WANTED

 先日の教室プレート入れ替わり事件――彼女いわく幻の四十一人目事件――は少しの間、新入生の話の種となったが、新生活が忙しくなるにつれて話題性は薄れていった。


 未だに犯人は明らかになっていないらしい。

 ただ犯行状況を鑑みるに在校生の内の誰かと考えられているらしく、上級生には気の毒のことだが急遽学年集会が開かれたという。


 話は変わるが、入学式から二週間経った頃、俺には昼食や休み時間を共にする友達が何人かできはじめていた。

 もちろん腐れ縁の光輝とは相変わらずの関係を続けているが、環境が大きく変化したいま、繋がりつくることは非常に重要なタスクである。ぜひとも、このまま穏やかな関係を構築していきたいところだ。


 ところが困ったことがあった。

 お互いに会話を広げていくと、必ず聞かれることがあるのだ。


『渡、お前よく羽角さんと話しているけど、付き合ってんのか? それとも同中なだけか?』


 どちらも違うのだが、正直に答えても逆に変な疑いをかけられそうで、毎回茶を濁してばかりだった。

 そもそも原因は彼女の方にあるといえる。


 入学式の日以降、羽角とは隣人として普通に接してきたはずであるのだが、何かと理由をつけては俺に話しかけてくるのだ。


『先日はありがとうございました。おかげてやる気が湧きました』


『実はわたし新しい部を設立しようと考えているのですが、色々必要なことがあるみたいなんです』


『必要事項を記入し終わりましたので、これより印鑑を貰う作業に入ります!』


 彼女から報告を受ける度に生返事を返していたのだが、いよいよきな臭くなってきたため詳しく話を聞くと、とんでもない事態が発覚した。


 部活のメンバーリストに、俺の名前が当然のように加えられていたのだ。


『すみません! てっきりわたし渡さんに話をつけた後だとばかり……』


 その事実に驚きはしたが、特に入りたい部活がなかったため了承することにした。創立メンバーの一員に名前が載るのも悪い気はしない。

 これもまた後に、はやとちりしてしまったと後悔することになる。


 羽角夢来を部長とし新設されようとしている部活の名とは『探偵部』


 活動目標は、探偵としての活動と通して論理的思考力を磨き、名探偵を目指すというもの。

 こんなふざけた内容の部活が審査を通るとは思えないが、現実としてあと一歩のところまできているらしい。


 ことが動いたのは、俺が友人である八木沢光輝と机を挟んで雑談をしていたとある日の放課後のことだった


「あのっ、渡さん! これから時間を頂いても、よろしいでしょうかっ」


 羽角が切羽詰まった様相で話しかけてきた。

 俺も隣で聞いていた光輝も、短距離走後のように息を弾ませて言う彼女に目を丸くさせる。


「ああ、特に予定はないが……何かあったのか?」


 羽角の様子があまりにも異様だったので、怪訝さをそのままに尋ねていた。


「そ、そ、それはッ!」


「わ、悪かった。ひとまず呼吸を落ち着かせてくれ」


 羽角は何度か深呼吸をして息を整えさせてから、こちらに事情を説明していった。


「探偵部設立の件なのですが」


 横で『探偵部?』と首を傾げる無駄に顔がいい男は置いといて、いまは彼女が紡ぐ言葉に注力する。


「あとは生徒会長に提出するだけというところまできたのですか、さきほど訪れたさいに残りの部員を連れてきてくれと言われたんです」


「それで俺を呼びに来たというわけか」 


 羽角はこくりと頷く。


 しかしなぜ彼女が焦っているのかまでは不明だ。

 説明が続く。


「これは生徒手帳に書かれているのですが、新年度が始まる四月は新たに設立させる部に対して優遇措置を設けていて、本来部員が五名必要なところ、無条件でよくなるそうなんです」


