神話の原典

第75話

 今は昔、とうにアトランティスは沈み、その存在を知るのは実質的にルカヱルくらいのものになった。かの白魔女、メフィーが先導して作成した“世界地図”にすらアトランティスの記載はない。ゆえにその位置を知る人間もいない。

 地図の記載とは別に、超長命のメフィーがアトランティスの存在を認知しているか否か、という点は不明だが、少なくともメガラニカで活動を続けるミィココは長命の魔女にも拘わらず知らない。

 ルカヱルよりも存続期間が短い魔女のヲルタオなどは、さらに知る由もないだろう。ムー大陸にも『北の魔女』がいるが、北の魔女も同様に存続期間が短い。

 ――よって、もしアトランティスのあった場所へガイドできる者がいるとすれば、それは事実上ルカヱルだけだと言っても過言ではない。

 かつてのアトランティスには、古代の魔女ノアルウの統治によって生み出された「国」が4つほどあった。アトランティスという海に浮かぶ大陸の中で、人々の営みは完結し、その様子はさながら“箱庭”であったと、ルカヱルは語っている。

 そんな彼女がアトランティスを出るきっかけになったのは、特に政治的な理由や、ノアルウとの衝突ではなく――海底資源開発というプロジェクトにおいて、町の中に鉱物のマナが大量に漏洩したせいだった。

 酷く視界が歪み、眩暈がしそうで。

 ルカヱルは致し方なくアトランティスを離れたのである。皮肉にも、ノアルウから教わった箒の魔法が移動の役に立った。そして幸運にも、その気ままな放浪が彼女を助けることになった。

 ルカヱルが離れて何年後か、アトランティスは突如崩壊し、すべてが海中に沈んでしまった――胸騒ぎがしたのか、はたまた気まぐれか。ルカヱルはちょうど再び彼の地を訪れ、崩壊したばかりのアトランティスの残骸を見たのである。

 何よりも記憶に残っているのは、

 水によって希釈することも追いつかないほどの巨大なマナがそこに氾濫し、視界を晴れない霧のように覆った。

 ルカヱルは、ノアルウを探さなかった。探せなかった。何も見えず、竜を恐れ、彼女は空へと逃げた。

「ノアルウ――!!」

 海の上で叫んだ名前に誰も応じることもなく。

 ルカヱルは、まるで逃げるように遠くへと飛び去ったのだった。

 “ガイオス”――竜の名前を自分の中でそう仮称し、警句として心に留めて。

 インクレスとガイオスが同一個体なのか、はたまた、海にちなむ全く別の個体なのか、それはまだ定かではない。むしろ、同一の個体であるという証拠の方が乏しい。


 とはいえ魔女の勘は、往々にしてよく当たる――

 


 ◆



 大役所からヲルタオのカフェへ戻る最中、インクレスとガイオス、そしてアトランティスの話を思い返していたセタは、ふと疑問に思い当たった。

「――ルカヱル様、一つ気になることがあるんですが」

「なに?」

「大陸が丸ごと消し飛ぶような災害があったとして……、竜はどんなふうに、アトランティスを破壊したんでしょう」

「詳しいことは分からないのです。神話レベルの竜には破壊的な力があるものだけど、あまりに破壊的すぎるからね。想像もつかない」

「ですよね……」

 セタは頷く。

 ごくシンプルな話だが、ルカヱルの言う通り、というのがセタには不可解だった。

「実は俺が気になるのは、それほどに破壊的な竜が、アトランティス以外の被害は特に出していないんじゃないか?――ってことなんです。ものすごいパワーを持ってるのに、大陸が吹き飛ぶなんてレベルの神話を、俺は他に知りません」

「鋭いね」

と、ルカヱルは頷いた。「ガイオスがアトランティスを破壊した後、それに匹敵する他の被害は出てない。当時は私もビクビクしてたんだけど、もう長い事、それらしい竜の話は聞いてない――海にまつわる規模の大きな伝承は、それこそインクレスくらいのものだったの」 

