イラスト

終業式から帰って、夕方までスマホをいじっていたら、お母さんが帰ってきた。


「通知表見せて」


と言ってきた。中学生になって初めての通知表にお母さんは楽しみにしていたようで、今朝学校へ行くときも、通知表なくさずちゃんと持って帰ってくるのよと念を押された。

なくすわけないだろと言いかけたけど、口喧嘩をするつもりもなかったから、適当にあーいと返事しておいた。


通知表をわたす。正直なところあまり見せたくない。思ってたより成績は良くなかった。国語と音楽と美術は四だったから満足してるけど、数学とか英語とか大事だと言われてた科目はそんなにだった。自分では結構自信があったんだけど、先生から受け取った通知表を開いて少しがっかりした。


お母さんに手渡す瞬間、通知表をつまむ僕の指に力が入った。お母さんはぎゅっと引き抜いて、まじまじと眺めた。


「はあ……悪いとは思わないけど、もうちょっと頑張れそうよねえ」


お母さんの言葉を無視して、台所の冷蔵庫から牛乳を取り出す。


「自分としてはどうなの?」


僕はすまし込んで、コップに牛乳を注いだ。


「まあまあかな」

「まあまあってはっきりしない人ねえ。成績悪かったら塾行くのだってあるのよ」

「それは嫌だ」

「じゃあちゃんと勉強しなさい」

「言われなくてもわかってるよ」

「本当かしらねえ……」


鬱陶しくなってきてこれ以上相手しないことにした。コップにたっぷり注いだ牛乳を一気に飲み干そうとする。でも半分くらい飲んだところで苦しくなって、一息つける。コップの飲み口から粘り気のある牛乳が汚くだらだらと垂れている。


いっつもこうだ。別に勉強してないわけじゃないし、言われなくたって宿題はちゃんとやっている。それなのにお母さんはいつも僕の気持ちを先回りして、余計な注意をしてくる。そのせいでやろうと思っていたこともやる気がなくなるんだ。


お母さんは通知表を机に置いてから、忙しそうに鞄やら財布やらスマホやらを定位置にしまいだした。


「これから勉強難しくなっていくから頑張るのよ」

「別につまずいてるわけじゃないもん」

「あらそうなの、ならいいけど。あ、そういえば福井君絵のコンクールで賞取ったんだってねえ。聞いたわよ。すごいわねえ何かに打ち込めるのは」

「……さあ知らない」

「あなたももう少し負けん気があればねえ」

それを言われてカチンときた。

「お母さん、うるさい」

「あら、いいじゃない。福井君と仲いいの?」


福井のことなんか、どうだっていいだろ。みんなあいつを褒めそやして、なんだか馬鹿みたいだ。僕はむきになって言った。


「僕もイラストやるもん」


お母さんは驚いた顔になって「あら、じゃあ頑張ってね」とだけ告げてリビングから出ていった。


小学生の頃に誕生日プレゼントとして買ってもらった二十四色の色鉛筆セットを、机の引き出しから取り出す。久しぶりだから、その上にはハサミやテープやのり、ボールペンなどが積み重なっている。それらをかき分けて、一番下にある色鉛筆セットをガシャガシャ引っ張り出した。


実は僕もむかしはアニメや漫画のキャラを描くのが好きだった。小学校四年生くらいまでは鉛筆で描いたものをお父さんとお母さんに見せて、褒めてもらっていた。おばあちゃんの家に行った時も、お父さんとお母さんがふたりして僕の絵を自慢しているのが、とても嬉しかった。


あるとき、色を付けたらもっといいだろうとお父さんが教えてくれて、それで誕生日にこの二十四色もある色鉛筆セットを買ってくれた。

買ってもらったはいいものの、カラフルな色鉛筆が整然と並んだその状態が惜しくて、あまり使うことができずにしまったままにしていた。そういえば、それ以来あまり絵を描かなくなったんだった。


蓋を開くと色とりどりの鉛筆が長いまま並んで、新品みたいだった。それでも赤色と銀色だけは少し使った跡がある。赤色はおぼえてないけど、銀色はきれいだなと思って試しに描いてみたのを思い出した。


本棚から漫画を一冊抜きだす。どのシーンのキャラを描こうかなと、ぱらぱらページをめくっていると、主人公が森のなか、向かい風に杖を掲げて歩くシーンで手が止まる。


かっこいいと思った。複雑なポーズをしていないし、背景を無視して主人公だけだったらすぐ写せそうで、さっそく描いてみる。

黒鉛筆でまず全体の形をとっていき、そのあと目や髪など細部を丁寧に描いていく。二十分ぐらいでできた。


次に色鉛筆で塗っていく。漫画は白黒で描かれているから、どう色付けするかは自分のセンスだ。この漫画の主人公は異世界に転生して強い魔術を手にするけど、現世でのトラウマに囚われて自信を持てないままでいる。だけど出会った少女とともに旅をすることで、彼女を守るため、強くたくましい人間へと成長していくお話だ。


肌をうすだいだい色で、服を灰色で、杖を木の色で、どれもそんなに迷うことなく誰でも思い浮かびそうな色に塗りつぶして、あとは頭髪だけが残った。普通に黒色にしてしまうのもありだけど、せっかくだからなにか自分らしい絵にしたいなと、ケースに並べられた二十四色の鉛筆を見比べる。派手にかっこよく決めようと、主人公の髪を金色に塗った。


できた。


立ち上がって完成した絵を眺める。うーん、思ってたのとなんか違う。どうしてだろう。線画は悪くなかったし、かっこいい主人公のポーズに金髪が似合うんじゃないかと考えたけど、いざ出来上がってみるとほかの部分より目立ちすぎてる気がする。僕は、大学生になった親戚のお兄ちゃんを思い出した。大学デビューとか言って突然金髪になって、自慢してきたんだ。その姿が自分の絵に重なって、なんだか急にかっこ悪く見えてきた。


漫画の絵はこんなにかっこいいのに、僕の絵は大学デビューしたださい男の人みたいだ。


「うーん」と唸って、福井の絵を思いだした。少女がリンゴを採っているシーンを描いた作品だった。うっそうと茂るリンゴ畑で、少女のつかみ取るリンゴの艶が美しくて、悔しいけど見惚れてしまった。


僕の絵も背景があればもっとましになるのかなあ。そう思って漫画どおり森の木や道草などを描いてみた。だけど複雑にいりまじったそれらを正しく模写するのは、想像以上に難しくて、途中でこんなことやってられないと投げ出してしまった。


僕は椅子にもたれかかり、ため息をついて机上のイラストを見つめた。涼しいなと感じて時計を見たら、もう夕方だった。暑くて開けっ放しにしていた窓から風が流れ込み、ひらひらとイラスト用紙を床に落とす。まばらに描かれた木々が、寂しく主人公の後ろで中途半端に枝をのばしていた。

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