第18話カニバとリズムは神を呼ぶ

「戦場では糧食にもありつけない日もあるだろう。だから、ネズ公には実演で証明してほしいんだ。魔力を得られるか否かをな」


 神妙な顔で私に告げた。


 この人は頭のネジが吹き飛んでる。嗜虐志向の強い極端なサディストだ。そして強烈な支配欲を持つ悪人だ。森で転生者を殺した時に感じた不信感はまさにこれだ。単なる性癖では片付けられない、人間として大きく欠如した倫理観だ。この人はイカレてる。

 不信感があったから、早々にこの森を離れる必要があると思った。だからこうして許可を得に来た。

 もっと早くに、この人の心理を見抜いていれば……。

 もっと警戒して、この人との関係を見直せばよかった……。

 急ぐがあまり失念していた。人生に幸運が舞い込むことはないと。惹きつけられ吸い寄せられる幸運など金メッキの紛い物で、剥がれてしまえば賎劣な醜怪なのだと、私自身が誰よりも知っていたのに忘れていたなんて。


 取り返しがつかない――――。


 皆を救うには彼の言いなりになるしかない。私の失態で誰かが死ぬのはもう嫌だ。だから、この死体を食べるしかない。

 腐りかけているこの女性の遺体を、腹に収めるしか。


 目が悪くて良かった。表情を見なくて済む。悪夢にうなされても、彼女に睨まれることはないだろう。

 私の嗅覚は相当鋭くなった。オークやワイバーン、ブラックドッグの各個体を見分けられる程度に感覚に慣れた。それでもこの腐臭が気にならないのは幸いだ。どうやら嗅覚が高まっても、臭いと感じるニオイは人間時代とは違っているらしい。


「ほら、腹から食うか?それとも下から食うか?好きなところから食ってくれ。必要なら剃刀だって持ってくる、どうする?」


 長いスカートをまくり上げてへそまで露にした。柔らかそうな腹に手を這わせて下着を引きはがすと、真っ赤な口を大きく歪めて私に選択を迫った。

 腹か陰部か。好きなところとは、このどちらかという意味だ。

 肉を食い破り腸を食うのか、それとも膣から食い進み子宮や直腸を食い破るのか。

 どちらも嫌だ。でも選択しろというなら、彼女の尊厳を出来るだけ傷つけないところからがいい。


「お腹から、頂きます」

「――――お前、性別どっちよ」

「お、女です」

「だからか。ふーん、まあいいや。どうぞ」


 ガンッガンッガンッ!


 騎士の頭突きが激しさを増した。虚ろな目で私を見ている。

 彼女の目に映るのは一匹のドブネズミが、横たわる女性の上で歩いている光景。


 ガンッガンッガンッガンッガンッガンッ!

「ううああああ、止めて、止めてえ。ミカには何もしないで……」

 ガンッガンッガンッガンッガンッガンッ!


 ミカ……。

 もしかして、この人、この人たち…………。


「ジ、ジロー様この方たちは、あの森にいましたか?」

「ああもちろん。お前が戦ってた騎士と修道女だ。ああ、真っ白な修道服が茶色になってるから分かんなかったか」

「逃げたのでは……」

「優秀な魔族の奴らが捕まえてくれたんだよ。マジ使えるよなあ」


 私をドブネズミと呼んだ女が目の前にいる。いじめっ子たちみたいに私をゴミの様に見下した女が私の足元にいる。仕返しをするだけだ、何も悪い事はない。ただただ命令されて遺体から人としての形を奪うだけだ。仕返し、復讐、恨みを晴らす、前世の分もまとめてこの女に返してやればいい。


