異常に愛してくる彼女がメンヘラなんだが

日端記一

第1話

 静かに冬はやって来るものだ。僕はその時季に空中を雪が舞うのを見るとそういうものなのだと感じる。


 雪が降ると人は何を連想するだろうか。道路に積もって大変だとか、綺麗で幻想的なものの象徴だとか、ゲレンデの映像だとか、そういう事柄だろうか。


 僕の場合、雪の一粒一粒を見ていると悲しくなる。どこかに行ってしまいたいのに今日も、今年もどこかに去ることが出来なかった。僕はここから居なくなるべき人間なのだ。自分の住む家から、この空虚な町並みの雪国から。


 僕はここ最近、ある不安な出来事に悩まされている。僕が生んだ罪から逃げたいと思っている。


 僕は正真正銘罪人ではない。罪の意識があるといえばそうかもしれないが、それだけで逃げたい気持ちになっているわけではない。また才能に溢れていたり特殊な技術を持った人間というわけでもない。丸い鼻と大きな目で、顔の印象が濃いタイプの顔で、過激な言動もしない一般的な、平凡な習慣に則って生活する平均的な中身の大学生だ。ただ、話し上手で綺麗な目をしているという理由で、他人からはあまり嫌われたりはせず、異性との関係も含めて人に好かれやすいということが挙げられる特徴だ。


 なぜ僕が家から、村から出たいと思うか。それはこの村で、小さな頃に友人が死んだ事件に自責の念があり、それが普通の場合とは違った形で思い出されるからだ。


 その情念は思い出される度に形や大きさや硬度を変えて僕を突き刺したり圧し潰そうとしたりしてきた。それが思い出される周期は計算もされていなければ頻度だとか圧力や鋭さも考えられておらず、とにかく僕を容赦なく攻撃しようとするものだった。


 大学二年生の十二月末になるまで、僕はその事を忘れていた。そしてその人に対する恋の情熱の猛烈さもすっかりと消失していた。僕は人生で最も愛らしいとされる初恋という事柄を、相手の死という結末でむかえていた事を思い出し、その恋の気持ちのやり場すら考えてやれていなかった。


 僕が彼女の死を思い出したのは年末の大掃除をしていて、昔のアルバムを引っ張りだして覗き込んでいた時だった。


 自分の家の塀の前で撮った写真で、僕の両親と兄と僕と一緒に、一人の女の子が居たのだ。それが小学二年まで恋をしていた京子という女の子だった。彼女は狐みたいに細くて尖った目をしている女の子で、僕とは仲が良く、お遊びで将来結婚するという話をしたこともあった。


 だが彼女は雪が降り積もる冬の日に川で溺れ死んでしまった。警察が遺体を発見したときは既に何時間も経っていた。そしてそれは事故死という事になった。


 その日彼女がなぜ川に落ち、普段通らない川沿いを歩いていたのかは誰にも分からなかった。


 僕はその時代のことを断片的にではあるが一挙に思い出した。


 僕は彼女が死んだ事に色々な理由を付けたり、大きな事件の始まりであるとか、彼女はまだ死んではいないのではないかとか、様々な推理をして仮説を立て、しまいには彼女が死んだ理由まで考えだして、僕が好きだったからだとかいう奇妙な結論まであげたのも思い出した。その意味不明な結論を思い出したことに僕はちょっと笑ってしまったのだが、すぐに彼女の死に重きをのせて思案してみると、そう笑えた話ではなかったし、彼女は子供なりに大切な友達だった。


 そして感慨深くその写真を眺め、ふと裏側をめくってみると彼女の家の電話番号が書いてあるのを発見した。


 僕は正月が明けたら彼女の墓参りをしようと思い、掃除と整頓をし終わってスルメを噛み、ビールをあけ、酔いの力も使って恐る恐る彼女の家へと連絡した。


 はい、もしもし、といくらか聞き知った彼女の母親の声が電話から聞こえた。僕はその声を懐かしく、そしてどこか嬉しく思いつつ、今更ながら彼女へのお悔やみと挨拶を告げ、正月が明けたら彼女の見舞いをしたいのですが、お墓かお寺の場所を教えていただけませんか、と伝えた。正直に言って、本当にこのような面倒事に僕が彼女の事を慈しんで哀れんだのかを冷静に考えると、それが真剣な気持ちだったとしても正しい事なのか悪質な事なのかは分からない。彼女の家族からしたら、今頃そのような事を言われても、と考えるタイプの人間である可能性の方が圧倒的に高い。だがおばさんはイイですよ、と言って、雪が溶ける五月あたりにしましょうという話になった。時期が遅くなるのはどうでもよかった。彼女に一言挨拶すべきという気持ちは本物なのだから。



 僕は彼女との思い出を頭に浮かべてニコニコしつつ、久しぶりに手にとったマンガ本を読み、彼女が生きていたら恋人になっていたかもな、と本気で思った。僕は写真を見ながら彼女が理想の女の子であった事を思い、そして夢想し、彼女が死んだことに淋しさと空しさが胸に迫り来るのを感じた。そして他人の墓参りのときに生じる暗い風景を想像して少し緊張した。同時に、死という存在がどういうものか測りかねていたし、世の他の人にとっても正体不明の概念だろうなと考えた。それをアルコールでぼうっとした頭で傍観している心持ちになっていった。僕は酔っぱらった状態のまま大晦日の夜を家のソファの上でテレビを付けたまま少し眠った。夢の中で僕と同じくらいの年に成長した彼女と、広い綺麗な草原で会う夢を見た。彼女は容姿端麗になっており、目も大きく丸くなっていた。セミロングになった髪が草原の風になびき、僕はその草の爽やかな匂いを嗅ぎ、彼女に再会出来たことを喜んだ。そういう設定の内容の夢だった。



 夢には違いなかったがかなり心地よく美しい夢で、起きてすぐの時はこれは啓示なのではないかと大げさに受け取ってしまったくらいだった。僕はソファの固い寝苦しさのため一時間ほど眠っただけだった。テレビには新年を盛大に喜んでお祭り騒ぎの人たちの録画されたシーンが再放送されて映っていた。

「こういう映像を観るとき、どのような心情になればいいか分からない」


 と、独り言のように兄に言った。兄はドリップ式のコーヒー豆にお湯をいれて芳醇な香りをさせながら、どうでもよさそうに、そうだな、と眠たげに短く答えた。兄は厳しそうな鋭く長く太い眉をし、それに見合うように目が鋭かった。角張った顔の輪郭をし、堅実で頑固な男のように見える。


「昌平は就活どうしてる。どこ方面にいくの?」


 僕は兄に訊いた。兄はうーんと犬か小動物の何かが唸るような声を出し、曖昧に、そのうちな、とその場を濁したよく分からない返事をした。


 兄の他の同学年生はどんどん職場が決まっているのに、彼は未だに会社の内定をもらえておらず、それでも少しも焦っている風には見えなかった。その神経が羨ましいのだか、一人の兄として軽蔑すべきことなのかは自分でもいまいち分からなかった。ただその図太さは尊敬するべき価値のある人間であるならば僕だって一部分として認めざるを得ないだろう。もちろん世間から尊敬されるような偉大な人物では未だないが。



 五月になり、暦の上での初夏が始まった頃、僕は京子のお母さんの電話が来たことで墓参りをするのだという案件を思い出し、今週の日曜日でいいかしら、という丁寧な口調をよそよそしいな、と感じながら、その日でいいです、と承諾した。

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