第2話 拗ねないで下さい
「一体、どうしたんだ? 何か不満でも?」
旦那様は少し長めの前髪をかきあげながら、私を 部屋に招き入れた後、間髪入れずに尋ねてこられました。
私の旦那様であるシークス様は肌は陶器の様に白くてツルツルです。
ちょっと、その肌に触ってみたい気もしますが、怒られそうなので止めておきます。
肩幅はしっかりされているのですが、長身の細身で、整った顔立ちをしておられ、貴族の女性の間で、とても人気のある方で、社交場では有名でした。
長髪ではありませんが、長めの黒髪は艶があって、とても綺麗で、瞳は燃えるような赤色です。
私は背が低い方ではありませんが、旦那様の背が高いせいで、近くに立っていると、上を見上げる様な形になってしまいます。
白のシャツに黒のパンツ姿のラフな格好の旦那様は、困惑はしておられますが、私の来訪を迷惑がっている様ではなさそうです。
先程まで、執務室には側近の方がいらっしゃいましたが、気を遣って下さったのか、部屋を出ていかれてしまいました。
「不満といいますか…」
少し考えてから、やはり、先程のローラ様の話をする事にします。
「なぜ、ローラ様に、あの様に好き勝手させているのです?」
「強く言えないだけで好き勝手させている訳ではない。出て行ってほしいのは山々だが、事情があるんだ」
「事情ですか? ですが、この家の当主は現在、旦那様なのでしょう? それでも追い出せない事情というものがあるのですか?」
「その話については、君が深く知る必要はない」
「どうしてですか!? あんな鬱陶しい義妹と一緒に暮らすだなんて私には無理だと思います! ただでさえ、旦那様からわざわざ愛せない、だの言われて気分が悪くなっていますのに、あんな方と同じ屋根の下で暮らすなんて、もっと不快です! 納得できる理由を聞かせていただきたいです!」
よっぽどの事情というのであれば、納得もできるかもしれませんが、深く知る必要はないと、はなから否定されてしまったのでは納得できません!
きつい言い方になってしまいましたが、思った事を吐き出して、旦那様を睨んでみますと、目があった旦那様は、小さく息を吐いてから、執務室の中にある応接スペースのソファーに座る様に促して下さいました。
私が黒色のふかふかのソファーに遠慮なく座ると、旦那様も木のローテーブルをはさんだ向かい側に腰を下ろされました。
「話せる事だけ話す。それで許してくれ」
「どうしても言いたくないのなら、何かに例えて話してくださっても良いですよ?」
私の言葉に旦那様は無言で頷いた後、口を開きます。
「恥ずかしい話だが、弱みを握られている」
「弱み、ですか?」
「ああ。他人には知られたくない。特に他の派閥の貴族には…」
「…反王家派閥にですか?」
「そうだ」
旦那様が端正な顔を歪めて頷かれました。
私達の住む国、アダルシュには表立って活動している訳ではありませんが、反王家派が存在し、隙きあらば、王家の転覆を狙っている様なのです。
逆に反王家ではなく、王家を指示する貴族を王家派といい、私の実家もその派閥に属しており、クロフォード家も、その派閥の様です。
そうでなければ、政略結婚なんてしませんよね。
「どんな弱みを握られてしまわれたのです? なんなら、兄に頼みまして始末させましょうか?」
「始末…。令嬢から、そんな言葉が出るとはな…。妹は変わっているとヒートからは聞いていたが、本当に変わっているな」
ヒートというのはお兄様の名前です。
私の話をするのはかまいませんが、変わっているという紹介の仕方は失礼です!