 ――――――――――――無理だよ。


「ネーズネズネズネズネズ公よお!一匹ぶっ殺してこようか?その方がやる気出そうじゃん」

「いや、待ってください。食べます!」

「いやーお前には無理させたくないなあ。今さいい代案を思いついたから聞いてみる?」


 聞かないと言える訳が無い。でも聞く前からクソみたいな案だと分かる。私を苦しめる為の、最低な代案に決まっている。


「はい、聞かせてください」

「よしっ!そう言うと思った。ここにいる騎士を殺せば豚は解放してやるよ。どっちがいい?」


 私は確かに人を殺した。いや、オークたちに殺させた。正当防衛であり、オークたちを守るためであり、もっと言えば私が手を下したわけじゃないと言い訳できていた。

 だから殺した、殺させた。


 こんな無抵抗な人を殺せるわけがない。そんなこと、できるはずがない。

 それを分かっていて聞いているんだ。私が出来ないと踏んで尋ねている。

 本当に、この人は最低だ。


「ネズ公、お前の表情分かりにくいな。マジで勿体ない」

「すみません」

「お前のせいじゃないよ。お前の神が悪い。ところで俺が憎いか?」

「えっ?」

「それとも恐い?」

「い、いえ……」

「どっちでもいいんだけどさ、お前も転生者だろ?俺を殺してみれば?そしたら万事解決だろ」


 それができれば苦労しない。私には人を殺すようなスキルがないし、魔法だってこの人に敵わない。今のままでは絶対に勝てない。

 だからこうして葛藤しているというのに。


「そろそろ飽きてきたわ。じゃあカウントダウンしまぁす!5、4、3、2」

「待って、待ってください!食べますからっ!」

「1、0。腹に噛み傷無あし!ネズ公の口元に食べかす無あし!ディキ!」


 地面からヌッと出てきたのは、ジローの腹心のような人間だ。中肉中背で目元に大きい隈ができている暗い男。


「ケケケ。ここに」

「おうっ!豚を一匹連れてこい、俺が殺る」

「ケケケ、畏まりました」

「待って、待ってください、お願いします!本当に食べますから!」

「待ってるよ?ほら食ってみ?」

「――――はあ、ふぅー、はあはあ、はあ」


 息が上がるばかりで、歯を掛けることさえできない。顔を近づけるばかりで舌すら動いてくれない。


「ムリじゃん。おおー来た来た」

「王、様ー!大丈夫、か?」

「族長……ジロー様お願いします!奴隷になります!今すぐに食べます!止めてください!どうかお願いします!」

「ラストチャアアアンス!どうぞっ!」


 これは肉だ。ただの肉。牛とか豚とか鳥とかそれらと同じただの肉。火を通してないから刺し身みたいなものだ。ただ噛んで飲み込めばいいんだ。


 ――――――――なんで、動かないのよ。

 ――――――――お願いだから動いてよ。

 ――――――――お願いします、神様。


 ――――――――この場を乗り切れる強さをください。


『神移しの儀を行いますか?』


 神移し?分からないけれど、すべきだ。この窮地を乗り越えられるなら。


『はい、お願いします!』


 頭の中で返事をすると、私は意識を失った。


 ※※※


 鼻先をスリスリするだけで全然食わねえから強行してみた。そしたら、なんかヤバい感じになっちゃいましたよ。

 ネズ公の魔力が爆上がり。マジでスーパ○サ○ヤ人状態よ。ナニコレ、一発逆転、会心の一撃でも放つ勢いじゃん。


 いいんじゃないのお。


 来いよ、掛かってこいよ。俺は3度死んでて、めっちゃメンタル強いからね?性欲も爆発するぐらい体の調子はいいからね。


「王様ー」


 うるせえ豚だな。


「ディキ、豚を下がらせろ」

「はっ。応援を呼びますか?」

「どうせ来るんだろ?邪魔するなと伝えとけ」

「畏まりました」


 マジで有能じゃんアイツ。俺の右腕にしようかな。あーダメだ。アイツは御庭番衆的な扱いで、忍者ポジの奴を上にするのはよくないな。武士という腕っぷし強い芸人が幅を利かせる社会で、忍者という情報収集でガチイキする芸人はひっそりと忍ばせておいた方がいい。不和が生まれてしまうからな。たぶん。

