第4話 誤解〈佐久間レイヤ〉

「よかったわ。寝ている時だったら大変なことになっていたもん。初詣に行かなかったら大ケガしてたかも‥‥‥。お参りと御守りの列に並んで時間がかかったのが幸いだったわ。いきなり家内安全の破魔矢の効果かしら‥‥‥」


 凛花の部屋のシングルベッドで二人。


 さすがに凛花には、ネコの死骸以外のことを話した。


「だな。不動産屋に文句言わなきゃな。まだ保証期間だし、補修も全てして、俺のベッドと布団も弁償してもらわないと気が済まないよ」


「‥‥私がお風呂に入っている間に大変だったわね。さっきは怒ってごめんなさい。ゆっくり寝てね。明日は寝坊しよ。お休み、レイヤ‥‥‥」


 リモコンで照明を消すと、凛花は背中を向けて寝てしまった。


 俺も相当疲れたので寝てしまいたいが、目が覚めてしまって眠れない。


 しばらく目を瞑ったり開いたりを繰り返した。


 暗闇に目が慣れて、部屋の中が見えるようになっていた。


 凛花は、お参りと長風呂で体力消耗したのだろう。既にスースーかわいらしい寝息を立てている。


 俺が袋に入れたまま踊場の隅に置きっぱにしていた破魔矢が、いつの間にか凛花の部屋のチェストの上の壁に飾られていた。



 俺の部屋の天井の補修が終わるまで、ひとまず一階の空き部屋に引っ越そうと思う。


 念のため、3階と屋根裏は燻煙の殺虫剤をしよう。ホームセンターなら正月もやっているはずだ。


 明日のto doリストを考えていると、カチャリと小さな音がした。



 ──ドアが開く音?


 なにげにそちらを見た。


 ドアの閉め方が緩かったのか、ドアが少し開いてゆらゆらしていた。


 小さな音がカチャカチャ鳴って気にかかる。


 俺の横でスースー寝息を立ててる凛花。起こさないようにそっとベッドから下りる。


 きちんと閉めようとドアノブに手をかけた時。


「───えっ?」



 ドアのほんの少しの隙間にそれはあったんだ。暗闇に浮かぶ青白い顔半分。


 大きく開いた誰かの片目。



 目が合った。


 それは、ゆっくりと三日月型に目を細めた。


 ‥‥‥女?


 俺に嗤いかけたように見えた。



「ひっ‥‥!!」



 俺は腰が砕けて尻もちをついた。


 ついでに足がドアにガンっと当たって、心ならずも全開になってしまった。



「うわあああーーーっ!!」


「う‥‥んん‥‥あれ? レイ‥‥ヤ?」


 凛花の声寝ぼけまなこの声がしたが、俺の目線は開いたドアの向こうに。


 あれが部屋に入って来たらヤバい!


 だが、動揺し過ぎて俺は咄嗟には立ち上がれない。あたふたすってんの俺は、他人が見ていたなら、まるでコントだろう。


 心臓が口から飛び出んじゃないかってくらいバクバクしてる。



「そんなところに座って‥‥‥? レイヤ、どうしたの?」



 俺は暗闇を凝視しながら、なんとか尻を上げた。


 ここから見えるドアの向こうの範囲には何もいない。見間違い? さっき散々な目にあったせい?



「‥‥‥な、何でもないよ。ごめんね、起こしちゃって‥‥‥」


 恐る恐る廊下に首を出して左右上下確かめたけど、何もいない。



 俺はドアをきっちりと閉めた。ドアに背中をつけて大きく深呼吸。


 凛花のいる暖かい布団に潜り込む。



 さっきのは気のせいだ。きっと。俺は寝ぼけてたんだ。



 俺は凛花を抱き枕にして、その温もりが効いたのか、いつの間にか夢さえ見ない深い眠りに落ちていた。



 気がついたらもう10時過ぎていて、凛花は俺の腕の中からはとっくに消えていた。



 リビングに入った途端、ソファーでくつろいでいた凛花が俺の前に来た。


「明けましておめでとう! レイヤ。結婚してから初めてのお正月だね。うふふ‥‥」


「明けましておめでとう。今年も、これからもずーっとよろしくお願いします」


 お互いに頭を下げた。


 ふと、夕べのあの目が脳裏を過った。だけど、明るい日差しの差し込む部屋の中で凛花を目の前にして思うと、完全見間違いだろうと思う。俺は眠いのに眠れなくて頭がぼやけていたんだろう。



 ピンポーン‥‥‥


 インターカムが鳴った。モニターを見ると、隣の沙衣くんだ。元旦早々なんだろう? まさか新年の挨拶にわざわざ? それにしては髪はもさもさでラフな格好だし。


 俺はモニターを見ながら答える。


「はい」


「あの‥‥‥おはようございます。急にすみません。あの‥‥‥佐久間レイヤさんいらっしゃいますか?」


「私ですが」


「あっ、じゃあ奥さんは今いらっしゃいますか?」


「はい? ここにいますけど何か?」


 凛花が、『どなた?』と、後ろからディスプレイを覗いた。


「いえ、それなら。すみません。今年もよろしくお願いいたします」


「‥‥こちらこそ、よろしくお願いします」


「あ、では、失礼します」


 沙衣くん、一体何の用だった?



