雪女

ゆーすでん

雪女


「おいおい、まじか」


 ただ空しく回転するだけのタイヤ、前にも後ろにも進めない。

 ドアを開けてタイヤを見ると、見事に穴に嵌っている。

 穴を広げてみようとするが、積もった雪はすぐに硬くしまってなかなか掘り進められない。

 降り積もった雪に覆われた山間部の道で途方に暮れていた。

 最強寒波だなんてテレビで報道されていたけれど、まさかこんなことになろうとは。一応冬タイヤにしてきたが、雪道の運転なんて初めてだ。このあたりなら雪もそんなに降らないだろうと、たかをくくっていた。

 出来ることなら早いこと山を越えたい。ここで時間を喰うのは避けたかった。


 大粒の雪が降りだしたと思えば一気に風が吹き荒れ、降り積もった雪を巻き上げて視界が全く見えなくなった。

 ドアを閉めて、スマホの画面を開く。電波の強さを示すマークは二本目と三本目を行き来している。こんな時に限って、バッテリーまで底をつきそうだ。連絡を取ろうにも途中で切れそうだ。

 ガソリンは抜かりなく、出発前に満タンにしてきたから暖房をつけていられる。

 この嵐が過ぎるまでは、車の中で大人しくしていよう。風の音しか聞こえない静まった車内。せめてもの慰めにラジオをつけてみる。

 ラジオからニュースが流れる。

『先日、都内で起きた強盗殺人事件の容疑者は未だ見つかっていません。警視庁は、複数の容疑者が居るとみて捜査を行っています。

次のニュースです、最強寒波の影響で都内でもスリップ事故などが多く発生しています。ドライバーの方は冬タイヤの装着などの対策を講じて安全運転に…』

  最強寒波の影響は、俺以外にも悪影響を与えているな。それが分かったとしても、気が晴れるわけじゃない。

 それから暫く運転手席でじっとしていたが、流石に三十分もすると耐えられなくなってきた。イライラに任せハンドルに拳を叩きつけそうになり慌てて止めるが、強くクラクションを鳴らしてしまった。

 真っ白な世界の中で、クラクションの音だけが響き渡る。

 けれど、まるでそれが合図だったかのように雪嵐がピタッと止んで視界が一気に開けた。嵐が止んでほっとしたのも束の間、ボンネットに積もった雪にげっそりとしてしまう。

 これだと、タイヤ周りの雪も相当増えているだろう。

 ハンドルに突っ伏してため息をつく。


 トントン…窓を叩く様な音がする。横を見ても、後ろを見ても人影はない気がする。


 トントン…もう一度聞こえたと思って真横を見たら、さっきはそこにいなかった人影が見えた。

 驚いて、「うわっ」という叫びとともにまたクラクションを鳴らしてしまった。

 クラクションが鳴り響いたのに、窓の外の人影は微動だにしない。

  

 人影といっても、とにかく真っ白だ。

 少し曇ったガラスを手で撫でてみると白いダウンジャケットが見えてくる。

 そこから上へ目線をあげるとファーのついたフードを被った…女性の様だ。

 ジャケットから零れ落ちた長い髪の束が、風にサラサラと揺れている。

  フードの奥に切れ長の冷たい目が見える。

 冷たくて、俺を凍らせにきた雪女。

 何故か、そう思った。

 

 再びトントンと窓をノックされて、慌てて窓を下げる。


「大丈夫ですか。お怪我は、ありませんか?」


 抑揚のない、感情が見えない声。

「すみません。冬道慣れてなくて。スリップして、身動き取れなくなってしまって。」

「分かりました。ウィンチで引っ張るので、そのまま乗っていて下さい。」

「え、でも…。」


 ドアを開け後ろを見れば、女性が乗るには似つかわしくない思いのほかデカい車。

 慣れた様子で俺の車に牽引フックを掛けると、ゆっくりと引き出す様に車をバックさせていく。

 ズルズル…と引っ張られ、雪の穴から車が道路へ引き出される。

 情けないことに、ほんの数分で助け出された。あの車があれば、こんなことには。

 しかし、自分には今この車しかない。

 とにかく、お礼を言わなければ。

 ドアを開けお礼を言おうとするもフードを被った女性が、


「また、雪吹が来ます。私の別荘へご案内します。ゆっくり、付いてきて下さい。」

「え? 空に雲なんて無いのに。」


と、空を見上げながら答えると、途端に雪が、一気に降りだした。


「先導しますので。付いてきて来て下さい。」


 相変わらず、無表情で俺に伝える。

 助けてもらう前の吹雪が始まった。


「お願いします。」


 俺にしては、屈辱的だ。

 白い女性は、自分の車に乗りこんだ。

 