お兄様には後ほど、ネチネチと嫌味を書いた手紙を送って差し上げましょう。
「どういう所が変わっているのかはわかりませんが、先程の発言に関しましては、普通の令嬢が口にしないものであるという事は理解しております」
「気持ちは有り難いが、出来れば、殺人はしたくない」
「もちろん、それは私もです。ですが、反王家派に弱みを握られるよりかは良いかと思いますが?」
「ローラは、この家から出て行きたくないだけらしい。だから、反王家派にはよっぽどの事じゃない限り、情報を売るとは思えない。何より、彼女の家族も王家派だからな」
「甘すぎますよ!」
文句を言うと、旦那様はこめかみをおさえて言います。
「わかっているよ。だけど、彼女は弟の嫁だ。始末しようにも、不審死の場合、疑われるのは俺だ」
「実際、指示した犯人ですから、そうなりますね」
「捕まったら意味がないだろう」
「バレないようにするのですよ」
「バレなければ良い話ではないだろ!」
叱られてしまいましたが、そう言われてみればそうですね。
都合の悪いことがあるから、と、人を簡単に殺そうだなんて考えてしまってはいけません。
あまりにもローラ様が嫌すぎて、危ない思考に走ってしまいました。
「申し訳ございません。少し熱くなってしまいました。気を付ける様に致します。ですが、このまま、あの方を好きな様にさせておくのですか?」
「問題が解決するまでは、そうなる」
「問題というのは、弱みに関わる事ですか?」
「そうだ。だけど、君にはまだ話せない」
「…しょうがありませんね」
まだ結婚して、一緒に暮らし始めて、日も経っておりませんので、信用されていなくて当たり前です。
この件については、義両親の仰る様に、あの人には関わらない様にいたしましょう。
では、本題に入るとしましょうか!
「本題に入りたいのですが、私はこの屋敷の中で、どれくらいの権限が与えられているのでしょう?」
「君は俺の妻なんだから、犯罪行為をしなければ大丈夫だ。あと、家や土地を買うとか、そういう場合は、ただ買えば良いというものではないから相談してくれ」
「私が家を買ってどうするのでしょうか…」
「別居したいとかあるだろう」
「特に旦那様と関わりがある訳ではないですのに、別居する必要ございます?」
「…例え話をしただけだ」
旦那様はばつが悪そうな顔をして続けます。
「とにかく、君は好きな様にしてくれたらいい。ただ、出来れば、キックスやローラには近付かないようにしてくれ」
「キックス様とはお話した事はございませんが、式での態度もあまり良くなさそうでしたし、仲良くする気もありませんから大丈夫です!」
それから少し話をして、聞きたい事を聞き終えたと思うのですが、また何か思いついても困りますので、旦那様には、また来るかもしれないという事だけ伝えて、ソファーから立ち上がり、扉の方に向かいました。
旦那様は私を見送って下さるようで、立ち上がって後ろを付いてこられます。
その時、なぜか靴のつま先が、柔らかなカーペットに引っかかってしまいました。
「危ない!」
旦那様の声が聞こえて、旦那様の手らしきものが、私の腕に触れた様な気がしたのですが、その感触は一瞬でなくなり、手を付きはしましたが、私は前に倒れてしまいました。
「あいたたた」
変な倒れ方をしてしまい、お尻を強く打ち付けてしまい、思わず声を出すと、旦那様が問いかけてきます。
「大丈夫か? 怪我は?」
「大丈夫です…」
声がした方向に倒れ込んだままの体勢で振り返ると、目に入ってきたのは旦那様ではなく、白と黒の長い毛を持つ、大きな犬でした。
「可愛い、わんちゃんです!」
座っている私よりも、お座りしている、わんちゃんの方が大きいです。
それにしても、こんなに大きい犬がいたのに、今まで気付きませんでした。
犬小屋が部屋にでもあって、そこで寝ていたのでしょうか?
