逃げた猟師と赤毛の魔女
午前零時
第1話 牢屋の中で
夜明けすぐの薄暗い中を二頭立ての牢馬車が進んでいく。
この馬車は恐らく北方の町に向かっているのだろう。
俺は牢屋の中から馬車に付いて歩く領主の兵士に声をかける。
「ちょっと、待って下さいよ。どうして俺まで捕まるんですか」
木枷を檻に打ち付けてこちらに注意を向かせようとしたが、誰も反応しない。
このまま縛り首だなんて冗談じゃない。
もう一度、声を上げて人を呼ぶ。
やっと、年配の者が面倒くさそうに近づいてきた。
「おい。うるさいよ、密猟者」
「俺は密猟なんか──」
「兎、狩ってたでしょ。困るんだよね。ここ、うちの狩場なんだからさ。お前たちに薪の一本でも、兎の一匹でも持ち出されちゃねぇ」
領主サマの山狩りなんかに駆り出されたんだぞ。
いつもならお目こぼしがあるじゃないか。
それなのに、兎をたった一匹狩っただけでなんで捕まるんだ。
こんなの横暴だ。
「そもそも、俺だけじゃないはずです。なんで俺だけ」
「ああ、もういいから……それに、お前。そこの馬泥棒と何か話して、わざと逃がしたでしょ。逃亡ほう助で死罪だよ」
俺は後ろに座っている女の方を見た。
赤毛を腰まで伸ばした女が猿轡を嚙まされている。
確かに昨晩、俺はこの馬泥棒と話をした。それは本当だ。
でも、アイツを見て何かを思い出しかけたからで。
決して逃がそうとしてた訳じゃない。
逃げられた後も捜索に協力をしたし、森の案内もした。
褒美の一つでも貰えるかもと期待したら、このざまだ。
「誤解です。それは、ただあの道にこいつが居なかっただけで。俺はちゃんと探そうとしたんです」
「じゃあ、やっぱり。話はしてたんだ……おい」
奴は馬車を停めて、他の兵士に命じて牢の扉を開けさせる。
俺は兵士二人に剣を突き付けられながら、外に引っ張りだされた。
昨夜しこたま殴られたせいか、掴まれた腕が痛む。
兵士の一人には見覚えがあった。
昨日と同じ奴だ。俺が痛がるのを楽しんでやがる。この野郎。
「ど、どうかお許しを。本当に何も知らないんです。あんな女のことなんて」
「あぁあ、どうするかな。いっそのこと殺すか」
殺すだって。
俺のことじゃないよな。違うはずだ。
俺が何をした。何もしちゃいない。
背を冷汗が流れる。掴まれた腕は熱せられたように痛む。
刃を突き付けらた首筋は凍ったように冷たく感じる。
父さんのこと。村のこと。今までのことが走馬灯のように頭をよぎる。
密猟でもしないとまともに生きていけない村で生きるためにやってきた。
華々しい英雄譚や魔獣殺しに憧れもしたが、生きるために諦めた。
どうせ俺はここで殺されるんだろう。
すぐにでも奴の刃が俺の喉を突き破るに決まっている。
そしたら死体は打ち捨てられて、後は朽ちるか狼の餌。
「おい、聞こえるか」
骨だけ残って大地に還る。俺がやってきたの同じだ。今度は俺が餌の番。
俺だけじゃないさ。ここに居る奴らも全員ろくでなしどもだ。
どうせ碌な死に方は出来ないだろう。
みんな狼にでも食い殺されればいい。
俺ごとみんな死ねばいい。
みんなだ。奴も、馬泥棒も詐欺師もみんなだ。
馬車は狼の群れに襲われて、兵士も馬もバタバタ倒れる。
そうなったら、赤毛の女は外に出てどこかに消えるんだ。
消えてどこかで……アイツは英雄にでもなるんだろう。
どうしてだか、知ってる気がする。あの女だけはここでは死なないって。
何か、思い出せそうだ。
いや、確かに覚えている。
遠吠えが一つしたと思ったら、森の暗がりから魔物どもが現れる。
狼みたいな獣が一人また一人と殺していく中で、牢の扉が開いてしまうんだ。
「あれだ」
森の中から一匹の獣が出てきた。狼の化け物みたいな奴だ。
そいつは馬車の前に陣取ると、値踏みするように俺たちを見てくる。
誰も動けなくなった。
あんな獣の存在を知ってはいても、いざ目の前に現れると脳が現実の理解を拒む。
俺たちが呆けているなか、獣はゆくっりと近づいてくる。
まだ遠いはずなのに、次の瞬間には飛び掛かって来ると思えてしまう。
いや、あれはこっちに来る。
俺は隣で呆然としている兵士の顔に木枷をぶつけてやる。
反対方向に走り出した。
木と骨がぶつかる鈍い音が合図となって、場の全員が動き出す。
ある者は剣を抜き、ある者は走り出し、ある者はただ叫び声をあげている。
しかし、一番速かったのはあの獣だった。
信じられない距離を一足飛びで詰め、兵士の背中に爪を振り下ろす。
見なくても分かった。恐らくはもう二、三人は殺されている。
裸足なんかを気にしてはいられない。あの女のことも今はどうでもいい。
一刻でも早くこの場を離れないと殺される。
あの獣に食い殺される。
身体に衝撃と熱風が走った。
転びながらも後ろを見ると、牢屋の扉が爆ぜていた。
木片が辺りに飛び散り、焦げ臭い嫌な臭いがする。
獣も含めて誰もが一瞬動きを止めた。
牢の中からあの女が出てきた。
燃えるような赤毛の中から二つの眼が獣を一瞥し、森の方へ跳び走る。
昨夜の時と同じように、あの女は狼みたいな俊敏さで去っていった。
あの時は逃がしてしまったが今なら追いつける。
急いで立ち上がると、俺も幼い時から馴れた森の中に入った。
なぜか俺はあの女が生き残るだろうことも、どこに行ったのかも分かる。
だったら、付いて行けばきっと俺も助かるんだろう。
それに、また話せばきちんと何かを思い出せる気がする。
根拠も何もないが、俺はアイツを探して森を駆けた。
獣から遠ざかったのか。それとも、全員殺されたのか。
獣と兵士が争う音が聞こえなくなった頃にようやく見つけた。
朽ちた森の狩猟小屋、その壁に倒れ掛かるようにアイツは休んでいた。
ここに来るまでに枝で切ったのかアイツの腕は切り傷だらけ。
裸足のせいで足は血まみれ、木枷で腕も動かせない。
だが、目だけはなお力強くあたりを睨む。そんな瞳と目があった。
「なあ、馬泥棒。あんたはいったい何なんだ」
俺には一つの確信があった。
アイツは死なない。物語の主役が話が始まりもしないうちに死ぬはずがないって。
どうしてだか、俺はそう思った。
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