第11話

 蝉時雨だった。

 普段であれば鬱陶しいと感じる蝉の声も、いまは音をかき消すのにちょうど良い存在に思えた。


 窓はすべて閉まっていた。エアコンはついているが、その冷風を感じていないかのように男は全身から滝のような汗を流していた。

 背中には観音菩薩、胸のあたりに左右対になる仁王、そして腹にはなぜかブルドッグの刺青をいれたスキンヘッドの中年男は、だらしない身体を投げ出すように革張りのソファーへと座らされている。


 この辺で有名な広域暴力団組織の幹部。それが男の肩書きであり、その名前を聞けば震え上がる人間もいるという話だったが、そんなものは深津の前では何の役にも立たなかった。


 ボディーガードを務めているジャージ姿の男は玄関の脇でうずくまったまま動かないし、ベッドサイドの引き出しに隠してあるリボルバー式拳銃はすでに撃てない状態となっている。男が拳銃を撃つことができない理由。それは、男の指はもう引き金を引くことができない状態となっているからだ。


 金さえ積めば、どんな仕事でも引き受ける業者がいる。相手が女であろうと、子供であろうと、容赦なく手に掛ける。命乞いをするのと一緒に、そんな話を深津に聞かせたのは、この男だった。


「う、嘘じゃない。本当だって」


 普段であれば強面こわもてで通っているであろう男も、いまは泣きべそをかきながら必死に喋っている。どうやら、喋れば助けてもらえると勘違いしているようだ。

 深津は男の勝手な思い込みを否定せず、すべてを話させていた。


「信じてくれよ。本当なんだから」

「そんな話をどこで聞いたんだ」

「どこって……う、噂だよ、噂。みんな知ってるぜ」

「そうか。みんな知っているのか。でも、俺は知らないな」


 そういって深津は男の腕をぎゅっと掴むと、男は悲鳴に近い叫び声をあげる。

 男の腕の骨が折れていることは確かだった。その証拠に通常ではありえない角度に曲がっているし、赤黒く変色してパンパンに腫れ上がってきている。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って。思い出した、思い出したよ。連絡方法があるんだ。そいつに連絡をしたければ……」


 男は唾を飛ばしながら捲し立てるように、金さえ積めばどんな仕事でも引き受ける奴への連絡方法を口にした。

 別に深津は男から情報を聞き出すために、ここへやって来たわけではなかった。

 だから、男がすべてを話そうが、口をつぐもうが深津には関係の無いことだった。深津に仕事が回ってきたという時点で、男の運命は決まっていた。仕事では一切手を抜くことはない。それが深津のやり方だった。


「もう、いい」


 深津は掌でゆっくりと男の口を押さえ、男のことを黙らせた。

 男の目が大きく見開かれる。

 そして、何かが壊れる音とともに、急に室内が静かになった。

 エアコンが稼働する音と外から聞こえてくる蝉時雨だけが、静寂の世界を支配する。

 壊れたのは男の身体であり、先ほどまで強張っていた男の顔が安らかなものとなった。

 菩薩。そう呼ばれる技法がある。それは築山が深津に教えた殺しの技のひとつだった。


「終わったよ」


 部屋を出た深津は、タバコ屋の脇にある公衆電話を使って佐久間へ連絡を入れた。

 あとは佐久間の仕事だった。深津は自分の仕事をするだけ。きちんとした業務分担が出来ていた。

 佐久間は深津の仕事の後始末をすべて請け負った。証拠と呼べるようなものはすべて消し去るのだ。そのため、深津が仕事をした場所に深津の指紋などが残ることは一切なかった。


「それとさ、ひとつ聞きたいんだけれど――」

 深津はマンションの一室で男から聞いた話を佐久間に振ってみた。


「――知ってますよ」

 佐久間はそう短く答えた。


 夜になり『さとう』のカウンター席で深津がひとりで飲んでいると、築山がやって来た。

 築山は顎をしゃくって深津に奥座敷へ行けと合図をする。

 飲みかけのビール瓶を手に持った深津はそのまま席を移動した。


 奥座敷に入った深津は、築山にきょう耳にした噂話を話した。すると築山の顔が強張るのがわかった。築山は知っているのだ。その金さえ積めば、どんな仕事でも引き受けるという同業者が誰であるのかを。


「仕方ないな……」

 築山はそう言うと、コップの冷酒を飲み干した。

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