「魔女」と伝説の地

第67話

 数日後、碧翠審院。

「――そうですか、少し寂しくなりますが、引き留めるわけにもいきません」

 ふう、とため息をついたのは、ディエソだった。セタたちの報告と、出発に向けた準備中との旨の話を聞き、つい出てしまった嘆息だった。

「竜の図鑑プロジェクト……。推奨手順では、魔女様に世界を順に巡ってもらい、各々がそれぞれの観点で竜を考察することとなっています。客観性、再現性をより高めるためですからね」

「はい。ですので、俺とルカヱル様は、アヴァロンに向かう予定です」

「アヴァロンですか。あそこの大役所は、このラジの地よりずっと栄えた都市に配置されていると聞いたことがあります。ははっ、まあこれは、そこの商船の自慢話の受け売りですよ」

 ディエソは場を和ませるようと、自虐的な調子で言う。

「大役所の“通心円陣”で聞いたところによれば、魔女ヲルタオ様も、すでにアヴァロンの竜の調査を終えて、旅立つ準備中とのことです。お二人が向かうと、ちょうどすれ違いになるかもしれませんね」

「ヲルタオ様、ですか。その、俺はあまり、その方についても聞き及んだことがなく……」

 セタはバツが悪そうに頭を掻くと、ディエソは首を振って微笑んでみせた。

「私とて、お会いしたことはないのです。というより、メガラニカに住む誰も会ったことはないでしょう。歴史的にヲルタオ様はメガラニカに上陸したことが無く、ほぼ北の領域で過ごしているので無理もないですが……。この竜図鑑プロジェクトが、初のメガラニカ上陸の機会になるかもしれませんね」

 セタは、隣に並ぶルカヱルを窺う。この角度では、彼女の表情が少し読みにくかった。

「そうだ、セタ殿。通心円陣で届いた情報なのですが、ジパングのトーエ殿から」

「えっ、と、トーエさんから?」

「はい――出発前に、セタ殿から頼まれていた調査の報告です」

「調査って?」と、ルカヱルが目を丸くしてセタを見る。

 一方、当の本人は何のことを指して“調査”と言っているのか、思い出した瞬間だった。「あっ」と声を上げる。

「インクレスの?」

「ええ、そうみたいです。“波紋の件”、という内容で」

 ディエソはそう言うと、封筒をセタに差し出した。「ご確認ください。出発前にお届けできて良かった」



 セタへ

 生きてるか?

 お前さんの遺作は、将来的に高値が付きそうだな。


 冗談はさておき、インクレスの手がかりになりそうな情報を集めておいた。

 まず、竜の直接的な目撃情報は無い。故に、調査と言っても報告することはあまり多くない。お前さんの推測によれば、インクレスは深海にいるって話だから、何か方法を考えないとな。

 一つ言えるのは

 “波紋”のことを詳しく知ってるのは港で船の受け入れをしている側じゃなくて、船乗りそのものだ。海を眺めてるだけじゃ、波紋の違和感には殆ど気づけないらしい。それと船乗りと言えば、ジパング内の商船、客船も含むが、実際にはアヴァロンから来る船乗りの方が波紋に詳しい感じだ。多分、航海距離が長いからだと思う。


・発生時期は昼夜と季節を問わない。

・波と周期が異なる微細な振動がある。

・酷い時はすぐに離れる。近づかない。


 彼らの証言を集約すると、こんなところだった。

 個人的に興味深いのは、「波と周期が異なる微細な振動」だ。これこそが船乗りしか“波紋”に気付けない理由だと思う。

 また何か分かったら連絡する。次はアヴァロンの大役所宛ての方が良いか?


 追伸

 魔女様にもよろしく。


 トーエ



「ふーん、なるほど」と、唸ったのはルカヱルだった。

「インクレスの謎……これからアヴァロンに行って、自分で確かめようと思ってたけど、先に面白いことが分かりました」

「特に“船乗りしか分からない振動”って部分ですよね」

「そう」

「なんか、納得です。海に浮かぶ波紋なんて、普通の波とどうやって見極めるんだ?って不思議だったんですよ」

「伝承は詳細をそぎ落としてキーワードだけが残るのが普通だから、無理もないかもね」

「ルカヱル様は“波紋”の伝承を既にご存じでしたよね。どういう内容ですか?」

「えっとね……」



 海面が震えあがったような、痺れたような、細かく乱れた波紋が立ったとすれば、インクレスの仕業だろう。波の動きは理解不能に乱れ、深く潜るほどに竜に近付く。

 そんな不穏な気配を感じたら、すぐに海から離れよ。

 どんな些細な異変も、牙を剥くときは忽ちのことだ。



「深く潜るほどに、竜に近付く?」

「うん」

「でも伝承でインクレスの姿が語られてないですよね。どうして、竜に近付いたって言えるんですか? いや、というか……極端な話、その伝承の文言じゃあ、波紋が竜の仕業なんて分からないですね? ただの自然現象かも」

