フォルヴェント

第19話

「――そうか、報告ご苦労」

 デルアリアに関する報告を一通り聞いたトーエは、セタにそう声をかけた。手には図鑑の絵と解説を持っていた。デルアリアに「渦の竜」という号が付され、さらに渦の伝承の由来として紹介が綴られる。

「お前さんたちが現地に到着したのは、ちょうどデルアリアが移動する時期だったわけか。ソイツがその後、どこに行ったかは分かるか?」

「一応ルカヱル様が確認したみたいですが、今は沖の方に居て、人里から離れた場所で留まっていたと」

「そうか、なら喫緊に対応はいらなそうだな。それより」

 トーエはもう一枚の紙を手に取った。絵は描かれておらず、解説のみが掛かれている。

「“波紋の竜、インクレス”。こっちの絵が無いのは、現場で見つけられなかったからか。ルカヱル様によれば、海にいるんじゃないか、ってことか?」

「そうです。海の中から人里まで影響を及ぼすことが出来るので、莫大なマナを持ってるんじゃないか、と」

「なるほどな……図鑑を作るうえで、その生態はかなりネックになりそうだが」

「多分ですけど、ルカヱル様と一緒だったら海の中を探すこと自体はできそうです」セタは、箒に乗りながら海へ潜った時のことを思い出して言う。「ただ、当のインクレスが今どこにいるのか、それが分からないと……」

「分かった。なら、俺の方でも海岸沿いに情報を集めてみるさ。もし最近まで東の近海にいたんなら、古い伝承じゃなくて新しい目撃情報もあるかもしれないからな」

「波紋とか、海流っていうキーワードがありますけど、海に関連するものならなんでも」

「あいよ」

と、トーエは適当に応じると、にっと片方の口角を上げる。

「お前さん、前より随分熱心になった。魔女様と一緒に仕事してるんだし、多少は面白いことでもあったか」

「ま、まあ、そんなところです。なんというか――」

 セタの頭の中では、かつての記憶がよみがえっていた。

 “お前さん、どうしてそんなことしてんだ?” 

 ついに真夜中に見つかって捕まったとき、トーエからそう聞かれたことがある。なぜ幽霊画家という、リスキーな立ち回りをわざわざしていたのか、と。今のセタの頭には、その時と同じ答えが浮かんでいた。

「――で、面白くなってきた、というか」

と、セタが言うと、トーエは目を丸くした。

「……くくっ、そうか。そりゃちょうど良かった、つまり正しく、適材適所だったな。お前の才能と、モチベーションを活かせる仕事で」

 微笑むと、トーエは書類一式をまとめて、机の上で側面を叩いてそろえた。

「前に言ったように、これらはバックアップを取るために預かっておく。それと、これから旅に出てジパングから離れた時は、バックアップを残したかったら近場の役所に行け。お前さんがバッジを持ってれば、もう話は通じるようになってるはずだ」

「ああ、このバッジですね」

 セタは一応、常に胸元につけていた。「ルカヱル様は、このバッジが気に入っていたようでした。もしかして、材料は何かの植物ですか?」

「ん? 植物? どうしてそう思う?」トーエは目を細めた。

「ルカヱル様は、乾いた植物だったらマナに邪魔されずに輪郭がはっきり見えるんです。ルカヱル様が気に入ったってことは、形がはっきり見える素材だと思って。材質も塗料も含めて、植物かなって」

「ほお、なるほどな。お前さんの言うように、その赤い塗料は植物性だ。漆さ」

 セタはバッジを見る。鮮やかで艶のある色合いでありながら、暗くもある。

(この朱色、植物の色なのか……)

「……トーエさん、他にも、こんな風に色が出る植物ってないですか?」

「まあ、あるんじゃねえか? 俺はそんなに詳しくねえけど、そもそも緑色だったら葉っぱを使えば普通に作れそうだし、花弁を使ったら、何でも色を付けられるんじゃねえか」

「そうか、確かに染料なら作れなくはない……」

「なんか染色するのか? ……“顔料”じゃなくて“植物染料”ってことは、もしかして魔女様向けの何かか」

「絵を描きます。暇な時間にでも」

「そうか、あると良いな暇な時間」

 トーエは肩を竦めた。なにせ、トーエはそれなりに忙しいらしい。「さて、とりあえずジパング付近の固有種だけ見て、それから移動するって言ってたが、次は何を狙ってる」

「“フォルヴェント”。烈風の伝承で知られてる竜です」

 トーエは顔を上げた。「フォルヴェントって、そいつなら俺だって知ってるぞ。セタ、見たこと無いのか? エダの近くで唯一目撃される有名な竜だぞ。伝承どころか、ここ数か月でも目撃情報はある」

「ソイツがこの辺を掠めた時に、遠目で影だけは見たことあります。……けど、すぐに雲の向こうに消えてしまったので、俺もまだ絵を描けなくて」

「ああ、難儀だな。次にあいつが出てくるのタイミングなんて、分かりっこないし」

 

 “烈風”、フォルヴェント。

 伝承の名が示すように、風を纏う飛竜である。安寧なるエダの空域で目撃情報が上がる唯一の竜であり、ゆえに知る者も多く、その特徴はむしろ有名な部類である。

 特徴とは、すなわち伝承通り、「風」だ。

 天気を急変させ、急激に冷たい突風が空から吹き込んだとしたら、それはフォルヴェントがすぐ上空を掠めたからだと、皆が知っている。その竜が飛翔するとき暗雲が裂かれ、代わりに2つの線状の雲が、その後を引く。

 エダでは、「フォルヴェントの雲」と呼ばれているのだ。


「俺だって、そのフォルヴェントの雲だったら見たことがありますよ。けど、肝心の実物が……」

「まあ俺も、そんな自慢できるほど何回も見たわけじゃない。セタの言うように、基本的にあいつは遠い空にいて、良く見えないしな。それになにより、とんでもなく

 セタも頷いて、同意する。「地上からだと、まずまともに見えません」

「じゃあ、どうするんだ? フォルヴェントが地上に降りてきて、ゆっくり羽を休める時を待つとか?」

。ルカヱル様の箒で。フォルヴェントと同じ速さで並走すれば、特徴をじっくりと観察できるはず、って言ってました」

 ぶはっ、とトーエは吹き出した。「相対速度的に、ってことか。脳筋シンプルだな。シンプル・イズなんとかってやつだ。しかし、それは本当にルカヱル様がいねえと絶対成り立たんな……」

 息を吐いて彼は背もたれに体重を預けると、ふっと笑った。

「まあそういう話なら、この際、空の旅を楽しめ。――死なない程度に」

「縁起でもないことを……」

 じっとセタが目を細めると、トーエはまた笑って、レポートを掲げた。「これ、遺作にならないようにな。頼んだぜ」

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