 胸元のポケットから生徒手帳をちら見せして『見ますか?』と聞いてきたので、目を反らしながら丁重に断った。


「面白そうな話をしているね。僕も混ぜてもらってもいいかい?」


 静観を貫いてきた光輝が、笑みを含ませた声色で話に加わる。普段の振る舞いからしていつかは入ってくると思っていたが、やけに食い気味だった。


 いや、遅いと言ってもいいかもしれない。あいつはあれでいて、物好きな気質がある。探偵部という謎の言葉、食いつかないわけがない。


 ところがそれを妨げる乱入者の存在があった。


「光輝! 帰りましょっ」


 ぶっきらぼうな声が入口の方から届いてくる。

 豊満な胸の前で腕を組みながらこちらを見る女子の正体は、光輝の彼女である二井野にいの玲奈れいな

 光輝はその場で返答する。


「部活はどうしたんだい?」


「そんなのどうでもいいでしょ。ほら、早く行くわよ」


 光輝はやれやれと首を振りながらも素直に帰りの支度をしていった。

 教室を出る間際、こちらを振り返って言う。


「また次の機会に話を聞かせてもらうよ」


 にっこり笑うと玲奈に付き添って歩いていき、そのまま見えなくなってしまった。


「今のはいったい……」


「気にするな。そういう性質の生き物だと思え」


 嵐のように去っていった彼らを呆然と見送る彼女にフォローを入れた。

 ふと、まだ話を聞き終えていないことを思い出す。


「そういえば、まだ話の途中だったよな?」


「ああそうでした。えっと、どこまで話しましたっけ?」


 あまりの衝撃に頭から抜け落ちてしまったらしい。


「優遇措置がどうたらこうたら、みたいなところまでは聞いたな」


「では続きから話ますね。その優遇措置の期間ですが――」


 なぜだろう。嫌な予感がする。


「なんとッ! 今日が最終日なんです!」


 手のひらを打ち合わせて目を細めた羽角の背中を押して、生徒会室へ直行した。


 ◇


 生徒会室は三階にある。最寄りの階段を降りて、廊下をいくらか歩けば、目の前に生徒会室が佇んでいた。


「入りましょうか」


「ああ」


 部長の予定の羽角が扉を叩く。「失礼します」と呼びかけるも、全く反応がない。


「留守なのでしょうか」


「どちらにせよ。中に入った方がいいだだろう。行くぞ」


 羽角の頭上から手を伸ばし、扉を開く。

 予期していたとおり、中に人はいなかった。


 生徒会室と言うからには整然としたイメージがあったが、実際は物がかなり乱雑していた。机の上には試験前の勉強机もかくやというほど、紙束が積み上げられている。


「だれもいませんね」


「本当にここで合っているのか?」


 羽角が一度ここを訪れてから五分も経っていないだろう。

 それにも関わらず、もぬけの殻というのは何か事情があったようにしか思えない。


「合っていると思います。わたしが最初に来たときは生徒会長のみがいて、話しかけると先程渡さんに伝えたことを言われたんです」


 羽角の記憶力は伊達ではない。少し前の何気ない会話でも暗唱することができる。


「奇妙だな」


「奇妙ですか?」


 つい口から漏れたつぶやきを、羽角が拾う。


「この状況もそうだが、部活の申請に俺を呼ばれなければならなかった理由が見えてこない」


 しまった、そう思った時には既に遅かった。


「つまり、謎ってことですね!」


 羽角は口元をほころばせて歓喜の声を上げた。


「では、まずは手がかりの捜索からいくとしましょう」


 部活の申請に付き添うという簡単なミッションは、彼女の手によっていともたやすく探偵ごっこに成り代わってしまった。



 二人で手分けして生徒会室を調べる運びになった。

 この物で溢れた空間を自分の手足で捜索するのは大変煩わしく思えたが、すぐに羽角が歓喜の声を上げたことでその必要がなくなった。


「さっそく発見しました!」


 羽角が俺の前に掲げたのは、生徒会長の机の上に置いてあったというメモ帳だ。

 手のひらサイズで、薄い傍線の入った用紙をちぎって使うタイプのものだが、今回はその手間を惜しんだのかくっついたままになっていた。

 表面に丁寧な文字がボールペンで書かれていた。


「読み上げてみますね。『探偵部の皆さん私は――にいます』……文の一部が破れていて読めなくなっていいますね」


 後ろから覗き込む。

 長方形のメモ帳に縦書きで書かれた文章は、端の部分がちぎれているため、改行する直前の数文字が切り取られていた。


「ちょうど読めなくなっている所に俺たちの目的地が記されていたと思うがどうだ?」


