1991年のバレンタイン・デー(全3話で5000文字程度の短編)

夕奈木 静月

第1話

 隅石怜すみいしれいというおかっぱ頭の女の子がいる。僕のクラスである5年1組の学級委員長であり、真面目が人の形をして歩いているような子だ。


「うわあっ! 隅石が恋愛小説読んでるっ!」


 20分休憩中、落ち着きのない男子の一人が叫んだ。当時は小学校の図書室にさまざまなジャンルの本が増えてきていた頃だった。隅石さんは少女向けレーベルの恋愛小説を借りて読んでいたのだ。


 いや、別にダメじゃないだろう、と思いつつも、意外だなと僕自身も感じた。彼女は恋愛とか、ロマンスとか、そういうものに女子のなかでいちばん興味がなさそうな印象だったからだ。


「でも、ほんとはお前も興味あるんだろー?」


「んなわけないだろっ」


 その後もしきりに男子同士で茶化ちゃかしあっている。


 実は、遠目に見ている僕はかなり興味津々だった。


 家で妹に借りた少女漫画をよく読む。でも妹は活字をあまり読まないから、ほとんど本を持っていない。だから少女向け小説というものは読んだことがなかった。


秋川あきかわくん、興味あるの?」


 隅石さんに突然呼びかけられた。文庫本から目を離し、僕を見ている。


 まずい。無意識のうちに凝視ぎょうししてしまったようだ。


 まっすぐで、純粋げな瞳。穿うがった見方をしていた自分が恥ずかしくなった。


「ち、違う……。いや、ちがわな……な、なんでもない。ごめん」


「謝ることないよ? 読みたかったら言ってね?」


「う、うん……ありがとう」


 焦る僕とは正反対に、隅石さんの対応はすごく大人だった。いや、正確には大人だと感じた。


 この年代の男子は限りなく子供そのもので、女子は相当大人びているものだ。そして僕はこのことを案外すんなり受け入れることができていた。周りの男子たちは何かにつけて女子に対抗してやろうと躍起やっきになっていたけれど。




 翌日の休み時間。


「秋川くん。これ、よかったら」


 隅石さんに文庫本を差し出された。昨日彼女が読んでいたものだ。カバーの絵に見覚えがある。


「え? いいの?」


「うん。興味ありそうだったから」


 周囲の目を気にしながら本を受け取った。


「あ……ありがとう」


「おーい、秋川が女子向けの本読んでるぞー」


 悪気はないのだろうが、男子たちは当然のごとくはやし立てる。


「べ、別にいいだろ」


 僕は開き直って机に座り、ページを開いた。



 

 三日ほどが過ぎた昼休み、隅石さんに礼を言って本を返した。


「どうだった?」


 隅石さんは待ち構えていたように訊いてきた。


「普通に楽しかったよ」


「普通?」


「あ、いや、すごく面白かったよ。その……普通っていうのは、女の子向けとか関係なく男の僕も楽しめたってこと」


「そっか」


 隅石さんは少し砕けた口調になり、花が咲くようにんだ。


 その笑顔をまるで僕にだけ見せてくれたようでドキドキした。それに、彼女と同じ物語を体験したせいか連帯感のようなものまで感じる。


 じわじわと胸にせり上がってくるやわらかな高揚。それはあたたかく、優しく僕の心を包んだ。


「お前らどうしたんだー? ま、まさか……つきあってんのかー?」


 数メートル先の男子たちが僕らをからかう。でも少しも気にならず、それがまるで別世界の出来事のように思えた。彼らはフレームの中のモノクローム写真のごとく色を失くして冷たくなっていた。


「また、おすすめとかあったら教えてくれない?」


 僕はごくごく自然に隅石さんに頼んでいた。


「うん……! ところで秋川君はどんな本読んでるの?」


 隅石さんもまた、普段の落ち着いた様子からは想像できないほどに紅潮した表情を見せる。僕には本が好きな友達がいなかったから本当に嬉しかった。















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