第23話 しっかりして下さい!

「奥様、旦那様を知りませんか?」


 朝食後、廊下を歩いていると、旦那様の側近であり、側近の中では唯一、旦那様の声が聞こえない方であるラムダ様に声を掛けられました。

 昨日の晩から旦那様にはお会いしてませんので、たぶん、犬になってはおられないでしょうから、正直に答える事にします。


「いえ、知りません。朝食の席にもいらっしゃいませんでしたよ?」

「そうですか。失礼しました」


 ラムダ様は深々と頭を下げて、もと来た道を戻っていかれます。


「旦那様、どうかされたのでしょうか?」

「わかりません。気になられる様でしたら、後で、様子を見に行かれてはいかがです?」

「でも、あまり頻繁に会いに行きますと、お仕事の邪魔になるでしょう?」

「触れられない様にしておけば、奥様が会いに来てくだされば旦那様も喜ぶと思いますが」

「かといって、お仕事中に押しかけるのもどうかと思うんですよ」


 ビーク様達は私が来る事を嫌がっておられませんが、仕事が出来なくなる事は困っておられます。

 ただ、犬化しては困るので、私に近付かないで下さい、と言うと、ショックを受けた様な顔をされるのですよね…。

 言い方が悪いのでしょうか。 


「もし、奥様が嫌でなければで良いのですが、一つ、提案させていただきたいのですが…」

「何でしょう?」

「旦那様と寝室をご一緒にされたらいかがでしょうか?」

「寝室をですか!?」

「ええ、そうです。それなら、旦那様が…になっても困りませんよね?」


 私の部屋に向かう途中の廊下での話ですので、ジャスミンは言葉を濁して聞いてきました。


「それはそうかもしれません。あとは寝るだけですものね…。となりますと、新しい寝間着を用意しなければなりません」

「もっと、セクシーなものに、ですか?」


 なぜか、ジャスミンの表情が輝いた気がしましたが、気にせずに首を横に振って答えます。


「露出の少ないものに変えなければなりません。そうしないと、旦那様は私の方を見てくれませんから」

「どういう事です?」


 ジャスミンが訝しげな顔をするので、私の部屋に戻ってから、詳しい話をしてみると、小さく唸ってから首を横に振ります。


「旦那様は恥ずかしがっておられるだけだと思います。こんな事を聞くのは失礼かと思うのですが…」

「何でしょう。質問を許しますよ」

「奥様は普通、貴族が結婚した後の初夜は何をされるかは知っておられますよね?」

「そ、それはもちろん知っておりますよ! 一応、それについての話は聞いております! もちろん、体験した事がありませんので、はっきりした事はわかっておりませんが!」


 お嫁に行く前に詳しくは教えていただきましたが、初日の旦那様の発言により、そんな事はすっかり忘れておりました。

 でも、考えてみたら、旦那様と私はそんな事はできませんし、焦らなくても良いですかね?


「旦那様もいつまでも照れてばかりいられては困りますし、慣れていっていただかねばなりません。エレノア様、これは旦那様の為です」

「は…はい。旦那様の為に、何をすれば?」

「寝間着は露出の多いものに変えましょう!」

「ジャスミン! 意味がわかりません! どうして旦那様が嫌がっている事をしようとするんです!?」

「それが旦那様と奥様の為になるからですよ!」

「意味がわかりません!」


 言い返すと、ジャスミンが両手を胸の前で握り合わせて言います。


「使用人の方々から話を聞きましたが、ここ最近の旦那様は生き生きしているんだそうです。それが奥様のおかげだと思われていて、皆、感謝していると言っています!」

「そ、それは有り難いのですが…」

「私も出来れば奥様に、この屋敷で幸せになっていただきたいんです!」

「わ…、わかりました。寝間着でどうこうなるとは思えませんが…」


 ジャスミンの勢いが、いつもと違うので、断るに断れなかった私は頷いてしまったのですが、この頃、それどころじゃない事が起きてしまっていたのです。


 それに気が付いたのは昼食の後でした。


「旦那様は昼食の時も見かけませんでしたね」


 ジャスミンに話しかけると、彼女もどこか心配げな表情で頷きます。


「あれだけ、奥様に会いに来ていた旦那様が来ないなんて、少し心配になりますね」

「あれだけって、ここ何日かだけじゃないですか」

「そうかもしれませんが…」

「お仕事がお忙しいのかもしれませんね…」


 そうは言ってみましたが、ここで旦那様の様子を見に行かないのも、無関心すぎる気がしましたので、ジャスミンに声を掛けます。


「旦那様のお部屋に行ってみようと思うのですが、本当に迷惑ではないでしょうか」

「そんな事はありません! お仕事でお忙しくて来られていないのでしたら、前回の様にきっと喜ばれると思います」

「そうですかね」


 ジャスミンに背中を押されたのと、朝にラムダ様が旦那様を探していた事が気にもなったので、部屋には戻らずに、直接、旦那様の部屋に向かったのですが、お部屋には困った様な表情のラムダ様がいらっしゃるだけでした。


「あの、旦那様は?」


 執務室から出てきたラムダ様に聞いてみますと、彼は困った表情のまま答えます。


「それが、朝から見当たらないんです。ずっと探しているんですが…」

「え!? 朝からずっと!? 使用人の方にも探してもらっているのですか?」

「いいえ。旦那様がいなくなるのは、そう珍しいことでもないですし…」


 ラムダ様がケロッとした表情で言われました。


 もしかして、犬化してしまっていて、ラムダ様に言えない状態なのでしょうか?


「あの、部屋に、犬はいましたか?」

「犬ですか? ああ、いますよ。何だか苦しそうにしてますが…」

「苦しそうにしている!?」


 呑気そうに答えたラムダ様に聞き返した後、彼を押しのけて執務室に入ると、犬化してソファーで丸くなっている旦那様の姿を見つけました。


「ジャスミン!」


 ラムダ様がいては詳しい話が聞けないため、彼女の名を呼ぶと、私の意を理解してくれたのか頷いてから、ラムダ様に話しかけます。


「旦那様を探すのを手伝います。あなたも一緒に来て下さい!」

「え? あ、はい…」


 ジャスミンが呆気にとられているラムダ様を無理矢理、部屋から連れ出したのを確認してから、旦那様のところへ駆け寄って話しかけます。


「旦那様! しっかりして下さい!」

「…エレノア、水を…水を持ってきて欲しい…」

「水ですね! すぐに持ってきます!」


 呼吸が荒く苦しそうにしている旦那様に頷くと、私は急いで部屋を出たのでした。

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