 だからこそインクレスは、ある意味アトランティスの件の“容疑者”として、追跡をしているのである。

 しかし、それでも不可解ではあるのだ。アトランティスレベルの災害は、あまりに再現性に乏しい。

「どうして、インクレスは大人しいんでしょう? 話を聞く限りだと、少し海を揺らすくらいのことしか影響は出ていないようですし……いや、“少し海を揺らす”というのも、規模としては大きいのは確かですが」

「まあ、インクレスとガイオスが同一個体って決まったわけじゃないけどね。どちらにせよ不思議なのは、なんでアトランティスほどの被害が、ここ長い間まったく生じなかったのか――ってことだよね」

「そうです」

「不思議だよね」

「特に考えはないですか?」

「一つヒントがあるとすれば、ラアヴァだね」

「え?」不意をつかれ、セタは声を上げた。「ラアヴァ……メガラニカの竜の、ですか?」

 メガラニカのラアヴァは、火口に棲む火の竜である。その力は確かにすさまじく、上陸時の熱波で砂漠を生み出した経緯を考えれば、メガラニカにおける神話級の竜ともいえる。

「でも、なんでそれがヒントに?」

「ラアヴァはちょっかいを出されたら火を放つけど、普段は火山の底で眠ってるだけなんだよね――途方もない力を持つ代わりに、休眠期間が長いって考えられる」

「なるほど……。もしその仮説が正しければ、今のインクレスの伝承は、実質的に可能性があるわけですね」

 竜は莫大なマナを保有することは事実だが、もちろん無尽蔵に使えるわけではない。どの竜も捕食などの活動を通して、マナを補充している。

 よって莫大なマナを短期的に出力できる竜は、それ相応の休眠期間を要する。

 巨大な力を放出し、アトランティスを沈めたガイオスが休眠期間に入り、のちにインクレスというい一介の地方伝承として知られるようになった――という経緯は、まだ推測ではあったが、納得しやすい。

「だとしたら、いずれまた暴れることがあるかもね」とルカヱルが呟いた。「あれからもう長い時間がたった。放出したマナを蓄え直して、活発化する可能性はある」

「ま、まあ、まだ仮説ではありますが。でも、来る災害に備えておかないといけませんね」

 そうこうしているうちに、二人はヲルタオのカフェの前にたどり着いた。看板を改めてみれば、ここは“挽機工房”という名前だったらしい。(渋いな……)と、セタは思った。飲食店の名前に工房が入っているのは初めて見た。

「……あ、お疲れ様」と、店に入って来た二人をリンが迎える。

 彼女の手元には、なんとバラバラに解体された写真機のパーツがあった。

「こ、壊したんですか?」と、セタは目を丸くして尋ねる。

 リンも目を丸くして、可笑しそうに肩を揺らした。

「壊してない。改造だよ、セタさん――どうせヲルタオが戻ってくるまで、肝心のフィルムは作れないから」

 ノミのような刃が付いた工具を器用にクルクル回すリン。「今度は金属の接合面をきっちり磨いて、螺子ねじみたいに隙間なくかみ合うようにするんだ。私なりの暇つぶしだね」

「手先器用だね」

と、ルカヱルは言う。セタも頷いた。絵描きとは別方面の器用さをリンは持っている。しかも、飛びぬけて。

「ヲルタオが道具を色々用意してくれたおかげだけどね。手だけで写真機は作れないもん、絶対」

「道具があっても、俺には絶対作れっこないですが……リンさんは、ヲルタオ様とどのように知り合ったんです?」

「気になるの?」

と、リンは首を傾げた。

 一瞬、これは聞いて良かったのだろうか、とセタは若干思い直したが、リンは記憶を掘り返すように視線を斜めに上げて、口を開いた。

「4年前くらいだったかな――?」



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