第3話 災難〈佐久間レイヤ〉

 俺はすっかり目が覚めてしまって2階のリビングに下りると、凛花はキッチンでブランチの用意をしていた。


 さっきの二見さんと沙衣くんの立ち話は、凛花にも聞こえてた?


 越してきたばかりの俺らにとっては縁起が悪そうだし、知らなさそうなら凛花には黙っておくつもりだ。



「おはよう、凛花」


「おはよう。ゆっくり休めた? サンドイッチ作ってたの。すぐに出来るから座ってて」


「わお、美味しそう。じゃ、俺はコーヒー入れるから。凛花はカフェオレ?」


「うん。ありがと、レイヤ」


 いつもの凛花の笑顔。


 ここにいたのなら換気扇の音もうるさいし、外の声は聞こえてなさそうだ。良かった。凛花は知らなくてもいいことだし。



 その日、俺たちは家から一歩も出ずに二人でのんびり過ごした。




 その日の真夜中に、俺は目を覚ました。


 ガタガタガタッ‥‥‥ガタンッ‥‥‥カタガタガタ‥‥‥バタバタッ‥‥


 天井裏から物音が響いて来た。



 俺の部屋にノックが響いた。


「ねぇ、レイヤ。起きてる?」


 凛花も起きたみたいだ。


 狭い廊下を挟んで向い合わせの俺たちの部屋のドア。


 俺もすぐさまベッドから出て上着を羽織り、ドアを開ける。急に明るくなって目が痛い。


「聞いた? 泥棒かも‥‥‥」


 凛花が不安げに俺の左腕を抱きしめた。


「泥棒がこんな音を立てるわけないよ。しかも屋根裏って‥‥‥」


「‥‥‥小説みたいに誰か住んでたりして?」


「この音、人間じゃないだろ。もっと軽い感じ」


 未だに続く音。



 俺は自室に置いてあるくるくる巻かれた筋トレのためのヨガマットで、天井をドンッと突いてみた。


 ダダダダッと何かが駆け抜ける音がして、やがて静まった。



「‥‥何かの動物?」


「みたいだな。大丈夫、明日も俺は家で仕事出来るから、業者呼んで見て貰うよ」


「ありがとう。はぁ~‥‥‥また、お金かかっちゃうね。あの‥‥今日は一緒に寝てもいい?」


 凛花に言われて断ることなんてあるわけない。


「来る? 俺が行く?」


「私、枕を持って来るね」



 翌日、害獣駆除業者を呼ぶと、屋根裏に生き物が入り込むことはよくあるらしくて、外壁の僅かな隙間から夜な夜な動物が入り込むことは住宅街でもわりとあるらしい。屋根裏に知らぬ間にコウモリが住み着いていたり、巨大な蜂の巣が出来ていたりとか。


 ハクビシンという動物が濃厚だと説明されて、外壁チェックをされた。


 あちこちについている換気口をチェックし、外壁の怪しい箇所は、シールドして貰い、後は様子をみることにした。




 あれからひと月経ったが、それからは屋根裏から物音はしていない。



 しかしまた一つ、問題が出て来た。


 俺の部屋のベッドの上辺りの天井のクロスの一部が変色して来たのだ。人間の持つ視覚効果のせいか、人の顔っぽく見えてしまう天井のシミの形。



「雨漏りかしら?」


「でも、この間の大雨の日にも水が落ちて来てはいなかったし‥‥‥。壁は張り替えたけど、天井のクロスは張り替えてないから古いし、汚れが浮いて来たのかな?」


「そうね。出費がかさむけど、年末のボーナスを貰えるから、年明けには直そうよ。寝るとき気になるでしょう? ちょうど目に入るし」




 しかし、それでは間に合わなかった。




 大晦日。夜の11時半を回ったところだった。凛花の要望により、二人で初詣に行くことになった。


 有名な神社は混むから、近くの地元民しか来ない小さな神社に。


 それでも結構混んでいて、長い列に並ぶことになった。


 やっと俺たちの番が来た。鈴を鳴らし賽銭を入れて祈る。


 凛花と結婚出来て俺は幸せだ。このままずっと凛花といられますように‥‥‥




「ねえ、何を祈ったの?」


 今度は御守りを頂く列に並びながら凛花に聞いた。白い息を手袋の指にはーっと吐いてから、凛花が微笑む。


「内緒! たぶん、レイヤと同じことかな?」


 こんなに可愛らしい笑顔を向けられて、何だか恋人同士だった頃に戻ったみたいで照れてしまう。


「‥‥えっと、どの御守りにしようか?」


「そうね。引っ越して間もないし、家内安全のあの破魔矢なんてどうかしら?」


「破魔矢か。凛花は高校では弓道部だったんだよね。だからだろ?」


「それもあるかも。私、これでも2段なのよ。懐かしい、うふふ‥‥‥」


「ふふ、凛花の腕は細くて折れそうにへなちょこなのにな」




 家に戻った時には体が冷えきっていた。


 出る前に風呂は用意してある。


「凛花、先に風呂に入っていいぞ? 冷えただろ」


「ありがとう。なるべく早く出るから! 30分以内には」


「了。じゃ、越えたら俺も入るからな。よーい、スタート」


 俺はスマホの時計を見る。もうすぐ夜中の1時だ。


「ええっ! 今から? 帰って来て玄関入ったとこじゃない。ひっどーい!」



 凛花は慌ててブーツを脱ぎ、階段をかけ上がる。


 俺としては慌てて欲しくは無かったのに。




 俺が手を洗い、階段を上ろうとした時に、凛花はかけ下りて来て、風呂場に直行した。


「お先にごめんね~」



 俺は破魔矢が納められた紙袋を持ったまま、着替えに自室へ向かう。


 ドアに手をかけた時、なぜか背筋がぞわっとした。


 寒いところで列に並んで芯まで冷えてしまったからか‥‥‥? いや、そういうのとは違う、身の毛がよだつような。気のせいか?