「そうみたいですね。急用ができたのでしょうか」


 羽角はメモ帳と睨めっこしながら答えた。

 いくら綺麗な文字であっても読めなくては意味がない。


「待つのも手だが、生徒会長が用事を済ませたあと帰ってしまう可能性があるな。かと言って切れ端をこの中から見つけ出すのは至難わざだぞ」


 物で溢れかえった空間を見渡しながら言う。

 もし見つけられたとしても、その頃には生徒会長が移動している可能性が高い。


「うーん」


 羽角は未だにメモ用紙と格闘していた。


「さっきから何をやってるんだ?」


「ほんの一瞬だけ文字が見えたような気がしたんです」


 そう言うと、羽角は再び空白を凝視する作業に戻っていった。


「逆立ちしたってないものは見えな……」


「ん? 渡さんなにか新しく……きゃあ!」


 彼女と同じようにメモ帳に頭を近づけてあることを確認し、付近のペン立てから鉛筆を一本拝借した。


「それをちょっと貸してくれ」


「メモ帳のことですよね。いいですけどやっぱり何もありませんでしたよ?」


「いいから、ほら」


 羽角からメモ帳を受け取った俺は、一枚紙を捲り、鉛筆で黒く塗りつぶしていく。


「もぉ、お絵描きがしたくなったのならちゃんと言ってくださいよ。何を描いているのですか……!?」


 どうやら上手くいったようだ。


「渡さん、ひょっとして魔法使いなんですか!?」


 戯言を宣う彼女にメモ帳を返し、説明を添えた。


「特殊な技術は使っていない。羽角も見聞きしたことがあるんじゃないか? ペンの跡が付いた紙を鉛筆で擦ると、白く浮かび上がるってやつ」


「本当です! 何度か小説でみた覚えがあります!!」


 捲られていた紙がもとに戻され、一目で読める状態になる。

 筆跡の一致する一文が現れた。


「探偵部の皆さん私は屋上にいます」


 声が重なる。

 顔を向かい合わせた俺と羽角は、苦笑して生徒会室を後にした。



 階段をひたすら上がっていく最中、羽角が口を開く。


「それにしても、生徒会長が屋上にどんな用事があるでしょうか」


「いや、案外用事なんてなかったのかもしれないぞ」


 階段の踊り場に、屋上への入り口となる扉が出現する。

 通常、鍵が掛かっているものだが、ドアノブは最後まで撚ることができた。


「行きましょうか」


 屋上に降り立った瞬間、まず感じたのは風だった。春はとっくにやってきているというのに若干肌寒い。なびく髪を押さえつけて視界を確保すると、そこには夕焼けが広がっていた。


 屋上の反対側から人の影が一人分こちらまで長く伸びている。


 影の動きで振り向いたのが分かった。

 相手が動き出すのに合わせて、俺たちも進んでいく。


 ちょうど中間の位置で俺たちは相対する。


「ごめんなさい、こんなところに呼び出してしまって」


 羽角から聞きそびれていたがこの学校の生徒会長は女子だったらしい。


「いえいえ、そんなことないですよ」


 代表である羽角が答える。

 俺の役割は後ろで控えることだけだ。


「これを渡しに来ました」


 羽角は制服から用紙を取り出し、生徒会長へ渡した。


「はい。確かに受け取りました」


 風が強く吹く。

 生徒会長の長い髪が乱れた刹那、その表情が物悲しげに見えたのは気の所為だろうか。

 気づけば俺は前に出て、口を開いていた。


「面白かったですよ。生徒会長」


 呆気にとられた顔をする彼女。それも一瞬。微笑を湛えると、生徒会長らしき振る舞いで、こちらを見据えた。


「君が彼女の相方? だったら聞くけど、面白かったってどういう意味?」


「渡さん?」


 小首を傾げる羽角に待機を伝え、再び彼女と向かい合う。


「もったいぶらなくてもいいですよ。この状況を仕組んだのがあなただった、それだけです」


「仕組んだ? 何のことかな?」


 あくまで何も知らない体を装うようだ。


「では、聞き方を変えます。俺たちをここに呼び寄せたのはどうしてですか?」


「んー私のわがままかな。この場所、私のお気に入りなんだ。一人になりたい時はここに来て、休憩するのがマイブームなの。ほらすごく開放感があるでしょ?」


 質問に答えているようで、答えられていない。

 彼女の言葉に全く取り合わず、目を合わせ続けた。


「もう、わかったってば! そうだなぁ羽角さんが生徒会室を出た後、相談を持ちかけられたのよ。緊急性のあるものだったから、あなた達には悪いと思ったけどメモを残して生徒会室を後にしたの。屋上を待ち合わせ場所にしたのは、さっき言った通り個人的な理由だよ」


