成る
発信。
発信。
発信………
皇直哉はその時ほど、発信音を長く聞き続けたことは無かった。
彼は待たせる側の人間であって、待たされる側では断じてない。3コール以内に出なかった人間は罰するか切る。自分の用が終わらなければ来客と会わない。優先事項はいつだって彼自身。
だから片手を塞いで、耳元に端末を保ち、辛抱強く受話を待ってやるなど、空前絶後の温情と言えた。
発信。
発信。
発信………
どうしてそこまで向きになるのか、彼にもよく分からない。「話を聞きたい」と欲した自分に忠実なだけ、それはそうだ。問題は、何故「聞きたい」のか、何を「聞きたい」のか、それが分からないことだ。
そして分からないまま、繋がるのを待っている。
自分の行動の気味の悪さを脇に置く為、彼は戦況だけを考えることにした。
並行して幾つか走らせていた狗共が、予備も含めてほぼ全て溶けた。
撃ち殺された者、逃亡した者、寝返った者、様々だ。
元から期待していなかった奴らが大半であり、敵の過剰反応を引き出したという成果もある。これについてはまあいいだろう。
大将狙いの襲撃については、返り討つことに成功した。
防犯カメラやNシステム等の記録も消し、また敵方の人払いが幸いして、目撃者も出さずに済んだ。
今回の失敗にも、サビーナはケロリとしているだろう。いつも通り、心にもない謝罪と共に、何かしらの景品を寄越すに違いない。
彼女からの情報によっては、レギオンに王手をかけられる。
似非奇跡に、もうじき引導を渡せる。
なんだ、何も問題ないじゃないか。
頭はそう考える。
だけど右手が、一向に耳から離れてくれない。
発信。
発信。
発信………
沈思は続く。
今回何よりも大きかった僥倖とは、彼に直接仕掛けた戦闘員に、死者が出ていなかったこと。
どういうことだ?
駆動する四輪から投げ飛ばされ、道路に激突。股が裂けるか頭が割れるか。誰もが生きてめでたし目出度し、そうは問屋が卸さぬ筈だ。
が、結果はご覧の通り。
この度ばかりは意地も通せぬかと、割り切ったつもりであった直哉であったが、その達観は仮初めと知る。
その事実から、簡単に分かることがある。
レギオンが身体能力を強化せしめ、それで
そこまでは、別にいい。
ただ幾ら奴らの神経に、少しばかりの喝を入れたところで、何の処置もなく転がされていれば、やがて遠からず息を引き取る。
生への執着が深い兵士だらけか?その理屈にだって限界はある。
けれども現に、彼らは全員生還した。
処置が早かった?
いいやあの場あの闘争は、ジューディーによって隠されていた。
隔離され、直哉を簡単に逃さぬよう。
社会的権力を持つ者を、追い込んで仕留める為の罠なのだ。
一般人からの速やかな通報など、出来るようになっているわけがない。
だがしかし、救急隊員は驚くべき速さで到着した。
直哉が決着を着けた時には既に、最初に倒れた奴らは救助されていた。
結局、そういうことなのだ。
目撃者ではない。
この事態を知る誰かが、通報した。
誰が?
やって来た連中曰く、「少女の声で通報があった」。
場所と、銃撃戦であることと、複数人の重軽傷者がいること。
必要なほぼ全てが揃った一報。
早期に発覚したことで、襲撃者達は命を拾った。
矢張り、「そういうこと」だ。
それ以外に無かった。
充分想定出来た範囲だ。
そう、そうだとも、分かっていたとも。
ただ初期に考えていたより、奴隷が優秀だっただけの話だ。
救急隊は、あの少女が居る側には呼ばれていなかった。
そちらへの到着は、かなり遅れたらしい。
それだけだ。
発信。
発信。
発信………
ならば、もう聞く事などないだろう。
この上何をどうしたい?
