコンの入力をやめる。執筆のおとも、日本酒をひとくちクイッといく。
「どうしよう。板野さんの匿名コンに出す作品書いてるんだけど」
「何それ、楽しそう」
キッチンでつまみを作っている妻に話しかける。
「お題を網羅しようとしたら支離滅裂になっちゃって」
妻が画面をのぞく。
「確かに、ちょっと意味わかんないわね」
「だよねえ」
「でも、楽しんでいるのは伝わるわよ」
「そーお? 楽しいのは、楽しいんだよ、すっげえ」
「ふふふ。なら、いいんじゃない? 楽しんでるから許してね、ってことで」
「ははは。そっか。そうだね」
楽しんでいるなら許してもらえるかもしれない。私は、まだクリアしていないお題を数えて、にやりと笑った。
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(本文の文字数:1,929字)
「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「日本酒」「未確認飛行物体」《叙述トリックの使用》「念力」「万年筆」「ピアス」)
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