「ありがとうございます。参考になりました」


 頭を下げる。とても良い話が聞けた。

 あとは証拠を突きつけていくだけだ。


「生徒会長、これを見てください」


 俺は生徒会室から持ち出しておいたあのメモ帳を、彼女の眼前に突きつけた。


「これはあなたが書いたもので間違いありませんか?」


「なんだか尋問されているような気分。まあいいよ、うん確かにこれは私が書いたものであっているよ」


「このメモ帳にはおかしな点があるのですが、分かりますか?」


 彼女はわざとらしく首を捻ったあと、いま思いついたかのように声を上げた。


「あっ、メモの端が破れていることかな。でも、文字が読めなくなっているのに、よくこの場所が分かったね」


「はい、少々古典的な手法を使わせてもらいました。こちらがメモ帳の本体です。鉛筆を塗り拡げることで、ペンの跡を浮かび上がらせることができます」


 二つを重ね合わせることで一文を作り出す。

 それをまじまじと見つめて、生徒会長は言った。


「あ、分かったよ。君は私がわざとメモ帳を破ったと思っているんだね。確かにこれはそう疑われてもしかたがないね。偶然にしてはあまりにできすぎているもん。でも残念、私がしたのはメモ帳に文字を書いたことだけだよ」


 まるで心外とも言いたげな口調で生徒会長は弁明する。


「いえ、そこではありません」


「え」


 初めて生徒会長の表情が崩れる。


「先程のあなたと発言とこのメモ帳、明らかに矛盾していることがあるんです」


 もちろんメモ帳を破ったのは生徒会長だと考えているが、その証拠となるものをこれから追求していく。


「あなたは言いましたよね、緊急性のある用事ができたのでメモを残してきたと」


「……言いましたね」


「ではこのメモ帳を見てください。急いでいたというわりには、随分といませんか」


 生徒会長は手で口を抑え、声が漏れるのを防いだ。


「よく見ていると、止め跳ね払いがしっかりと意識されているのがわかります。果たして時間に追われている人物が一々このようなことを意識するでしょうか。走り書きになるが普通だと俺は思います」


 あとは流れを総括するだけだ。


「もう分かりますね。そもそも用事なんて存在していなかったんですよ。屋上に呼び出したのはあなたの言うように趣味だったとして、どうしてわざわざ不自然に映る丁寧な文字で書いたのか。丁寧な文字で書かなくてはいけなかった理由、それは予め俺たちが鉛筆を使った手法を用いるのを想定してたからでしょう。よって、メモ帳を破ったのが生徒会長であると判断でき――」