彼は、何を確かめたいのか。
………………………………
出ない。
何故だ。
段々とムカッ腹が立ってきた。
どうしてこんなことをしなければならないのか。
彼女程度の
速やかに電話を取ることすらできないのに。
画面をタップし、遂に切る。
途端に衝動が内腑を
着信。
表向きの連絡先となっている方の端末。
毎度の如く舌を打ちながら繋ぐ直哉。
「はいこちら皇」
それがどういった感情か分からず、だから制御のしようがなく、ぶっきらぼうを包みきれない。
だがテロの標的にされたことへの焦燥だと、相手は勝手に納得してくれた。
これぞ、日頃の“人徳”の賜物である。
「ご報告したいことが」
掛けて来たのは、刑事だった。
府利邸の捜査担当に回された、運の無い男である。
「それでですね、屋敷はボロボロだわ、マフィアは全滅だわ、それと戦闘していたらしい勢力は一人残らず消えてるわ、もうしっちゃかめっちゃかなんですが、一つだけ、地獄に仏ですなあ——」
直哉は千家に命じ、取り寄せていた新車を走らせた。
快適さも飾り気も無い、清潔感だけが取り柄の白いシーツ。
褐色の少女は、その中に横たわっていた。
眠っている。
わざわざ鼻の上に手を翳さずとも、それが感じられた。
彼女の息吹が、病室という味気ないキャンバスに、筆を入れていくように。
それに反応し一杯になる胸の内を否定する為、誤魔化すように強い足取りで無遠慮に枕元へ立つ。
ぱちり。
それだけで彼女は醒めた。
間髪入れずに上体を立て、
「ナオヤ様、」
彼の目前で直立しようと足を下ろし、けれど力が入り切らずに腰が落ちる。
「おい」
彼がその腕を掴み上げ、
「ありがとうございます」
それに感謝と恭順を示し、
「よくぞ御無事で。お怪我は?」
当たり前のように、彼の身を案じることを優先する。
安堵はあれど、驚愕はない。
喜ばしいことだが、信じていたことでもあった。言葉なくとも、そう言っている。
「ナオヤ様、レギオンの本体と思われるものに会いました」
だが彼女は無駄なことをしない。
その行いに謝意も報いも求めず、
己が存在価値を果たす。
「あれは恐らく、独自のネットワークのようなものを持っています。その鍵となるものも、まだ予想の段階ですが分かって来ました。より確実になれば改めて——」
窓ガラスの外は昏く、反射は色濃くなっている。
少年が言う。
「ほおら、君は全然見えていなかった」
黙れ。
そんなもの、
存在しない。
存在しないのに。
「いいや、ここには在るじゃないか」
そんな筈はない。
何故かって、今まで無かったからだ。
多くを持つ彼が、広くに触れる王が、
それでもまるで触れ得なかった。
——お前なんか、誰にも愛されない!
笑える。
誰も愛されてなどいないのだ。
——オレたち、確かに通じ合っていたじゃないか!
単なる電気信号を、過大に捉える夢見る坊主。
友情?絆?そんなもの、持ってくることすらできないのに。
ありふれているように、騙るんじゃあない。
——これから先、あなたは人の想いを知って、後悔する。
負け惜しみの言い逃げだ。
それを本気で信じていたなら、逃げ
誰よりもお前が、信じていなかったクセに。
ほれ見ろ、どこにも見つからない。
振って回して逆さに返して、それでも音すら出さないじゃないか。
なら無いのだ。
嘘だ。
ペテンだ。
“正しさ”なんぞがあったなら、彼はこの世にのさばれていない。
お前達が声高に叫んでも、
事実を変える事はできない。
「簡単な、話じゃないか」
少年は、彼に教えてやる。
基礎の基礎、考えるまでもないこと。
「“君には”無かった。出会う機会を潰して回っていた。それだけだよ」
A
単なる重複的解説。
「今まで君には与えられなかったもの。他の誰かは受け取っていたけど、君には誰もくれなかったもの。それが——」
——今目の前に、供されただけだ。
全てを貢がせ、身ぐるみ剝がそうと、
それだけは奪えた
だから誰も持っておらず、
即ち無いものであると断じた。
見た物しか信じない彼は、当然の結果として認識し、
だからこそ今、
岩盤が割れ裂ける程、大きく深く。
「ナオヤ様?大丈夫ですか?」
アクテが、不安に駆られている。
彼の不調で、彼女が患う。
直哉へと、小さな腕を寄せる。
それが不興を買いかねない行為だと分かっているだろうに、彼の安否を確認する為にそうする。
冷静理知的に在りながら、些細なことで合理を飛び越える。
それが愚かで危険と知って、踏み越える。
「些細なこと」、
皇直哉の具合が悪そう、というだけで。
「ナオ……あ……」
彼もまた、超えてしまった。
駒を図に乗らせるだけと、そんなこと分かっている。
だけど、
彼女の手を取った。
「……………」
永い、沈黙。
どちらも、相手の内心が分からない。
男はこれ以上進む事への恐怖から、
少女はこの時間が続く事による充足から、
結局そのまま動かなかった。
アクテの緊張の糸が緩み、再度気を失ってしまうまで、
彼らはずっと、そうしていた。
いつまでも、そうしていたかった。
けれど、彼は知っていた。
それがあると知ってしまえば、対になるものにも追い着かれる。
愛と祝福が有る限り、
怨嗟と呪いが有るのだと。
希望と未来が続いていくなら、
過去と悪夢も滅びはしないと。
「君はそれを、持っていなかった」
この少年も、
「だけど君は、それ以外を沢山手に入れてきたじゃないか」
消えてくれない。
「君がこれまで積み重ねてきた——」
——君だけに向けられる、恨みつらみを。
皇直哉は、
彼が何を集めていたのか、
そこで初めて自覚した。
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