第17話

 ハイデマリーに後方から押しつぶされたカサンドラは、胸の前は紅茶でびちゃびちゃ、額から髪の毛にかけてはケーキでぐちゃぐちゃ、起き上がった事で頭のケーキが額から伝い落ちて、それはもう酷い有様となっていた。


 大笑いしながらも王子としての立場を忘れないアルノルトは、自分の上着を脱いでカサンドラの肩から包み込むようにしてかけると、指先で顔にこぼれ落ちたクリームを掬い取り、そのクリームを口に運んで大きく目を見開いた。


「これは・・・シャルテールのクリーム」

 王家御用達にもなっているシャルテールは、ホールケーキなら一ヶ月前でも予約が取れないと言われている人気のケーキ店であり、甘いケーキがそれほど好きではないアルノルトが唯一好んで食べるのがシャルテールのクリームケーキ。

 見た目はクリームでデコレーションした普通のケーキとなるものの、そのケーキの中にはふんだんに旬の果物が盛り込まれており、さっぱりとした味わいのためアルノルトはとても楽しみにしていたのだった。


 テーブル中央で潰れたケーキを眺めたアルノルトは大きなため息を吐き出すと、

「今日はケーキではなく羊羹の日だったのだな・・・」

と、自分を納得させるような形で一人呟いたのだった。


「なんだか嫌な予感・・・」

 鳳陽国の皇族が食べるデザートの中に、豆に大量の砂糖を加えて煮込んで固めた『羊羹』なるデザートが存在する。

 豆は豚の脂身とニンニクと塩で煮込んで食べるクラルヴァイン人にとって、豆料理は塩っぱいものという固定観念があるため、甘く煮た豆を食す習慣がない。


 カサンドラは『羊羹』が大好きなのだが、クラルヴァイン王国では好んで食べないため、普及することはないだろう。

 普通には買えないし、料理人も作らない『羊羹』をアルノルトは作る事が出来る。元々が料理男子だし、本国を訪れた際に、料理人から作り方を直接教えて貰ったからだ。

 普段、肉料理しか作らないアルノルトがデザートを作る時には、カサンドラに対して何かしらのお願いがある事を意味する。


「よし!今日はこのまま帰ってしまおう!」

 カサンドラの背中に腕を回し、膝の下に手を通したアルノルトがカサンドラを抱えあげると、周囲から黄色い悲鳴が巻き起こる。


 後の始末を側近のクラウスに任せて颯爽と歩き出したアルノルトの、王子様らしい整った顔を見上げたカサンドラは、

「ここは、頭からずぶ濡れのハイデマリー様をお姫様抱っこする場面では?」

と、心底納得いかない様子で声を上げた。


 カサンドラの頭の中では相変わらず悪役令嬢が王子にこっぴどく振られる事が決定事項となっており、王子の真実の愛とやらを得る人物は、ポッと出の明るく楽しい少女という事になっている。


 最近では、編入してきたハイデマリー・フェヒト子爵令嬢がヒロイン枠に収まっているようなのだが、アルノルトはその妄想に乗っかってやる気はさらさら無かった。


「頭からビショビショの朗らか子爵令嬢よりも、今はお前の方が私には必要なんだ」

「なんなのです?一体何があったのですか?殿下が羊羹をこさえる程の重要案件が起こるはずないのですけど?」 

「アルマ国から王女が留学してくる事になった」

「えええ?」

「エルハム・ゴーダ王女が今日の夜にも到着するらしい」

「はあ?」

「だからな、お前は私の婚約者として、王女が滞在中は王宮に滞在してもらいたい」

「えええええ?」


 近隣諸国にアルノルトと年齢がピッタリと合う王族は存在しない、しかし、新大陸には存在した。

 新大陸の玄関口とも言われているアルマ公国には年齢がピッタリと合う王女が存在した。アルマ公国は美と愛の国とも言われており、アルマ美人といわれる目鼻立ちの彫りが深い美女が多く存在する。


 愛を掲げる国なだけに、男女の恋愛も過激で激しく、女性から殿方の寝所へ夜這いに行く事も一般的に行われるし、アルマ公国滞在中に、アルノルトは三度ほどエルハム王女に寝込みを襲われかけている。

 ここで王子の護衛の兵士が王女の夜這いを阻止してしまえば『野暮』という事になり、クラルヴァイン王国の心象は著しく悪くなる。エルハム王女が恥をかかされたとされるし、新大陸との貿易に大きな支障をきたす事にもなってしまうのだ。


 それでは王女の夜這いがもしも成立したとすると、例え二人の間に行為があるにしろ、無いにしろ、既成事実が作られて、アルノルトは王女と婚姻しなくてはならなくなる。

 クラルヴァイン王国としては、周辺諸国の王族との婚姻政策を進めるという事であれば一考に値するものの、新大陸にある公国相手となると尻込みしてしまう。

 人種や文化が違いすぎるからだ。


「そこでまた私の出番ですのね?」

 護衛の兵士が邪魔をすればそれは『野暮』という扱いになるのだが、婚約者であるカサンドラが邪魔をすればそれは正当な『権利の主張』となる。

「はーーーーーーっ」


 カサンドラがため息をついているうちに、ケーキまみれのまま馬車に乗せられて王宮へと向かう事になったのだった。

 ケーキまみれのカサンドラは王宮に到着しても、アルノルト王子によって運ばれ続け、王子の私室へと連行された。


 最近になってアルノルトは王太子の部屋へと移動をした。

 中央が寝室となっており、左右に王太子、王太子妃の部屋が続き部屋となっている。

 ちなみに二人は同室でしばらくの間、一緒に寝るという事になる。

 親善の為にアルマ公国を訪れた時にもカサンドラは寝室が王子と同室だった。

 何故かというと、隙をついてエルハム王女が侵入してくるし、なんなら媚薬を使って強制的にことに及ぼうとするからだ。


「カサンドラ様!一体どうなさったのですか?」

「どうしてこんな事に!」


 ケーキまみれのカサンドラをようやっと降ろしたアルノルトは、

「身綺麗にしてやってくれ」

と言って、部屋の外へと出て行ってしまったのだった。

 その後ろ姿を見ながらカサンドラは呟いた。


「キスやハグはないけど、寝室は一緒だなんて、とてもじゃないけど二人には言えないわ」

 カサンドラとアルノルトは完全なるお友達の距離感を保っている、二人の間に色気なるものが一切ない。


「やっぱりここでヒロイン(ハイデマリー子爵令嬢)を連れてくるべきなのか・・だけど、子爵令嬢じゃあ、王女を撃退する事は出来ないものね・・・」

 カサンドラの中ではヒロイン(ハイデマリー)はアルノルトの恋人になっているようだった。

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