 ‥‥‥うっすら臭いがする。生ゴミが腐ったような‥‥‥?


 俺がドアを開けると、虫の羽音。開けた途端に俺の顔にコツンと羽虫がぶつかって来た。


 ブーン‥‥‥ブーン‥‥‥ブーン‥‥‥キーンキーン‥‥‥


 幾つもの羽音。


 妙なざわめきを感じる。


 壁の照明スイッチを入れた。



「うわーーーっ!!」



 俺のベッドの上が大惨事になっていた。


 ちょうど普段、俺の寝ている頭の辺に天井が抜け落ちていた!


 しかも、それだけじゃない!


 無数の虫が蠢いている。


 なんだろう? これは?


 たぶん、動物のフンだ。山盛りになってる。


 そしてフンに紛れた‥‥これはネコの?



 死んだ動物の体にウジが湧いている。


 黒い毛皮はそっくり残り、目玉を無くした眼窩がんかと開いた鼻口で、おしくらまんじゅう状態でうねうねと蠢く無数の白い小さな生き物‥‥‥



「うぐっ‥‥‥」


 一気に吐き気を催した。



 天井のシミの正体はこれだったんだ!!


 動物の死骸と糞尿がたまって、天井の板が腐って抜け落ちたんだ! くっそ!!


 ベッドから下りて床を歩いている黒くて小さな見たことが無い虫。俺の布団には粉を振ったようなダニが広がり、小さな蜘蛛たちが、捕食している。部屋中に大小のハエがブンブン飛んでいる。


 一旦出てドアを閉めた。心臓がバクバクしている。



 あれ、どうしよう‥‥‥


 こんな新年を迎えるなんて最悪だ! 不動産だって業者だって休みだ。自分で片付けるしかない。くっそ! 最悪だ‥‥‥



 そうだ! 夏に凛花と海に行く時に買ったきっちりファスナーで出入口が閉まるシェルター式のテントが1階の空き部屋に置いてある。あれに布団ごと押し込んでしまえ! 後は殺虫剤と雑巾と、ゴミ袋にゴム手袋と掃除機と‥‥‥



 もう、俺は必死だった。


 あれが家中に広がってしまったらたまったもんじゃない。


 俺は決死で部屋に再び入り、窓を開け放つと殺虫剤を撒きまくり、むせながらシーツごと全て丸めてテントに押し込めた。こぼれた破片もゴミ袋に集めてからテントに突っ込んで口を閉める。


 掃除機を隅々までかけ、雑巾がけ。


 時計を見ると、あと15分で真夜中の2時。丑三つ時だ。


 黒い口を開けた天井の穴が不気味だ。


 再び一階からピクニックシートを探し出し、踏み台用の脚立に乗ってガムテープで天井に張り付けた。



 なんてヒドイ年明けだろう。ここまで酷い新年は生まれて初めてだ。


 家の中にこれを置いておくのは嫌だ。


 俺は布団の詰まったテントをぐるぐる巻きに紐で結んで、なるべく小さくして玄関横の駐車場の車の脇に転がしておいた。


 

 残った殺虫剤を中に吹き込んで置いたから、虫はみんな死んでくれたと思いたい。



 ようやく片付け終わった。


 早く風呂に入らなければ気持ち悪い。


 そう言えば凛花はまだ風呂に?



 俺は玄関の鍵を閉めてからそのまま風呂場に向かうと、凛花が髪を乾かしているところだった。


「ずいぶん長湯だったな。大変だったんだ。あのさ‥‥」


 俺が声をかけると、なぜか不機嫌に顔をそむけられた。



「レイヤ、30分したら来るって言ったのに」


 俺の話に被って、冷たい口調のこの言い様。



 凛花はずいぶん温まったようで、真っ赤に蒸気した頬。


 長湯して俺をずっと待ってたらしい。


 ドライヤーを終えると、ツンツンしたまま階段を上って行った。



 今の惨事を話そうと思ったのに、あんな態度をとられて、言いそびれてしまった。



 なんて不運の連鎖。あんなことさえ起きていなかったら今ごろは凛花と‥‥‥



 あー、天国と地獄だ。



 されど俺は、今はそれどころじゃない。思い出すと体がもぞもぞする。履いていたスリッパも、自分の部屋を出る時ゴミ袋に入れて捨てた。


 次は着ていたものを全部脱ぎ捨て、すぐに洗濯機を回す。



 そのまま風呂場に入って、速攻頭から湯を浴びた。


 


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