 少し先へ進んだ後、俺を待つようにブレーキが踏まれている。

 また、視界が白くなっていく。あの車に付いていくしかない。

 そして。ゆっくりとデカイ車が動き出す。


「あんな車、欲しいなあ。」


 ただ、テールランプを追った。


 走って、十分位だろうか。びっくりするくらい早くその場所に辿り着いた。

 前の車のエンジンが止まったのを確認して、俺の車のエンジンも止めた。

 前の車から、あの人が降りてきた。

 運転席の窓をノックする、ウインドウを下げる。


「ここが私の別荘です。どうぞ、中へ。」


 白い影が、直ぐ先の建物の前で消える。

「え?」と叫んだが、建物の扉が開いている。

 慌てて、扉の中へ駆け込んだ。


 扉を閉めると、フードを被った女性が立っていた。


「うわっ」


と、声を挙げそうになるのを、飲みこむ。


「ようこそ。そちらにお座りください。今、暖炉の準備をしますね。」


 そう言って、その人は部屋の奥の扉を開けて消えてしまった。

 部屋を見渡すと、とても広い居間で白い壁と天井。大きな窓と恐らく、テーブルや家具に掛けられた白い布たち。

 その中の一つに、壁に張り付くように下がっている布が見えた。触らない方がいいと、警戒心が必死に止めようとしてくるが止められなかった。

 ゆっくりとその布を下に滑らせると、大きな額縁に入った油絵の肖像画が現れた。

 白く薄雪の積もる庭に、ひっそりと立っている青白く輝く振袖を纏った黒髪が腰のあたりまである女性。

 その女性の目を見た時、見たことがあると思った。この目を知っている。

 油絵の右下にある文字に気が付いて目を凝らす。読みにくい文字もある。

『一八二三 …綾女』と描かれていた。

 今から、二百年前の肖像画。フードの奥の目と同じ目をした女性の絵。

 ここを離れないと駄目だ。

 俺の中の警戒音が鳴り響いているのに、油絵の中から監視されているようで動けない。


「その人は、私の曽祖母です。よく似ているって言われるんですよ。」


 振り返ると、フードの女性が立っていた。

 『ひぃっ』と喉が鳴りそうになるのを何とか堪えた。

 白い人がフードを下ろす。

肖像画そのままの目と顔があらわになる。

 フードから落ちた髪は、やはり長く黒い。

 それでも、頬に少しだけ赤みを帯びていることで人だと認識できる。


「ちなみに、私も綾女と申します。曽祖母の名をいただきました。」


 俺に乾いた薄笑いを向けて、薪が入った籠を運びながら暖炉へ向かう。

 暖炉に火をつける準備をしている背中。


 暫く使われていない別荘。雪吹。

 今、この人を襲っても誰にも分からないよな。ここに暫く隠れて、あの車を貰おう。俺の車は、この先の坂にでも落とそう。

 ここに来る前に見えた、ガードレールが途切れたあそこへ…。

 音を立てないようにして、ゆっくりと近づく。

 この人は、何て許しを請うのかな。


「あのガードレールの下、民家があるので車を落とすとかやめてください。周辺住民に危害を加えるようなことは、絶対に許しませんよ。」

 

 白い背中から、何か聞こえてきた。

 え? 今何て…?


「私を襲って、この別荘や車を奪う算段のようですがそうはいきませんよ。それから、私は貴方に許しを請うことは絶対にありません。

覚悟しなさい。」


 薄い唇が、にぃっと引かれるのが見えた。

 

 俺は、訳も分からず叫んでいた。

 叫んで、暴れて。あの白い体を組み敷いたはずなのに、組み敷かれていたのは俺の方。


「容疑者、○○○○。罪状、強盗殺人。大人と子供を含めて4人を拷問して殺した罪は重いですよ。あなたは親ガチャに外れたんじゃなくて、あんた自身の努力が足りなかっただけ。」

「俺は、俺は」

「努力もしないで、ただただ俺は凄い存在だと思えるだけ、おめでたいですね。認められない嫉妬を他人にぶつけるとかありえないだよ。」

 


「うわあああああああああああ。」


 叫んでみても、暴れてもびくともしない。

 何で、何でこんな女に組み敷かれている?

 何で、俺は何にも出来ない?


「ありがとう、りっか君。助かったわ。」

「危なかったぁ。無理しないで下さいよ。」

「ん~? でも、六華君。私に勝ったことないじゃない。」

「それを言わないで下さいよぉ」


 気が付けば、沢山の警察官達が周りを囲んでいる。いつの間に?


 床から立ち上がらせられて、白い人と向き合う。

 白いダウンコート、白いタートルネックにブルーグレーのスキニーパンツ、淡く薄いベージュのロングブーツ。

 現代の、雪女だ。

 どうせなら、物語みたいに…


「雪女の物語みたいにはしませんよ。あなたには、罪を償ってもらいます。」


 冷たい目、最初から俺だって分かっていたのか。


「やっぱり、雪吹(ゆぶき)女史の言うとおりだったな。犯人は、ここを通って来るって。」

「ゆぶき?」

「あの人の苗字だよ。」


 両腕を掴まれたまま歩きながら、門の前で歩みを止めるように力を込めた。

 振り向いて門の表札に目を向けると、風が雪で隠れていた文字を見せてくれた。


『雪吹』


 あぁ、本当に雪女だった。


 見上げても、あの吹雪はもうない。


「皆さん、あの吹雪の中どうやってここに来たんですか?」


 パトカーの中、俺を囲む警察官の二人が、

「「何を、言っている? ここらは、雪は積もっていたけど快晴だったよ。」」


 俺は、雪女に会った。


 振り向いたら、雪女が居た。

「覚悟しておきなさい」

 また、雪が降りだした。

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雪女 ゆーすでん @yuusuden

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