 ガチイキしてるのはマジだから。


「魔族?違う。この子と同じ神の下僕ですね」

「キャラがバグってるよお。時代錯誤キャラからノーマルになったと思ったら、お嬢様キャラですかあ?ネズミなのに」

「アンラ・マンユに遣わされたか人間」

「ア、マ、何?」

「どの神に遣わされた」

「魔族の神に決まってんだろ。で、キャラ変した理由は?魔力爆上がりの理由は?」

「やはり魔族か。お前は消しておこう、私が直々にな」

「いや会話は?言葉のキャッチボールが雑すぎない?急に消すとか言われても、お前ネズ公じゃないよな。名乗るぐらいすれば?」

「神だ」


 チーン。チンチンチンチンチーン。

 神には勝てねえよ。はいこの物語は終わり。コイツ死んだわ。


 そう思ったそこのあなたっ!諦めるにはまだ早いんだなーこれが。何故かと気になるでしょうな。

 簡単ですよ。君たちに見せていない最後の能力があるからさ!ちなみにあと一個見せてないやつがあるけど、大した能力じゃないからカウントしてません。


守護神への厭忌ヘイトゴッズ


 ムハハハハハ。

「過保護な〇〇とねっとり〇〇〇〇」っていうタイトルのAVぐらい、めっちゃ世話を焼いちゃうアホ神よ!干渉し過ぎなんだよタコが!

 だからこそ、我が神もこの力を授けてくれたのだ。いちいち下界に降りてきて無双しようとする、自己顕示欲と支配欲の強い薩摩武士め!

(薩摩武士ってそんなんだっけ?違うような気がするな)

 九州男児め!

(九州男児は頑固だったか。じゃあ違うな)

 原宿に集まる若者め!

 要するに田舎者ってことだバカヤロー!


「なっ!?なんだその力はっ!?」

「いいリアクションあざまーす。ところでアンタ、女の子?」

「くだらない質問だ」

「マジで聞いてんだけど。このまま殺ってもいいの?」

「――神に性別はない」

「嘘だね。神がヤッて人ができたり、神がヤッて新たな神ができるパターン多いじゃん。性別あるに決まってる。そしてアンタは女だろ」

「どちらにでもなれるのだ」

「おお〜。それじゃあ、女バージョンでヤラせてくれたら許す。あっ、もちろん人の体……」

「ふざけているのか?」

「えっ!?いや?大真面目だけど」

「神と……気が狂っているとしか思えん。貴様が何故そのような力を。間違っている。そして生まれたことも間違っている」

「そりゃ言い過ぎって……ごばっ!」


 ――――っつう、俺の右脚に恨みであんのかよ!何で吹っ飛ぶんだよ!


 痛い、痛いよー。何したんだよー。見えなかったよー。


「ハリボテ、か。人間に一瞬でも怯んだとは」


 ネズ公の表情が豊かになったよー。そんな顔もできるんだねー。マジで痛いよー。


「し、標様っ!おみ脚が!」


 盗賊団の団長の声がするよー。助けに来てくれたのかなー。君たちじゃあ勝てないよー。

 ていうか『守護神への厭忌ヘイトゴッズ』を使ったのになんでやられてるんだよー。神に対抗できる能力だとか言ってたじゃんよー。


『聞こえるか?』

『へっ!?神様!?』

『前を見ろ前を!次が来るぞ!』


 ネズ公(神入り)が前足をかる~く動かした。


 ドォンッッッ!


 途轍も無い衝撃と共に、俺の目の前で粉塵が巻き起こった。何だこれ。まさかネズ公がやったとでも?魔法は呪文を唱える必要があるって、ババアが言ってた。上級者になると無詠唱でできます的なヤツか?それともBLE○CH的な?藍染惣○介的な詠唱破棄ですか?