 彼女の目が大きく見開かれる。


「――全てはあなたが仕組んだことになります」


 後方で、羽角が息を飲んだ音がした。


「これが俺がそう考えた理由です」


 ◇


 嘘をついていたことを認めた生徒会長は、まず俺たちに頭を下げた。おそらく、遊び心で部の設立の可否を左右させる状況に陥らせてしまったことに対してのものなのだろうが


「楽しかったので全然問題ありませんよ。こうして無事に生徒会長に会えたわけですし」


 羽角はいたって笑顔のままだった。

 生徒会長は罵倒の一つでも受ける覚悟だったのだろう。しかし悪意ではなく、むしろ好感を抱かれていたことに拍子抜けして、生徒会長らしからぬ間抜けた声を上げた。


「俺からも言っておきますが、あいつはそういうやつなんて気にしなくていいですよ。ああ、俺も気にしていないんで」


「なんだかなー」


 気を取り直した生徒会長は、咳払いして表情を整えると、まるで眩しいものを見るかのように目を細めた。


「……二人がもう少し早く生まれていたらなぁ」


「生徒会長さん?」


「ううん、なんでもない」


 羽角は近くまで駆け寄り、体の前で交差している生徒会長の手を取った。


「やりましょうよ、いっしょに!」


 唐突な行動に、呆気にとられる生徒会長。

 やがて彼女の顔は自嘲混じりの笑みに移り変わった。


「ありがとね。でも今は生徒会長としての立場があるし、この仕事にやりがいをかんじているの」


 紡がれる言葉は間違いなく彼女の本心だろう。そうでなければ、ここまでの感傷は伝わってこない。


「だから影から応援することにするよ」


「そう……ですか」


 羽角はガクリと肩を落とす。


「君も」


 生徒会長の視線がこちらに向かう。


「やるからには最後までやり切ること」


 きっと彼女は全校生徒の絶大な信頼を得て、いまの立場にいるのだろう。

 それは俺には決してできないことで。


 彼女の言葉の真意は現在の俺にはよく読み取れなかった。


「よし、私は中に戻るよ。今日中にやっておかないといけない仕事があるからね」


 努めて明るい表情をつくった生徒会長はドアの奥に消えていった。

 屋上には俺と羽角だけが残った。


「色々ありましたが、これにて一件落着ですね!」

「ああ、そうだな」


 後ろを振り返ると、夕日が今にも沈もうとしていた。



 翌日。休み時間に飲み物を買いに行った俺は、その途中で生徒会長とすれ違った。


「君」


 周囲に他の生徒はいない。間違いなく俺のことだろう。


「なんですか」


 振り向きながら反応する。

 すると生徒会長は知り合いにでも会ったかのように気安く話しかけてきた。


「探偵部の申請を受理したよって伝えようと思って。今日から正式に認められるようになったから、彼女にも伝えておいてね」


 首を縦に振って了承する。部員の一人である俺が断る理由がない。

 このまま失礼しようとしたが、まだ解決していない謎があったのを思い出した。


「昨日聞きそびれていたことがあるんですが、俺まで呼ばれたのはどうしてですか?」


 あの遊戯を仕掛けるためには羽角を退出させる必要があったが、理由など何でもよかったはずだ。わざわざもう一人呼び寄せるなど不自然でしかない。


「あれ? 彼女から聞いてなかったの?」


 生徒会長の声色からは裏表のない純粋な疑問が感じ取れた。


「入学式の日に教室プレートが入れ替えられた事件があったでしょ。かなり問題になっていて、探偵部と名乗っているもんだから試しに聞いてみたんだ。そうしたら彼女『先生から伝えられる前に、わたしと渡さんで謎を解いていたので驚きはありませんでしたよ』って言うもんだから、深掘りして話し込んでいるうちに、会ってみたくなったのよ」


