第74話

 “茶を出す”と告げたトーエは、セタたちを立派な会議室へと通した後に一度退室し、トレイを持ってすぐに戻って来た。どこに何があるのか、出張中の身でありながら、まるで我が家のように把握しているらしい。そしてすぐ、「話を聞かせてくれ。メガラニカはどうだった?」とトーエが切り出す。

 セタは図鑑の写しを交えて、竜の調査状況とミィココのことについて説明した。メガラニカという、大自然と竜が入り乱れる地で起きた試練の経緯を聞くと、トーエは楽しそうに笑った。

「素晴らしい。まるで小説だな」

「笑い事じゃないですよ。竜の毒に罹ったときは冗談でなく、一度死にかけましたし……」

「その件だが、お前さんへの褒章はいずれ支払われるだろう。しかるべきタイミングでな」

「まあ、助かっただけで良かったです。ルカヱル様とミィココ様が居なければ、どうなっていたか」

「俺から話したいことの一つは……だいたい前の手紙で言ったとおりだが、インクレスに詳しいのは、このアヴァロンの船乗りたちってことだ」

「“波と異なる周期の振動”っていう話ですよね?」

「ああ。まあ残念ながら、俺が海を渡るときはそんな振動は無かった――というか、俺には区別がつかなかっただけかもしれないが」

 確かに、素人に判別がつくのかは怪しい事象である。

「実のところ、“波紋”だけじゃなくて、“海鳴り”、“海震”……災害に準えて、そんな風に呼ぶ船乗りもいる。単に波紋っていうだけじゃ、普通の波と同じだからな。だが聞く限り、これらのワードはパシファトラスで起こる同じ事象を指す言葉だ。それと、伝承を知っていても“竜の姿を見たことがあるやつはいない”……この点は手紙に書いたっけか?」

「ええ。まあ、海の竜なので仕方ないかもしれませんね」

とセタは頷く。

 一方、ルカヱルは「……ん」と、短く唸った。そして、顎に手を当てる。

「……は?」

「文言? と言いますと?」トーエが聞き返す。

「インクレスの伝承のことを、皆はなんて言い伝えてるの? ということ。波紋とか、海鳴りとかの名前じゃなくて、具体的な内容のほう」

「具体的な内容? ふむ、概ね手紙に記して申し上げたようなことですが――船に乗っているときに、波と異なる振動を感じることがあったら、その海域をすぐに抜けるように」

「それ以外は?」

「それ以外ですか? しかし……言い回しは多少違っても、要旨はこのようなもので、似た内容でしたが」

 ルカヱルは顎に手を当てたまま、少し思案を続け、「……うん、分かった」と無理やりに頷いた。

 煮え切らない様子の魔女をセタは不思議に思った。

「ルカヱル様、何か気になることがありますか?」

「いえ、多分、気のせいです」

 そう言って、ルカヱルは手を振った。

 そんな態度ではますます気になってくるが、魔女相手に友人のように根ほり葉ほり聞き続けるのも気が引けてしまうのが、役人たちの立場である。セタもトーエも、顔を見合わせて、しかし黙るしかなかった。

「まあ、魔女様がそうおっしゃるのであれば。しかし、もし気になることがあればなんでも聞いてください」

「ええ、そうする」

「さてと、セタ。このアヴァロンにおける図鑑の進捗だが。なんと、このアヴァロンにおける絵描きは――」

「機械で絵を描いてる。ですよね」

 セタがそう告げると、トーエは目を丸くし、そして肩を落とした。

「知ってたのか?」

「言い忘れてたんですが――実はかくかくしかじかで、魔女のヲルタオ様と絵描きのリンさんに、もう会ったんです。それに偶然、竜も一体見つけてて、絵もあります」

 そう言って、セタはルミノスクロの絵を差し出した。

「くくっ、そりゃ、仕事が早くて素晴らしい」

 絵を見たトーエは、素直な語調でそう言った。「そのリンとかいう若い娘だが、ちょっと聞いた限りじゃあ、このアヴァロンにおいて“天才発明家”と名高いらしい」

「え……そうだったんですか?」

 逆に本人としか話していないセタは、そんな評判を知らなかった。

「ああ。アヴァロンと言えば、見ての通りジパングを周回遅れにさせるくらいの工業都市だ。その辺の船乗りすら、熱と蒸気機関を使いこなして船を動かせる。市民の素養の高いこのアヴァロンで、天才と呼ばれることが、どれくらいのことだか」

(まあ確かに機械で絵を描くなんて、仮に思いついても実現できないよな……)

と、セタはどこか納得する。

 優れた発想だけでなく、それを実現する能力を備える。それこそ、あの少女が持つ素質なのだろう。

「リンという名前と共に発表された発明は、数年前からあるらしい。末恐ろしい話だな。その時なんて多分10歳かそこらだぜ? 今や、教育機関はとっくに出てるとさ」

「あの子が、そんな名を馳せてたとは……」

「ははっ――お前が言うことか? 悪童」

?」

 ルカヱルは首を傾げた。

 かたや、セタは咳払い。

「あー、あー……。ところで、トーエさんはいつまでこちらに?」

「うん? ああそうだな……家族も待ってるし、長くても1か月くらいか? どうせしばらく残るつもりだったし、セタがここで仕事してる間は延長して良いだろ」と、トーエは言う。「白魔女様の“通信円陣”もあるから、ジパングと連絡は取れるしな。もしお前さんが図鑑を作ったときは、俺に渡してくれれば良いぜ。その方が色々手っ取り早いだろ?」

「良いですよ。でもなんか、ジパングに戻って来た気分です」

「俺のセリフだな。じゃ、任せたぜ。魔女様も、今後ともよろしくお願いします」

「うん」

 トーエのあらたまった口調に魔女は軽く返した。



 それから、大役所を後にして。

「さーて――じゃあいよいよ、本格的にここでも竜の調査を始めて行こう!」

 ルカヱルは張り切った様子で言う。普段よりも気分が上がっているのは、インクレスが絡むからに違いない、セタは思った。

「昨日ヲルタオ様にもお願いしてましたが、俺たちインクレスを探しますか? リンさんの調査では、海の中の竜は見つけられていないって言ってましたし」

 セタの提案にルカヱルは頷いた。

「そうしよう。なんといっても気になって、他の竜どころじゃないからね」

「率直ですね……。ただ、モチベーションがあるなら、さっそく進めましょう」

 とはいえ次に何をすべきか、セタには分からなかった。深海に潜む竜を見つけるには、深海に行かなければならないし、それ以前に、インクレスがどこにいるのか特定しなければならない。

「そこが問題だね」

と、ルカヱルは同意を示した。「インクレスの情報はパシファトラスで偏在的にある。察するに、船乗りの航路上で、たまに波紋が現れるっていうことしか分からない」

「……さすがにそれだけで探すのは難しそうですが」

「でもね。最初に、どうしても行きたい場所があるのです」

「え? 既に目星が?」

「もちろん。過去、インクレスが現れた可能性が一番高い場所を、私は知ってるからね。探すとしたら、まずそこだと思っていました」

 ルカヱルは西の空を指さした。

「かつてのアトランティス――が、沈んだ海にね」

 

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