第66話

 ――それから、セタとアルマは深夜まで絵を描いていた。

「こやつ、絵を描いてる時の方が目が覚めてるのではないか?」と、ミィココはアルマを評した。

 そんな評価が聞こえたか定かではないが、絵を描き終えた途端、アルマは電源が切れたように寝落ちしてしまった。

「んん……。へへ、ここ、左回りですよ……」

「どういう寝言なんじゃ」

 ミィココは呆れつつ、突っ伏したアルマの前に置かれた絵を覗き込んだ。

 凹凸に乏しい丸い頭部が特徴的な、真っ黒に焦げたミースの姿がそこにはあった。最小限の線で描かれるセタの絵と比べると、正確さを少し欠く代わりに、竜の重い雰囲気が強調されている印象だった。

 ミィココの目には、まるでマナまで一緒に描かれているように見えた。

「ふむ……。これはこれで悪くない」

「セタ、君も疲れたでしょ。帰るのは明日の朝でも良いよ、ちょっとは眠ったら?」

と、ルカヱルは勧める。

 セタは絵を描き込むのを止めて、顔を上げた。隈の無い目が、魔女を見つめる。

「夜型なもので、まだあんまり眠くなくて」

 顔を上げた彼の手元には、ほとんど完成した竜の絵があった。

 アルマの描いた竜の姿とは対照的に、塗るのを忘れたかのように真っ白な竜は、氷原に佇んでいた時と全く同じような静けさを纏って、今は紙の上に佇んでいた。その翼の膜には、刺繍のように美しい模様が浮かんでいる。

「これがガトシロア……。今のミースと対照的な姿だね」

「こんな二匹が、共生とはな」ミィココは、二人の作品を見比べながら唸った。

「――そう言えば、さっきは聞きそびれたんですけど、ミレゾナっていう竜のこと」

 セタがそう控えめに切り出すと、魔女二名が彼を見る。

「その竜については、アルマさんとミィココ様にお任せして良いんですか?」

「一応ルカヱルから一通りの情報は聞いた。ここからは、むしろ儂の方が探すのには向いておるじゃろう。奴の主な活動場所は、洞窟と海の狭間らしいからな……」

 ミィココは竜の牙が入った試験管を取り出し、セタにも見えるように掲げた。「マナの手がかりもある。それほど手間はかからんはずじゃ。それに、洞窟に入るならアルマの方が適しておるじゃろう」

「でも、セタは凄いんだよ。洞窟の中でも、方角が分かったんだから」

「とはいえ、生きて帰って来れたのは運が良かったと思うがな。例え方角が分かったとはいえ、入口が近くの井戸だったのは幸運じゃからのう」

 確かに、とセタは頷く。

 もし洞窟が途中で途切れていたら、人が通れない隙間しか無かったら――色々考えれば、生還できない可能性の方が高かったのだ。

 生きて帰って来れたのは、むしろミレゾナが洞窟を掘り広げたおかげ、と言っても過言ではない。

「アルマさん、元冒険家なんでしたね。だったら、洞窟の中でも適応できるってことですよね」

「おそらく、こやつには朝飯前じゃろう。儂も付いておる。心配いらん」

「はは……。もともと、あまり心配はしてないです。じゃあ、任せます」

「うむ。さて――お主ら、観察予定だったメガラニカの竜は、これで全部見たのかのう?」

「だね」とルカヱルが頷く。「シィユマ、ハーグリャ、ラアヴァ、ガトシロア……あと一応、ミースとミレゾナ。イマジオンとグランディンは伝承に齟齬があったから、ノーカンだね」

「ミレゾナの絵は、アルマに任せねばならないのう。まあ、もし出来上がったらお主らにも見せてやる――いや。お主ら、もうメガラニカを発つんじゃったか」

「うん」とルカヱルは頷いた。「次に行くのは、大陸の回る順番で言うと……」

「アヴァロン群島ですね」

と答えたのは、セタだった。「俺たちはジパングから出発したので、メガラニカ、アヴァロン、ムーの順になります。最後は……中央大陸レムリアに行けば良いんですかね?」

「儂はメガラニカの中しか見ないがな。レムリアには……、まあ、一応行ってやるか」

「ふふっ、それだと役所の指示と全然違うけど。まあ、プロジェクトの目的の半分は魔女の暇つぶしだし、好きにしたら」

「そうだな……」

 ミィココは頷き、語尾を弱める。

 すると、ルカヱルが悪戯っぽく微笑んだ。

「なに? 寂しい?」

「小生意気な。さっさと行ってしまえ」

「はいはい。じゃあ、この夜が明けたらね」

「そうか。なら、茶くらいは出してやる」

 夜にお茶?とセタが疑問を呈する前に、ミィココは席を立って部屋を出ていった。魔女にとって、茶のせいで眠れないなどという問題は、認知すらされていない問題のようだった。

