Ξ

『——このように、米国政府は今回の武力介入を「正しい判断」と認識する見方を示し、その他の国連加盟国との間に摩擦を生んでいます。“世界の警察”、アメリカがその立場を辞してから暫く経ちましたが、最大の抑止力の失墜によって、再び君臨することになるのでしょうか』

『3年前の事件の苦い教訓。二度と繰り返さない為にも、くら総理は日米での首脳会談を要請。「基本的方針には従う」としながらも、核兵器使用を含めた一部手段の使用を控えるよう——』




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「ふ、ぉぉぉおおおぉぉぉぉ」


 この国の心臓部へと向かう旅客機内でのこと。

 アクテは、感動していた。


 人生初の飛行機、それもファーストクラス。おまけに一区間を占拠している。

 公的には直哉の同志扱いな彼女は、彼と同じ待遇を受けているわけだが、

 良くない。

 この生活水準に慣れるのは、とても良くない。


「高い、飛んでる、なに、この、沈む、え、なんでこんなに沈むのこの椅子…!?」


 対面の男が持つ重苦しさすら一時忘れ、「携帯電話を機内モードに」等のお決まりのアナウンスにすら聞き入り、抑制の効かぬほど大はしゃぎな少女。

 そして極めつけは、目の前に並べられたそれ。

 直哉が「乾いて食えたものじゃない」と放ったままのトレー。

 中は全く手つかずのまま。

 彼女は彼の顔をチラチラ盗み見ていたが、「食いたいならとっとと食え」とでも言いたげな表情を見て枷を放り捨てる。

 蓋を開け、中の肉に、おっかなびっくり刃を入れて、手応えが思いの外柔らかいことに当惑し、一切れを小さな口に含む。

 よく訓練された、上品さも滲む所作。

 だが表情の方はと言えば、舌の上のステーキ以上に、ドロドロに蕩け切っていた。


——美味しい!

「おいひぃい……!」


 何たる甘露。

 味覚の暴力。

 ナイフとフォークが進む進む。


 直哉はそれを鼻で笑い飛ばし、ふんぞり返って寝に入ろうとする。

 堪能モードだったアクテは、そこで慌てて幸せを嚥下する。今聞かなければならない事があったからだ。


「んぐ、あ、あの…、おかしくないですか?」

「誰が発言していいと言った?」


 意を決して踏み込んだ少女に対し、男の返事は端的で無慈悲。

 と言うより会話をする気が無く、単なる通告でしかない。


「えっと、質問してもいいですか?」

 ただ、雇い主が嵌められていた場合、美味くない事態になるのは彼女も同じだ。

 聞いて貰わなければ困る。

「………退屈なのは確かか」

 明らかに逸っていたことを自覚したのか、整理の為に耳を傾けることを選んでくれた。

 煙草を持ち込めず、沈静方法に飢えていたことも原因か。

 やろうと思えばここでも吸えるだろうが、さっきマスコミが空港に待ち構えており、あまり無理を通して悪目立ち出来ないのだろう。


「サビーナさんが、あんなに情報を持っているのって、ヘンじゃないですか?警察でもないんですし。そもそも、あの事件について調べて、あの人なんの得があるんです?」

「何ら不思議じゃない。奴は“ジューディー”だからな」

「じゅ、……?」

「互助会、奴らに言わせれば“家族”。あいつの旧姓もそれだ」

 

 細く長い息を吐き、直哉は語り出す。


「とある大金持ち、溜め込んだ資本の量なら俺よりも上なご老体が、それを作った。目的は、とある民族の保護」

「『民族』、ですか?」


 それは、悲劇が悲劇を生成した典型例。


「前世紀、人類はやたらとやらかしていた。その中でも英国の三枚舌外交と、ヒトラーのホロコーストは、ある意味見事な合わせ技と言える」

 脳内を漁って話の流れを探る。

 二つに共通するテーマは、

「ユダヤ民族?」

「……優等生だな。あのアフロが飼い犬にしたのも頷ける」

「ぅえぁ」

 この男の口から仮にも直接的な賞賛が出て来るとは思わず、虚をつかれた少女は自分でも不可解な妙声みょうじょうを出してしまう。

「『聖地をくれてやる』と約され、『そういう民族だから』と迫害される。それらの経験は、奴らに大義名分を恵んでしまう。被害者としての地位と、約束された民という特権を」

 アクテの態度に頓着しない直哉は、タブレットを一個、寂しい口に放り込んだのち続ける。

 血で繋がれてきた呪いの話を。


「ユダヤ教が成立した経緯と、同じようなことが起こっていた。そう見ると愉快だろ?」

「逆境にある人々が、自分達は特別だから、異常な受難の中に居ると考えた。そういう意味ですか?」


 虐げられし賤民、

 敬われし高貴。


 それらは、「選ばれた」「普通でない」という点で同じ。

 惨めさとは、容易に誇りへと転じてしまう。

 かつて聖典の民が、火の粉を神の試練と称したように。

 

「そしてユダヤの系譜には、金持ちが多かった。同胞はらからを支援する、その為なら手段を厭わない。その連帯感と正当性を胸に秘め、更には一国の投票結果を左右するだけの影響力を持っている、そんな奴らが含まれていた。しかもそいつらの歯止めは、丁寧に取り払われた後ときた」


