目醒め

「お疲れ様。刺激的なフライトだった?」

「お蔭様でな」


 都内のホテル、その一室。

 化物二匹が密会していた。


 皇直哉・サビーナ夫婦。


 片方は煙を吸い、

 もう片方はブランデー片手に。

 これは商談。

 互いが互いから多くを奪うべく、目を光らせ耳をそばだてる。


「アナタが言ってた禿げ男だけど、首を絞められてからの記憶がないそうよ?非公式の組織まで取り調べにあたっていたけど、証言は変わらず」

「ということは、自白剤も使われただろうな。それで覚え無し、か」

「間違いないの?」

「白昼夢と言うなら否定はできない。だが現実だとして、あれは何だ?暗示催眠の類か?」

「それでも意識の何処かに残るでしょう?隅々まで調べたけど、そんな行動の痕跡は無かったってヨ」


 話している内容も剣呑だ。

 井戸端会議のような気安さで、この国の捜査機関、その裏側を赤裸々に語っている。

 それに異を唱える者はこの場にはいない。

 然れども、


「サビーナさん、聞きたいことがあります」


 四つの瞳が少女に向けられる。

 二つは所有物が勝手に喋った迷惑を湛え、

 もう二つはちまちまと駆ける小動物を見るように歪む。


「“琉球解放戦線”、あの人たちは、我々が乗る便を狙い撃ってきました。あそこに居るのがナオヤ様でなければ、ファーストクラスに二人しかいないような飛行機なんて、リスクに見合った旨みがありません」

 不思議な事に、彼女に鬼胎は見られなかった。

 フラットな面相で支配者達の前に登壇し、か細い二本の脚が鉄塔のように重く支える。

「そうね。そう考えることもできるワね」

「思えば、離陸前に記者に張り付かれていたことからして変です。ナオヤ様の動向が、外部に漏れています。銃火器をあれほど大量に持ち込むのも、一介の反政府勢力だけでは難しいのでは?」

「用心しないとねえ?」

「そしてナオヤ様があの便に乗る事を知っていた人間は、限られますよね?」


 例えば、チケットを送った誰かさんとか。


「答えてください。ナオヤ様の謀殺を目論みましたね?」


 アクテが鋭く聞き、


「当然だろうが、間抜け」


 直哉がさらりと答えた。


「な、当然、ですか?」

「俺はこいつと組む利点がある。ならこいつはどうだ?俺と籍を入れて何が得られる?」


 目を丸くする少女に逆質問。

 情報網の提供。

 外部から秘密裡へと一人招き入れる危険を冒し、

 そこまで女が欲するのは、

 

「……遺産?」

「そうだ。俺が死ねば、こいつは俺の人脈も権力も財産も、総取りできる」

 

 サビーナが直哉に死地を斡旋し、

 直哉がサビーナに機会を提供する。


 この国の裏に広く根を巡らす一歩、それをとうじる好機を。


 彼に死んで欲しい彼女は、彼の欲する“臨死”を熱心に届けてくれる。


「最初から、そういう契約だ。今更過ぎて欠伸が出る」


 互いに噛みつく蛇と蛇。

 対手の実を啜り上げ、先に無くなった方の負け。

 双方そのつもりで手を結んだ。

 雁字搦めの至近戦闘インファイト


「じゃあ、サビーナさん!貴女は、最初からずっとナオヤ様を殺す気だったってことですか!?ナオヤ様はご存知の上だと?」

「好きな人と結ばれると勘違いしちゃうような子?思ったより夢見がちなのね」


 どの道理解されないだろう。

 直哉はそうやって、食傷気味な遣り取りの再放送を予期する。

 どいつもこいつも、何も無いのに持っている気になっている。

 だから命を出し惜しむ。

 そんな奴らから見れば、己の利用できる部分全てを、不明瞭・不合理の為に切り売る彼は、異分子として映る。

 下々からの偏見など、彼にはどうでもいいことだが——


「分かりました」


 展開は、読みとは違っていた。

 

「貴女はナオヤ様にとって、利用価値の高い方。そういうことですね?」

 だからどうした、という事もないが、

 アクテは直哉の決定を受け入れ、その上で深慮しているようだった。

「じゃあ、使い道を考えないとですね」

 最大限使い潰して、王に害を与える前に始末する。その為にはどうすればいいのか。


「へぇ~?」


 我が子が初めて立つのを見る母のように、

 サビーナは少女を生温かく見守る。


「アナタ、この子に何したの?」

「は?俺はついさっきまで、居ることすら忘れていたくらいだぞ?」

「ふ、ぅう~~~ん?」


 二人に交互に目を配り、無邪気と狡猾の混成のような顔をして、女は一つ忠言する。


「アナタ、この子捨てちゃだめよ?きっと『面白く』なるわ」

「お前にとって好都合なら、つまり手放すのが上策か?」

「きっと後悔するでしょうね。アナタが欲しい物には、この子の方が近いわよ」


 口から出まかせか、一つの真実の指摘か。

 彼女にとって利があることなのだろう。

 ならば彼を追い込む仕込みであり、

 彼の望むところでもある。


「いいだろう。もう暫く俺の下で働かせてやる」


 それで少女の残留が決定した。

 命を拾われた方は、

 不本意そうに女を睨んだ。

 怨敵に塩を送られたのだと。

 

「それじゃ、次は海路ね。明日の夜には着くでしょ?ワタシはその間、『神を見た人間』とやらをもっと詳しく掘っておいたげる」

「また“イベント”を用意してくれるのか?ハニー?」

「残念だけど、ああいうのはそう頻繫にうろついてないの」


 「興行ってのは偶にあるからいいものヨ」、サビーナはそう言って、均整のとれた微笑みを浮かべる。


 作り物めいたその顔も、お馴染みになってくれば安心感がある。


 顔一つを上塗りしてしまうような“笑い”を想起しながら、


 直哉はそんなことを考えていた。


「そ、そう言えば、その、『ハニー』っていうの何なんですか?」

「んー?気になる?」

「聞くまでもないだろ」


 カチリ。

 追加の煙草に火を点けて、

 

「あからさまなハニートラップ要員だからだ」


 アクテはそれを聞きながら、


 ホッとしたような、案じるような態度をとっていた。


 それがサビーナには、


 余計に可笑しかった。

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