非現実の王国で(コラム)

 最近は特にエッセイに書けるようなこともなかったので、何も書いていませんでした。

 ずっと新作のプロットに向き合っていたんですね。

 だいぶ複雑になってきて、プロットの段階で1万字くらいいきそうですし、同じ小説を2回くらい書くことになりそうな気もしています。

 そして、その上でその原稿を捨てる可能性も十二分にあります。

 詳細なプロットを書いて、ギリギリの整合性をとったところで面白いかどうかはまた別ですからねぇ。

 でもそれでいいかなっていう気もしてるんですよ。自分が書いていて楽しかったら。


 なぜか?

 それが今日の本題『非現実の王国で』の話に繋がります。

 ご存知ですか? これ小説のタイトルです。

 正確には『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』という作品なんですが。

 ちなみに私は読んでいません。

 ドキュメンタリー映画は観ましたけどね。

 読みようがない、というのが本当のところです。

 プルーストの『失われた時を求めて』なんかと並んで、尋常ではなく長い小説として有名な作品なんですが、どんな言語でも本文全ては刊行されていません。

 15000ページあるらしいんですよね。挿絵は300枚。当然邦訳もされてないので、邦訳されたとして何ページになるのかわからないんですけど。(小説全文ではないですが、大型の解説本は出てます)


 この作品はアウトサイダー・アートの代表作とされていて、著者はヘンリー・ダーガーさんという人です。

 ダーガーということになっているんですが、ダージャーだったとかいう説もあります。彼と話したことある人たちみんな違う発音で呼んでいて、本当のところ、名前の綴りをどう読むか誰も知らないまま亡くなったってことらしいです。

 なんで、そんなことになってるかというと、非常に厭世的な人でずーーーーーーーっと家にこもって、たった一人で15000ページ・300枚の作品を自分一人のためだけに書き続けて、一部はちゃんと製本して書籍の形にしてたんですが、誰にも小説を書いていたことを明かさなかったそうです。

 天涯孤独な人だったので、最後に老人ホームに入ることになって、大家さんに家のものをどうするのか訊かれた際にも「Throw away(捨てていい)」と答えたといいます。

 でも、大家さんが彼の部屋を整理をしていて、作品を見つけた時に捨てなかったんですよね。すごいものだって思ったそうで。

 今ではニューヨーク近代美術館とかパリ市立近代美術館といった色んなところに収蔵されています。

 で、アウトサイダー・アートの研究対象にもなって、今では割と知る人ぞ知る有名人なんですが……どうなんでしょうね。本人としては。

 最後に数少ない知人がお見舞いに来た時に「作品見たよ。すごいね」って言ったときに「Too late now」とベッドに伏せたまま返したそうです。

 私はこれをどう解釈したものか、今でも考えることがあります。


 まぁ、何が言いたいかというと、ヘンリー・ダーガーの存在とか『非現実の王国で』を自作が評価されない言い訳とか失敗作に向き合うことから逃げるのに使うのはよろしくないんですが、誰にも評価されなくても自分が楽しかったらそれはそれで良いことなんだ、価値があるんだって思って何かを作るっていうのは大事なことなんじゃないかなと思うってことですね。


 作品と著者でそれぞれ別項目が立ててありますので、Wikipediaを読むだけでも色々と発見や思うところもあると思うんですが、映画や書籍もご覧になるとよいかと思います。


 ではでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る