 徹底的に叩きのめされた歴史が、彼らに正義を与えてしまった。

 正しき者は、止まることができない。


「ジューディーとは、そういった情熱に駆られたユダヤ人保護協会のうちの一つであり、一族の名とされている」

 その中でも飛び抜けた財力と、過激思想を持つ、とも。

 彼らに言わせれば、「家族を守ることは当然」らしい。

「その人達が、どうして日本の殺人事件なんかを?」

「今回の事件で死んだ内の一人、恐らくその『奇跡を見た』という男も、奴らの影響下だったんだろうな。構成員とかそのあたりだろう。ジューディーは、“ユダヤ”という共同体を救う者以外の神格を認めない。敵視して排除しようと至る所に根を伸ばしているくらいだ。その異教・異端を信じる誰かが身内から出たなら、結束に罅が入る事も考えられる」


 「くだらん感傷だが、奴らはそうやって身を寄せ合わなきゃ死んじまう、脆弱な生き物であるらしい」、そこまで蔑視し、危険視しているなら、


「なんで貴方は、そんな団体と絆を結んでいるんですか?」

「言っただろ?奴らは富と力を持ち、信仰心によって世界中の神秘——を僭称するもの達を蒐集・監視・攻撃する。俺の娯楽に必要なものを、全て持っているわけだ。使えるようにしておけば、便利だろう?」

「べ、便利、ですか…」

「お前と同じだ。お前達娼婦は、身体と快楽を売って客を繋ぎ止める。俺達権力者は、縁と実利で作られた繋がりで商売をする」


 言われたアクテは、目を丸くして首を傾ける。


「私達と、同じ……?」

「不満か?ふん、喚いてもいいぞ。その時は五月蠅いから窓から捨てるだけだ」

「いえ、逆に、良いのかな?って……」


 彼女がこの国に来て、その生い立ちを聞かせた相手の目は、主に二種類に分けられる。

 「可哀想」、又は「汚らしい」。

 同情にしろ嫌悪にしろ、彼女の事を能力の無い、途中で「正しく」生きる事を放棄した、弱者であると捉えていることは同じだ。

 「もう少し強く生きれば幸せになれたのに、愚かしい」と、そう言っている。

 だが彼女にとって、彼らが「間違えた」と定義するやり方は、生き残る為の唯一の道だった。

 その肉も技術も、その為に磨いたものだった。

 彼らは知らないのだ。

 “理性”なんていう取り繕いが出来るだけの余裕が、いちじんもありはしない場所が確かに存在する。

 選択肢が、堕ちるか死ぬかだけの行き止まり。

 それを見ないお目出度い人達は、両側が崖と分かっていないが故に、一本道をズンズンと進める勇者のように思えて。


 他方で目の前の男は彼女の生き方を、取引の一つの在り方としか見ていない。

 それだけ興味も無いということだが、同時に正しさやら安全やらをまるで信じておらず——



——そっか、だからか。



 どれだけ怖ろしくとも、彼女が保護者に敢えて彼を選んだ理由。

 この温和な国に居ながらにして、彼の眼光は、あの場所に居た連中と同じだ。

 懐かしい。

 海の向こう、彼女の故郷で這い進む、

 

 生ける屍達と。



「おい?なんだ」


 急に黙ってしまったアクテに目をやれば、

 おもむろに頭を上げた彼女が、まじまじと彼を見つめて来た。

 それは観察と言うには熱が入り、恋慕と言うには刺々とげとげしく、畏れと言うには躊躇いが無い。


「おい」


 付き合い過ぎて調子に乗らせたか。

 舌打ちして話を切り上げようと

 ガギイイイィィィ!扉が火花を散らして開け放たれ内部に数人が荒々しく入ってきた。

「な、」

 アクテが反応するより速く、近くにあった机上のグラスがガリンと弾け散る。

「ひぃっ!」

 先程までの雰囲気を霧散させて縮こまる彼女から直哉が視線を切った時には既に、

 通路と、更に座席を区切る仕切り越しに短機関銃サブマシンガンが突き付けられる。

 360°、上からも、二人を数回殺せる穴の数々がご対面。


「失礼。皇直哉さん」


 リーダー格らしき男が宣言する。


「突然ですがこの飛行機は、我々の制御下に置かれました」




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『ああ、それからもう一つ』



 女が言った。


『あなたの活動、だんだんと目の敵にされ始めているわよ?』


 “活動”。

 ここで言うそれは慈善家皇直哉のものでなく——


「具体的にどいつだ?」

『「内閣情報調査室」「公安ゼロ課」「吟遊」「自衛隊特殊作戦群」その他。今はまだ放蕩息子で済んでいるけれど、ヒーロー化でもすれば直ぐに“対処”しに来るでしょうネ。あなたは表での人気も高いから、余計にね』

「ああ……そいつはいい」


 命を狙われ始めている。

 彼はその状況を歓迎する。


「奴らもようやっと、重い腰を上げ始めたか」

『ちょっとぉ?今度ばかりは本気で問題視されてるのヨ?内部で使用される符牒コードネームまで付けられちゃって』

「へえ?どんな?」



『“666クスィーズ”』

 

Ξクスィー?」



 直哉は右人差し指で宙に三本の横線を引き、真ん中にもう一本の縦線を描き入れる。

 それはΞの元となったフェニキア文字であり、彼が身に着けるバイザーの形と同様であり、


「“王”か、成程気に入った」


 皇直哉は、


 不敵に笑った。

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