五月雨(甘ダレ)意思を穿つ

ハッピーディストピア!

第1話

 『雨垂れ石を穿つ』ということわざがあるじゃないですか。どんなに小さな力でも根気強くやり続ければ大きな成果が得られるという意味の。


 あれをですね、小学生の頃の私は『さみだれいわをうがつ』で覚えていたんですよね。


 『さみだれ』漢字にすれば『五月雨』。梅雨と同一のものなんですが、別の意味として『途切れ途切れながらも、長い間ダラダラ続くこと』だそうな。そんな『五月雨』。ちょうどその意味に適った出来事もありまして。


 まさしく五月雨、もとい梅雨の最中だったときの去年の話。


 唐突なんですけど、私雨が好きでして。雫の滴る音。弱々しくても、轟音でも、なんだかその音はバグり散らかした私の心に静かさと穏やかさをもたらしてくれる。


 そしてひんやりとした雫は心地よい。体だけでなく、心も洗われるような感じ。

 

 ところで、梅雨といえばジメジメやら鬱陶しいやら、悪い印象しかなないらしい。しかし雨好きの私としては嬉しい時期だったりする。


 「今日も、そして明日も雨が降るなんて嬉しいな。」


 その時の私は思っていた。好きなものがいっぱいというのは誰だって嬉しいものだと思う、だからまあ当然なわけで。


 「今日は学校が終わったら、散歩がてらいっぱい浴びたいな。というか終わるでは必ず浴びまくろう!」


 とも考えだしたわけで。そして早速寮に戻った後すぐに外出した。まあ当然、その雨は随分と気持ちよかった。心が清まる。しかしそれと同時に上がっていたテンションも流されてしまって。


 「あ〜、だる。クソ冷たいし、めちゃくちゃ鬱になるんだが…。」


 それどころか心が澱んでしまって。まあ、数日したら元に戻るからまた浴びに出かけるけど、同じことの繰り返しで。そんなだから暫くはたまに浴びたりしたけど、なんか最終的にはめんどくさくなって辞めちまった。これぞ五月雨意識を穿つ。そんな話。


 話は最初の方に戻るが、記憶違いには理由があるのだ。というのも、『雨垂れ』は『あまだれ』と読む。まあこれはみんな知っているだろう。


 しかしだ、貧弱な脳を持つ私はそれに違和感を感じた。それどころか、『あまだれ』は『甘ダレ』なんだから違うんだと記憶してしまったのだ。


 最早その理由など分かりもしないが、ともかく甘ダレいしを穿つとかダサすぎだろ!とか馬鹿みたいな理由で中2ぐらいまで勘違いしていた。愚か。そして、これまたちょうどその言葉にあう出来事があるのだ。


 それは焼肉をしていた時の話したのだが、また去年のことだ。


 じゅうじゅうと音を立てながら、お腹をとてつもなく刺激するいい匂いがし始め。


 「そろそろなく焼けるよ〜。」


 母がそんな事を言うのでお皿を用意して席に着く。そしてタレを入れようとするのだが、


 「今日はどれがいいかな。」


 タレは何種類かあるので当然選ばなくてはいけない。


 「甘ダレは飽きたし今日はいいとして、どれがいいかな?」


 なんて考えて一本一本どういうやつなのか見る。しかしどれもパッとしない。


 「これか〜?それともこっちか〜?」


 なんてことを長々と考える。まあ時間が待たないのは当然だが、そんな時間が待つことができたとしてもくだらなさすぎて待ってくれるわけがないだろう。とにかく、あまりにも悩みすぎるせいで、


 「早く肉足りな!焦げちゃうぞ!」


 肉を焼いていた父がそう言う。そんなだから結局甘ダレを手にしてしまう。これぞ『甘ダレ意思を穿つ』だ。


 そして最後に、これまたくだらないことを伝えたいのだがそれでも読んでくれたら嬉しい。


 穿つってなんかかっこよくない?以上!!

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五月雨(甘ダレ)意思を穿つ ハッピーディストピア! @ataoka881

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