(いや、そもそも寝なくても良いんだったな)

と、セタは変に納得した。

「アヴァロンか……」

 ルカヱルは、ふと呟いた。視線は、部屋の壁に貼り付けられた地図に向いていた。メガラニカしか載っていない地図なので、アヴァロンは紙面の外側にある。

「セタ、覚えてる? インクレスの伝承を初めて聞いたのは、アヴァロンだったの」

「はい。覚えてます」

「当時、その話を聞いたときは、暇潰しにもならないって思ってたけど――今回は違います。ふふっ、なんだかを回ってるみたいに感じるよ。同じ場所を二週してるだけなのに、こんな面白く感じるなんてね」

「……今回は、アトランティスのことがあるから、ですか?」

「うん。前は気にも留めてなかったのに不思議だね。インクレスがアトランティスの件に関係あるかも、って可能性を少しでも考えたら、すごく気になるのです」

 世界の見方が変わった、という感じだろうか――セタはそんな風に思った。

「アトランティスのこと、なんでそんなに? 前に聞いた魔女様……ノアルウ様が居た場所だから?」

 セタが尋ねると、ルカヱルは流し目で彼を見て、また地図の方に視線を戻した。

「箒の魔法ね」

「え? はい」

「ノアルウに教えてもらったの」

「……なるほど」

「昔の私って――というか普通の魔女って、魔法を知らない間は、歩くことしかできないんだ」

「歩くだけ?」

「うん。まあ、食べる必要も、眠る必要もないもん。本来の魔女は」

「ああ……。そうなんでしたね」

「何かの拍子に、自分が魔法を使えることに気付くのです。鳥が飛べるのに気付くみたいにね。私の場合、最初に気付いた魔法は、金属を操る魔法だった。そしてノアルウは、空気を操る魔法だったんだって」

「じゃあ箒の魔法は、そこから派生したみたいなものですか?」

「そう。のちに私がドロップ缶の魔法を作ったみたいに、ノアルウも箒の魔法を作った。あの時、箒の魔法を知らなかったら――ふふっ、今の私、セタと一緒に歩いて世界を回ってただろうね」

「うん、それは、気が遠くなりますね……」

「あの時のアトランティスには、ノアルウが国が興して、技術も途轍もなく発達してた。金属を加工して、飴を入れる缶を作る――そんなが普通なくらいにね。あの環境の中にいたから、私は魔法に気付いた。箒の魔法も、知ることが出来たのです」

「ある意味、アトランティスがルカヱル様の故郷ルーツなんですね……」

「だね。そう」

 ルカヱルは、どこか納得したように頷いた。「きっと、だから気になるのかも」

 ルカヱルの抱くモチベーションに共感したセタは、何度か頷いた。彼も災害で棲み処を失った経験がある。数年経っただけでは決して忘れることはできない記憶トラウマが、脳裏に焼き付いて、焦げ付いている。自分の涙で滲んだ記憶は、ずっと滲んだまま忘れられず――ルカヱルにも、故郷が竜に薙ぎ払われて無に帰し、マナで霞んだ記憶が残っている。

 その時、トレイを持ったミィココが足で扉を開けて、部屋に入って来た。

「ほれ、茶を入れたぞ」

「ミィココ」

「なんじゃ?」

「いろいろありがとうね、メガラニカでの事」

 出し抜けに言われて、ミィココは目を丸くしていたが、鼻を鳴らして口角を上げた。

「ふん、すべては只の暇潰しじゃ。気にするほどのことか」

「ミィココ様、俺からも改めてお礼を言わせてください。毒にやられた時、助けてくれてありがとうございました」

「ああ、もう良い良い。これ以上お主らに畏まられては、たまったもんではない」

 ため息混じりに、しかし微笑んだミィココはティーカップを二人の前に置いた。

「いずれ儂らは、また出会う。レムリアでな――それまで、お主らの旅の幸運を願っておる」

 


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