01-02 誰も居ない家に

 新年度を迎え、私は新しい研究室へ移った。

 担当教授は変わったが、今までの研究を続けさせてもらえる事となり、今日は一通りの実験環境を整えて、夕飯前に帰宅した。


 アパートに着くと、玄関扉の前で、また詩織が膝を抱えてしゃがんでいる。

 しかし、私を見るなり深く頭を下げて帰ろうとした。

 ……なんだろう、ただ事では無いように感じた。


 私は慌てて声を掛けた。

「何か、あったんですか?」

「……」

 詩織は、ただ黙って下を向いている。


 私は再び詩織に訊いた。

「何があったんです!」

「……学校から帰ってきたら、部屋に空き巣が入って、荒らされていました」


「空き巣?……警察へは?」

「私が警察に連絡して、今、母が現場検証に立ち会っています」

「……そう」


「母から『後は私が対応するから、しばらく外出してなさい』って言われて、行くところが無いもので、ここへ来てしまいました」


 詩織さんの母は、詩織を引き取ったにも関わらず、詩織に1人暮らしをさせている。

 その事が問題にならないよう、詩織に外出させたのだろうか。


 ……空き巣。

 つい先日、大学の研究室にも空き巣が入った。

 そして今日、空き巣が入った詩織の家は、浅野教授の家。


 こんな偶然、あるのだろうか?

 そんな事を考えていると、詩織のスマホが鳴った。


 相手は母親で現場検証が終わり、荒らされた部屋を片付けたとの事。

 母親は、一緒に暮らしている男性の所へ戻るとの連絡だった。


 詩織は私に挨拶した。

「それでは、私も家へ戻りますので、ご心配をお掛けしました」


 ……この子が家に帰る。

 今日、空き巣が入った家に。

 誰も居ない家に。

 怖いはずだ。


「あの……」

 とっさに声を掛けてしまった。


「せっかくだから、夕食でも一緒に……食べていかない? 何かつくるよ」


 ……未成年の少女が1人で住んでいる家に空き巣が入った。

 その少女を、知り合いの私が一時的に保護した。

 ただ、それだけの事だ。


 その時、詩織が見せた切なくも嬉しい表情が、私のこの先を大きく変えてしまうのだった。


 私は、詩織を部屋に入れた。

 女子中学生が好みそうな物という事で、オムライスを作る事にした。


 フライパンにサラダ油を引いて、スライスしたタマネギと塩少々を入れて炒める。

 それに冷蔵していたご飯と少量のケチャップを入れ、ご飯をほぐしながら混ぜる。

 ポイントは、ケチャップ少な目。薄く色が付く程度。


 それをお皿に移し、再びフライパンに油少々と卵2個と大さじ1杯の水を入れてかき混ぜる。

 卵の底が固まってきたら、さきほどのケチャップご飯をその上に乗せ、その上から皿を乗せてひっくり返す。


 卵の生地を整え、上からケチャップをかける。

 サラダを添えて出来上がり。

 男1人暮らしの手抜き料理である。


 そんな粗末なものであるが、詩織は嬉しそうに食べてくれた。


 私の料理を食べ終えた詩織は、私に尋ねた。

「あの……またここへ来ても……いいですか?」


 ……女子中学生が1人暮らし。

 心細いはずだ。

 さすがにその時、ダメだとは言えなかった。

「……ああ」


 そして付け加えた。

「外で待っていると、近所から不審に思われてしまうから、部屋に入って待っていて」

「はい」


 私は、この部屋の合鍵を渡した。

 詩織はそのカギをお守りのように、胸の前で握り絞めていた。


「じゃあ、そろそろ帰りましょう」

 さすがに、泊める訳にはいかない。


「……はい……今日は、本当にありがとうございました」

「いいえ」


 そして私は、詩織を帰した。


・・・・・・


 私は大学の研究室で助手としての仕事をしながら、自分の研究を進めている。

 研究のテーマは、電磁波の絞り込み。


 光は、発散する。

 しかし単一波長で位相を揃える事で、広がらない光線(レーザー光線)を作る事が出来る。


 同様に電磁波に於いても、広がらない電磁波線が作れると考え、その研究を進めてきた。

 試行錯誤の末、広がらない電磁波線を作る事に成功した。


 これによって、遠方の受信機に、効率よく情報を送る事が出来る。

 しかし、それを発表する予定の先生が行方不明となり、発表は延期となった。


・・・・・・


 5月のゴールデンウィークが終わり、研究室でのデータ取りを終えてアパートに戻ると、部屋の電気がついていた。

 ……消し忘れた?


 玄関扉を開けると……あれ?

 散らかし放題のキッチンが、綺麗になっている。


「おかえりなさい」

「あ……詩織さん」

「あの……キッチン、お掃除しました。いけなかったでしょうか?」


「いやぁ、綺麗になって……って、あのねぇ!」

「勝手な事をして、ごめんなさい!」

「……で、また何か、起きたんですか?」


 詩織は下を向いて、恥しそうに答えた。

「いえ、ただ……里中さんに……会いたいな~と……思いまして」

「……」


 まあ、中学生が1人暮らし、心細いのだろう。


「何か暖かいもの作るから、それを飲んだら帰りましょう」

「……はい」


 私は、少量のお湯に抹茶を溶かし、牛乳と砂糖を入れて電子レンジで温めた。

 詩織は、私の作った抹茶ラテもどきを嬉しそうに飲んでいる。

 ゆっくりとそれをかき混ぜながら、詩織は私に訊いた。


「あの……また来ても……いいですか」

「いや……別にいいけど……ここへ来ても、詩織さんにとって何もありませんよ」

「……」


「詩織さん、中学2年生になったよね。学校の勉強、きちんとしていないと、中3になってから大変ですよ」

「……」

 詩織は、下を向いてしまった。


 ……ああ、ちょっと、意地悪な言い方をしてしまった。


「あ、もし良かったら、ここで勉強しない?」

 詩織は顔を上げた。


「うん、解らない所があったら教えてあげよう」

「本当ですか!」

 詩織は、ぱぁっと明るい笑顔を見せた。


「ああ……じゃあ、今度来るときは、勉強する準備をして来て」

「はい……あの……では私は、里中さんの身の回りのお世話をさせていただきます」

「えっ?」


「お食事の用意したり、お掃除したり……私、通い妻になります」

「いや~……」


 その時の私は、この嬉しそうな笑顔を壊せなかった。

 中学2年生。

 夫婦ゴッコに憧れる時期なのだろうか。


 どうせ1週間もすれば、夫婦ゴッコにも冷めて、ここへは来なくなるだろう。

 その時の私は、その程度に考えていた。


 時計を見たら、20時を過ぎていた。

「あ……こんな時間……」

「大丈夫です。私の家、ここから近いんです」


「……ああ……じゃあ、駅まで送る」

「……はい」


 まあ、私の友人も、中学生の女子を相手に家庭教師のアルバイトをしている。

 それと同じようなものだ。


 その時は、そう思っていた。


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 次回:それによって何が生まれる

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