「犬じゃない。いや、今は犬の姿だが…」
「…?」
毛が長いため、目が隠れてしまっていて、どんな目をしているかはわかりませんが、口をパクパク動かしている姿は、こちらを襲おうとしている様子には見えません。
というより…。
「犬が喋りました! 驚きです! あの、よろしければ教えていただきたいのですが、旦那様を知りませんか?」
「ここにいる!」
駄目元で聞いてみますと、犬はそう答えてくれましたが、部屋の中を見回しても、旦那様の姿は見当たりません。
「ですから旦那様はどこに?」
「俺だ!」
「あなたは、わんちゃんです! 旦那様ではありません!」
「だから、俺が、いや、シークス・クロフォードが犬になったんだ!」
「旦那様が…犬?」
呟くように聞き返したあと「失礼します」と一声かけてから、恐る恐る、手を伸ばし、毛で隠れている犬の目を見る為に、そっと毛を上にかきあげました。
出てきた目の瞳の色は、赤い色。
旦那さまと同じ色の瞳です。
「えっと、もしかして、旦那様は本当は犬で、人間の姿に化けていたとか?」
「違う! 普通、逆だろう!? 何でそうなるんだ!」
「えーっと、では、人間なのに犬の姿になれる、という事ですか?」
「そうじゃない。…魔女に呪いをかけられたんだ」
「呪い…ですか。呪いをかけられるという事は、何か悪い事されたのですか?」
「悪い事って…。君は俺を何だと思ってるんだ。そりゃあ、良い事ばかりしているわけじゃないが…」
旦那様は一度、言葉を区切ってから続けます。
「逆恨みされたんだ。少し前に、ある女性から告白されたんだが、彼女の事を知らなかったし、親の決めた人と結婚するから、気持ちにこたえられない、と伝えたら、これだ」
カーペットを右の前足で強く踏みつけたあと、私の方を見て言います。
「もうバレてしまったから詳しい話をするが、俺から女性に触れると、犬になる。触れられる場合は大丈夫だ」
「言葉は喋れるのですね」
「俺の事を嫌っている、もしくは俺にとって害がある人間には犬の言葉にしか聞こえないようだ。いくら話しかけても、ワンワン言ってるようにしか聞こえていないようだな。だから、ローラは俺が人の言葉を話せる事は知らない」
「え? もしかして、弱みを握られているって、この事ですか?」
「そうだ。女性に触れなければいいと言うかもしれないが、つい咄嗟にさっきの様に手が出てしまうんだ」
「結局はこけてしまいましたが」
「役に立たなくて悪い」
「いえいえ、そういうつもりで言ったわけでは…」
ふむふむなのです。
旦那様は根は優しい人なのかもしれません。
咄嗟に、倒れそうになった私を助けてくれようとしてくれた訳ですし。
詳しい話を聞いてみると、ローラ様にバレてしまったのは、キックス様が彼女に話をしてしまったからだそうで、ちなみに、キックス様はローラ様に話をしてしまってからは、旦那様の言葉がわからなくなったそうです。
とにかく、先程、助けようとしてくださったお礼を言う事にします。
「あの、ありがとうございました」
「役に立ってないのに、お礼を言うのか」
「拗ねないで下さい。気持ちは嬉しいんですよ」
「拗ねてはいない」
もごもごと口を動かすわんちゃん、ではなく、旦那様が可愛くて、触りたくてウズウズしてきました。
「な、なんだ、その顔は…」
「だ、旦那様、うふふ、触っても良いですか」
「だ、駄目だ!」
「目の前にモフモフがあるんですよ! 駄目だなんて酷いです!」
「知らん! それに俺は犬じゃないんだぞ!?」
「ちなみに、旦那様、どうしたら元に戻るのですか?」
「8時間後に勝手に戻る」
「裸ですか?」
「なぜかわからんが、服は着たまま元に戻る! というか、何でがっかりした顔するんだ!」
後退りする旦那様でしたが、とうとう、私の視線に耐えられなかったのか、背を向けて逃げ出そうとしました。
ですが、背中を見せてはいけませんよね!
「旦那様、待てです!」
旦那様は、私に後ろから抱きしめられて叫びます。
「俺は犬じゃないって言ってるだろう!!」
中身は旦那様かもしれませんが、見た目は犬です。
しかも、兄が犬が苦手なせいで飼ってもらえなかった犬です!
外の毛は固いですが、内側の毛は柔らかいです。
私なんかよりも体は大きいです。
添い寝してほしいです。
体をついつい触ってしまいます。
「可愛いです、旦那様! 旦那様が元に戻るまで、触っていてもいいですか?」
「8時間も触り続けるつもりか!!」
なんと、私は躾をしなくても良い、わんちゃん、ではなく、犬にもなれる旦那様と結婚してしまったみたいです!
ただ、呪いということですし、この事が他の派閥の方に知られてしまうとまずいです。
秘密を守る為に、何か良い方法を考えないといけませんね!
でも、その前にモフモフを堪能したいと思います!
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