『あれが神の怒りじゃ』

『それは何でしょう』

『神が動けば世界が変わる。それを体現する力じゃ』

『魔法でもなんでもなく、ただ手を振っただけですか』

『その通り。見ろ、防護壁もこの有様じゃ』


 舞っていた埃が晴れて、抉り取られた地面が痛々しい。そして目の前の防護壁もヒビ割れたガラスのようになっている。


『アレと戦うには必要じゃろう?ワシの力が』

『あのー、既に脚を持っていかれましたよ。めっちゃ痛いんですよー』

『拾ってくっつけるんじゃ。じきに治る』

『畏まりました!』


 唾つけときゃ治る。天界ではそんなノリなんだろう。

 辺りに目をやると、牢屋入口の外で待機している魔族が俺の脚を抱えていた。


 何人か地面に頬ずりしている奴がいる。しかもザ・悪魔みたいな奴だ。アレが魔族の真の姿なんだろう。コウモリみたいなでっけえ翼に真っ赤な目。力なく開いた口からは紫色の舌がベロンと飛び出していて、吸血鬼みたいな牙がギラリと光っている。

 下半身は……どっかに飛んでいったみたいだ。

 今の一撃で結構な数の魔族が死んだっぽい。100人ぐらいの村なんで、損失は1割ぐらいか。


 その光景目の当たりにして、俺の体に変化があった。

 我が神の怒りが俺の中で煮え滾っている。マグマよりも熱く、海よりも深い憤怒が全身でのたうち回っている。

 冷えていた俺の視界も、赤く染まった。魔族の神だからだろうか。比喩ではなくマジで視界が赤くなった。まあいいや。

 ケンケンパの要領で、片脚ジャンプした。脚の回収の為にちょびちょび進んでいると、浴びせかけるように『神の怒り』が背中にぶつかる。

 だが何も問題ない。力が溢れて仕方ない。ネズ公を見なくても防護壁が勝手に防いでくれる。

守護神への厭忌ヘイトゴッズ』の仕様か。いや、そんな俗っぽい言い方は不敬だ。神の御業に違いない。

 神に与えられしチートで、ネズ公(神)のチートを軽く防ぎながら俺の脚に触れた。

 持っていてくれたのは団長だ。

 何故か人の皮を捨てて、真っ赤な目で俺を見ている。

 コイツも痛そうだ。右胸から抉られるように腕がない。右の頬肉が削ぎ取られてピンクの歯茎と牙が露出している。脛から下も失くなってるな。

 右側ばっかり失くなってムカついてるのだろう。赤い目が鮮血のように潤んでいて、ルビーみたいに綺麗だ。


「標様、あのネズミは我々に頂けませんか」


 なーにを言ってんだコイツは。勝てるわけねえじゃんよ。

 きっとネズ公(神)はアリを弾き飛ばそうとしたぐらいの認識だろう。全力なわけがない。人間よりも強くて万能なのに、全力投球すると思うか?ノンノンノンアルコールだろ。


 お前らじゃあムリなんだよ。


「神が許可できないと言っている。だから俺が殺る」


 僅かな驚きと奥歯を噛みしめるその表情はとても安らぐ。いや、表情じゃないな。

 滲み出る魔力だ。

 魔族の魔力はとても汚らしい。汚物を煮込んで、臭い消しにありとあらゆるスパイスを放り込んて、色味を良くするために赤色三号をぶち込んでる。

 そんなキモい魔力が、故郷を思わせる。実家の居間を想起させる。家族の団欒と錯覚させる。


 魔族の魔力ってのはこんなに落ち着くんかい――――。


 さっさと教えてほしかったぜ。


「お前らに命令だ!人間の真似は止めて、今すぐに魔力を開放しろ」


 俺が攻撃を防いでる間に、ディキたちが遺体を回収していた。入口の両脇に並ぶ魔族たちの表情は悲しげで、目には確かな怒りが燃えていた。

 だから、我慢するなと言ってあげたわけじゃない。


 この魔力に癒やされると思ったから、もっと欲しいと思ったから命令した。


「仰せのままに」


 ――立ち並ぶその姿こそ神への逆意だった。


 まさに悪鬼羅刹の魁。


 ――――壮観。


 純白の塗炭。


 暗晦たる慚愧。


 爛熟せる怨念は清澄なり。


 流水を知らない濁りきった川のように、汚汁という魔力が滲み出す。


 良い良い。心地が良い。宵に酔うよりも良い。




 神殺し、チョロそうですわ。


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