「ふふっ、その通り。実は最初に聞いたとき、私も同じことを考えていたのです。竜の存在を証明するに足らないと思い、あまり食指は動かなかった。ただ、改めてトーエから届いた報告と照らし合わせると――」

 ルカヱルはセタの手から、手紙を摘まむように引き抜いて、見つめてから言った。

「深く潜るほどに竜に近付く――きっと深くなるほどに、ってことだと思います」

「なるほど、そう聞くと……、確かに普通の自然現象って感じではないですね。海の中でも振動を感じるなんて、不気味ですし。それに、インクレスが深海にいるっていうルカヱル様の仮説とも、矛盾しない」

「いわゆる波紋は、海流みたいな大きな流れとは別ってことなんだろうね。ふふっ、面白くなってきました。フォーカスすべき点が絞られてきた感じで」

 ルカヱルは手紙をセタに返すと、楽しそうに微笑んだ。

「ヲルタオが先に調査をしていたんだったら、彼女が先にインクレスを見つけているかも。できれば本人から話を聞きたいな」

「では、急ぎましょう。すぐ準備します」

 行動指針が決まると、二人のつま先が同じ方を向く。

 すると、ちょうどそこに、同じく二人組が向かってくるところだった――アルマとミィココである。アルマは、「おー!」と元気よく手を挙げて駆け寄って来た。

「やあこれはこれは、セタさんとルカヱル先生! 奇遇ですね」

「アルマ、こんにちは」

と、ルカヱルが応じる。

 遅れて、ミィココが歩み寄って来た。

「よお、何度も奇遇じゃな……とはいえ、同じプロジェクト中じゃから、それほど数奇なことでもないか」

「お二人はもう、アヴァロンに行くんでしたっけ?」

「ええ、ちょうど。ミィココに聞いたの?」

「そうです。ああ、いいなあ、私もメガラニカの外を冒険してみたいです。ねえ、ミィココ先生。ねえ」

「ふん。メガラニカがどれだけ巨大な地か、分かっておるじゃろう。お主が見た物なんぞ、まだこの大陸の一部に過ぎんと思え」

「ええー。百年早いですか?」

「ふむ……六、七百年くらいかのう」

(微妙に具体的な数字だな……)とセタは思った。おそらく、ミィココがメガラニカでフィールドワークに費やした時間だろう、と想像した。

「はは、死んじゃいますよ、私」

「レムリアにはいずれ連れて行ってやる。他の場所は、お主が行きたかったら行けばよい」

「はーい……。さて、ではお二人の旅の無事を祈ってます。ああそうだ、セタさん」

「え? はい」

「これ、餞別にどうぞ」

と言って、アルマが取り出したのは時計のような針が動く円盤状の道具――方位磁針だった。セタは元、地図編纂課の所属だった。だから、方位磁針の仕組みも用途も理解している。

「ありがとうございます。良いんですか?」

「もちろん、何個か持ってるから。セタさんには必要ないかもしれないけど、これは碧翠審院で作ってて正確――らしいんだ。もし他の方位磁針を持ってたら比べてみて!」

 要するにベンチマーク的な物か、とセタは解釈した。そういう意味なら、お土産としては面白いものだった。外観も精密に作られていて、目立った粗が無い。

「じゃあ、ありがたく。ああ、でも、俺からお返しできるものが無くて……」

「お気遣いなく。あ、でもディエソさんから、君の描いた竜の絵を見せてもらうかも?」

「そんなことなら、全然構いませんよ」

(……というか、その埋め合わせなのか?)とセタは内心で考えた。アルマは普段の振る舞いに反して存外義理を重んじるタイプらしい。

「じゃあ、私たちは行くよ。面白い冒険ができると良いね、アルマ。それとミィココも」

「幸い、こやつの世話をするだけで、暇はせんじゃろうな」

「む……」と、アルマが短く唸った。




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