「はぁ」


 まさか、あのとんでも推理を他人に話しているとは思わなかったのでむず痒い気分だ。


「ちなみに、君にはもう犯人が誰だか分かっていたりするの?」


 この人は俺を探偵か何かだかと思っているのだろうか。


「勘違いしていませんか? 俺はなんでもないただの一般人なんで、数百人もいる候補者から犯人を見つけるなんて真似できるはずがありませんよ」


「そっか、でも分かったら私に教えてね」


 言葉とは裏腹に、俺を言い分を汲み取っている様子がない。


「頭の片隅に入れておきます。では」


 あまり長話しては向こうも迷惑だろう。俺は当初の予定取り飲み物を買いにいった。



 その日の放課後、俺は羽角によって校舎の奥まったところにある人気のない一角に連れ込まれていた。


「さあこっちです」


 ようやく足が止まり、俺はとある扉の前に立たされる。


「ようこそ、探偵部へ!」


 羽角の掛け声とともに引き戸が開け放たれた。

 切り開かれた視界に、部屋の光景が飛び込んでくる。


「んー普通って感じだな」


 壁際には授業で使っていたのだろう資料や模型などが整理されて置かれていた。長い間使われていないのか、埃を被っているものも散見される。

 それらに囲われるようにして、寄せ合ったいくつかの机が一つの大きなテーブルを形成していた。


 正面が窓ガラスになっているため、日光を適度に採り入れることができそうだ。


「渡さん、これを見てください」


 羽角が腕を伸ばして強調させた先には、手頃なサイズの本棚があった。机の上に設置されており、手に取りやすい高さになっている。


「わたしがコツコツと家から集めておいたんです」


 得意げな表情をしている。

 予想はついていたが、中身はミステリー物ばかりであった。


「でも大変だったんじゃないか?」


「探偵部と言ったらやっぱりこれじゃないですか。理想のためなら努力を惜しみませんよ」


 俺の中には探偵部の前例がないため何も言えないが、雰囲気づくりと言いたいのならなんとか理解できる。

 羽角が本棚の近くの席に座ったので、俺はその向かいに腰を落ち着けた。


 ふと冷静になって考える。

 この部活は具体的に何をするのだろうか、と。


 ご機嫌そうに鼻歌を響かせながら足をぶらぶらと揺らしている彼女に、純粋な疑問をぶつけた。


「ところでどんな活動をするんだ?」


「待ちます!」


 羽角は短く言い切った。全く意味が分からない。彼女は過程を省くきらいがある。

 俺は焦らず聞いていく。


「何をだ?」


「依頼がくるのをです」


 なんとなく彼女が思い描く全体像が見えてきた。ようは、学校の中に探偵事務所をつくりたいのだろう。


「とは言いましても、ただ待つだけでは味気がないので、やりたいことをしてもかまいません。課題をやるのも仮眠を取るのも良しです」


 聞いていく内に意外と悪くないのではと思い始めていた。静かで誰にも邪魔されない空間というのは学校ではなくとも貴重なものだ。シンプルに自分の部屋がもう一つできたと考えれば、その有用さが分かるだろう。


「わたしは本を読むことにしますが、渡さんはどうします?」


「……いまは特に何もないな」


「では、この本棚から自由に選んで読んでもいいことにします。どうぞ遠慮なく」


 ざっと一通り眺めてみる。タイトルこそ知っていても中身を読んだことがない作品がいくつかあった。

 一冊適当に決めて手を伸ばし――


「ひゃああああ! やっぱりダメです!!」


 何事かと思えば、林檎のように顔を真っ赤にした羽角がぶんぶんと両手を振って、本棚への道を妨げていた。


「いきなりどうしたんだ?」


 見られてはいけないものでも混じっているのではと疑ってしまう。

 羽角は火照った頬に風を送って冷ましてから、たどたどしく口を開いた。


「その、どう伝えればいいのでしょうか。ここにある本達はわたしの体の一部を形成しているといっても過言ではないわけで……それを今から他人に覗かれてしまうと思うと猛烈な恥ずかしさが湧いてきたんです」


 本棚を見ればその人が分かるとはよく言われることだ。一冊一冊の本を読まれても何も感じないが、本棚という形式をなした途端に、心を覗き込まれたような感慨を抱いてしまったのだろう。


 結局この日はスマホをいじって時間をつぶすことにした。惰性で続けているソシャゲのタスクをのんびりとこなしていく。


 ふと視線を感じ彼女の方へ目をやったが、気の所為だったようで黙々と本に目を落としていた。しかし数秒後また視線を感じ、今度はスマホ越しに確認する。その甲斐もあって一瞬だけ目線を捉えられたが、羽角には気づいていないふりを貫かれた。


 こんがらがって数秒間目が合ったりしながらも、そのような応酬を何度か繰り返した後で、ようやく俺から話しかけることにした。


「さっきからページが進んでないぞ」


 俺の指摘に羽角は自身の身体をビクンと跳ねさせ、本の後ろからためらいがちに見つめてきた。

 小さくて血色のよい唇をわなわなと震わせ、やっとのことで話し始めた。


「渡さんには助けてもらってばかりで……わたしからは何もできていなかったと今気づいたんです。この部室だってそうです」


 羽角は目線を窓の方に漂わせる。


「だから……その……」


 おかしい。いつもの溌溂とした雰囲気が、いまの彼女にはない。

 俺は何が起きてもいいように身構えた。


「もしよろしければ、明日わたしと会いませんか?」


 潤んだ瞳で誘ってくる彼女を見て、俺は頷くことしかできなかった。

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