 それはすぐに判明した。


 後ろを向いた沙衣くんがモニターに映っている。その向こうに二見さんがいた。


 モニターを切ってはいないので、外の会話が聞こえた。


「大丈夫ですよ。奥さんの声も奥で聞こえました」


「そう。ならいいけど。だって、これって死体を包んであるみたいで気味が悪いわよねぇ‥‥‥」


「だけど死体をこれ見よがしにこんなところに置いておくわけがありませんよ。ホラー映画じゃないんですから」


「だって、大きさといい、形といい、まるでビニールシートに包まれた死体みたいじゃない?」


「‥‥まあ、確かにそうですよね。二見さん、佐久間さんはご夫婦揃ってますよ。これで安心してくれましたか?」


「新年早々ごめんなさいね、沙衣くん。でも、私たちのお隣のことだし‥‥まずは河原崎さんに相談してみようと思って」


「‥‥俺もここの家の佐久間さんとは挨拶くらいしかしたことないんで、状況はわからないです。では、俺はこれで‥‥」


「そうよね。何事もなければそれでいいわ。じゃ、ありがとうございました」


 二人の姿がモニターから左右に別れて消えた。




モニターが自動でフッと切れた。


「‥‥‥‥」


 凛花と顔を見合わせた。凛花がクスクス笑う。


「やっだ~、私が新婚早々レイヤに殺られちゃったと思われたのね!」


「う~ん‥‥その反対も想定してたんじゃないか?」



 どうしようか? さっさとゴミ焼却場へ持ち込んで処分した方がよさそうだな。


「レイヤ、4日からゴミ処分場が始まるみたい」


 同じことを考えてたらしい。凛花が携帯を見ながら言った。


「わかった。俺がクリーンセンターに車で行って、持ち込みで捨てておくから。たぶん、料金はそんなにかからないと思うよ」


「なんだか、この家に越して来てから、レイヤと水入らずで暮らせること以外、いいことあまり無いよね。あっちこっち老朽化してるし。この間はレイヤがいなくて一人の時だったけど、使用中のトイレのドアが勝手にカチャッて開いちゃってビックリよ。誰かいるのかと思って怖かったわ。やっぱ最初は新し目の賃貸にしとけば良かったかな?」


「でもさ、家賃払うのも馬鹿らしいだろ? 人の養分作るより自分の養分にした方がいいと思うんだよね。賃貸なんて、いくら払ったところで自分の資産にはなんないんだぜ?」


「そうよね。新築が良かったけど、まだうちらには無理だもん」


「‥‥えっと、俺らに子どもが生まれてさ、小学生になる前に建て直すか、リハウスすればいいんじゃないかな? ここ、ロケーションはいいと思うし、すぐ売れるさ」


「う~ん‥‥計画通りに行けばいいけど、当分無駄遣いは厳禁だね」


「‥‥‥凛花がいれば俺はいい」


「私も、レイヤがいればそれで。私は幸せよ。この幸せを絶対に守ってみせる‥‥‥」



 俺たちは今年初めての口づけをした。




 あっという間に三が日が過ぎ、凛花は4日には出社した。


 俺は午前中は半休を取って早速ゴミを捨てに行くことにした。


 駐車場から家の正面に車を出し、あの忌々しい布団を抱えて積み込もうとしているところに二見さんが玄関から出て来た。


「あら、佐久間さん、お出かけですの?」


「はい、ゴミを捨てに処分場まで」


 これって、二見さん、俺が出掛けようとしてるの見計らって出て来たよな。元旦の朝からわざわざ沙衣くんに頼んで探らせたり、よっぽどこれの正体が気になるのだろう。


 おかしな妄想をされておかしな噂を流されたら大変だ。やはり彼女は地主の家系で、この一画の土地は、彼女の父親が昔、一般向けに切り売りした区画だということを引っ越してひと月たった頃、不動産屋経由で知った。



 地元の有力者の家柄だ。しかもお喋りなマダム。このままでは危険だ。


 俺は事情を話しておくことにした。だがもちろん、黒ネコの死骸のことは言わないでおいた。


 ゴミと一緒に捨てることになってかわいそうだけれど、あれではどうしようもない。




「まあ! そんなことがあったのね‥‥‥。屋根裏に動物が入り込んでいたなんて。実はね、茉莉児まりこさんが住んでらした時に‥‥‥今だから言ってもいいかしら?」


「あの‥‥‥?」


「家に幽霊が出るって言っていたのよ。女の幽霊がいるって。それってその動物のせいだったのね。私ね、新しい人が越して来たからどうなるのかしらって実は心配していたのよ」


「‥‥‥え? そうだったんですか‥‥‥」


「ええ。今回は佐久間さんには災難だったけれど、幽霊より動物の方がまだ全然いいと思うわ」


 二見さんは口許に手を添えて、ひとりお上品にクスクス笑った。


 だがその目の奥は決して笑ってはいない。俺を探るような?


「それじゃ、佐久間さん、ゴミ捨てに行くのよね。引き留めてしまってごめんなさいね。気をつけて行ってらしてね」


「どーも‥‥ありがとうございます‥‥‥」


 にこやかに家に戻って行った二見さん‥‥‥



 やめてくれよ‥‥‥女の幽霊って、俺が見たあれって‥‥‥?


 いや、ただの見間違いだって。



 俺はもやもや憂鬱に包まれたまま運転席に乗り込み、エンジンをかけアクセルを踏んだ。




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