執愛の灯

青頼花

第1話・湖面にて

 神と人が共存する灯界チョウカイ

 高位の人間一族は皆、神の寵愛を受けるため、誠心誠意、神に尽くしていた。


 一族の子息は、成人を迎える際にある儀式を行う。

 今宵は綺咲牙呂キサキカロ柊夜紗羅ヒイラギヨシャラの二人が、剣舞を披露して、お互いの腕を競いあっていた。

 お互いに髪を後頭部に高く束ね、剣舞用の袖が長め、裾が絞られた衣装に身を包む――紗羅は青と黒、牙呂は赤と黒、その若々しさと美しさを誇示している。

 花の精が見守る輝く湖上を、切っ先を振りかざした二人は刀身を交える。

 柊夜一族の子息紗羅は、この時を幼い頃より待ちわびていたのだ。


「綺咲牙呂! 我の剣技をしかと受け止めろ!」


 花明かりに照らされた刀身が光耀いて、一閃を放つ。

 その光の斬撃を、牙呂は易易と剣先で受けた。


「なっ」


 驚く紗羅の目に見えたのは、牙呂の剣先に花明かりが集中しているではないか。

 紗羅は驚愕に息を呑む。


「な、なぜだ!」

「卑怯だぞ紗羅! これで終わりだ!」


 叫ぶ牙呂は刀を天に向かって大きく振り上げた。

 見守る一族の面々は、牙呂の勝利を確信して歓声をあげる。


「卑怯な柊夜一族なんて滅ぼせ!」

「そうだ!」

「卑劣な方法で灯界にやって来た奴らは要らん!!」


 罵詈雑言を浴びせられる紗羅だが、低能な輩の言葉など歯牙にも掛けないと嘲笑う。


「能無しの老いぼれどもめ! 我が柊夜一族がうらやましくて仕方ないか! 牙呂を使って憂さを晴らしたいならその刃、受けてやろう!」


 挑発的な発言をする若造に、長達は火に油を注がれた勢いで声を荒げて、牙呂に奴にトドメをさせと繰り返す。

 比較的若い者達は様子を見守り、囁きあうか、押し黙っている。

 水しぶきがきらめき、牙呂の刀身に宿った。

 同時に牙呂の瞳が輝き、切っ先は防御した紗羅の剣を砕いてしまう。

 衝撃でふっとばされた紗羅は、湖面の上を滑り、胃液を吐き出しながら水の中へと沈みゆく。

 口の中に入り込む水は異様に冷たくて、水草のどろりとしたニオイが鼻孔を刺激した。鼻の奥がつんとする。


「ぐはっ」


 息をしようと湖面から顔を出すが、服が水を含んで身体が重くなっていく感覚に、心までもが死への恐怖に溺れゆく。


 ――ま、まずい……このままでは。


 手足を暴れさせるには体を包み込む水が重すぎる。

 口を開閉するたびに、水が胃に流れ込み、いよいよまともに息ができなくなってしまう。

 紗羅は薄目を開いていたが、真っ暗で何も見えず、永遠の牢獄に捕われた気持ちになった。

 すでに手足に感覚はなく、氷に閉じ込められたかのようだ。


 ――さ、むい。


 視界が閉じる最中、人影が泳いで近づくのが見える。

 紗羅の心臓は高鳴り、身体が温かくなった。息を吹き返すかのように頭がすっきりしてきて、血が沸騰する感覚に陥る。


「大丈夫か!?」

「ガボッ、かはっ……がはっ」


 牙呂に引き上げられた紗羅は、水を何度か吐いて止まらぬ咳に苦しんだ。

 紗羅の名を呼ぶ女人の声が傍で聞こえた。


「紗羅! 母がわかる!?」

「う、うん、母上」


 華やかに着飾った彼女は、母だと認識してか細い声ではあるが返事をすると、抱きしめられる。

 母の腕は力強いが震えていた。

 息子を傷つけた罪人を厳しい目つきで睨みつけて、冷たく吐き捨てた。


「なんて残酷なの! 勝敗は目に見えていたのに、まさか本当に殺そうとするなんて!」


 非難された牙呂は、深々と頭を垂れると謝罪を述べる。


「申し訳ございませんでした。私の未熟さ故に力の制御ができず、ご子息……我が友にあやうく取り返しのつかぬことを……」

「もういいわ! 誰か! この子を医術師に視せて!」

「はい! 奥様」 


 柊夜の使用人達が蟻のように群がり、紗羅を抱えて運んでいく。


 この件を機に、両家の溝はますます深まり、紗羅の心身に負荷がかかるようになった。


 灯界の人間一族の中では、二人だけが歳が近く、幼い頃から顔を突き合わせて勉学や武術の修練に励んできた。

 二人の師匠は同じなのに、明らかに牙呂の方が能力は秀でている。

 成人までに一通りの勉学や武術修練は終わりとなるが、紗羅は一度も牙呂には勝てなかったのだ。


 たまに、美しい文章を師匠に褒められて牙呂に見せびらかしてみても、素っ気なく返事をするだけでまともに相手にしない。

 見下され続けた紗羅の心は、いつしか彼の事で一杯になった。

 この苦しみが理解できず、もがき始めた幼い紗羅の夢の中で、ある存在が語りかけるようになる。

 金色に輝く光が囁いた。


『お前は、牙呂に恋をしている』

「な、なんで、そんな」

『やがて愛になり、苦しみは増すだろう』

「恋ってなに? わからない! 父上にきけばわかる?」

『己にしか分からない、だから、私は常にお前を気にかけよう。私は、お前が愛しい』

「あ、まって」


 金色の光が星空に飛び込み、消えてしまった。

 手を伸ばしていた紗羅の脳内で慈愛に満ちた声が響く。


 “怯える必要はない、お前はただ自分を受け入れれば良い”


 その言葉は幼い紗羅にはあまりに難解であり、呆然と星空を見つめる事しか出来なかった。


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