探索
ゾワァ、と聞こえたような錯覚がした。
鳥肌が立つような感覚。胸の奥底で強い警戒心と、非常に微妙な嫌悪感がこみ上げてきた。その理由は……まぁ、ゲームでケイン王子が見せてくれた姿のせいだろう。
だからといって彼が悪い人だったわけではない。ただ前世の私が個人的に彼を嫌っていただけ。私が嫌っていた点がかえって彼の人気を支える要素でもあったから、これはただの好みの問題だろう。
もちろんそんな気持ちなど、少しも表には出さなかった。
「殿下がそうおっしゃってくださって光栄です」
「はは、ジェリアとはだいぶ違いますね。これは公女に対する認識を変えなければならないようです」
「おい、それはどういう意味だ」
ケイン王子がジェリアと仲良くしているのを見て、私は彼の気配を見続けた。雰囲気だけでは何の意図があるのか、それとも何の考えもないのかもよく分からない。
しかし油断はできない。ゲームではすべての行動に意図が隠れていて、腹黒では二番目と言われたら悔しい謀略家だったから。
事実、他の人だったらアカデミー編入程度にどんな意図を隠したと疑う必要もないけど、重要な位置にある彼なのでさらに気になる。
しかも王族のアカデミー編入は貴族社会でも大きなイシューになる。いつ入ってくるかによって、そしてその時期にアカデミーに在学中の有力貴族が誰かによって、あらゆる政治的憶測が飛び交うからだ。それが事前に知られていない奇襲編入ならなおさらだ。
そしてケイン王子はそれを知らない人ではない。意図的に利用する人間だ。
せっかく彼が声をかけてくれたから、この機会に一度直接聞いてみようか。
「ケイン第二王子殿下、一つお聞きいたしてもよろしいでしょうか?」
「ただのケインと呼んでください。毎回敬称が付いてたら会話が長引きますから」
「……ケイン殿下とお呼びするのはいかがでしょうか?」
「はは、壁が感じられる返事ですね。まぁ今はそれでいいです。それで、質問は何ですか?」
「変な質問かもしれませんけど……もともと今年編入される予定でしたの?」
ケイン王子は私の言葉に興味津々に笑った。
「ほう? なぜそう思いましたか?」
「ちょっとした疑問です。普通王族の方々は最初から早く入学するか、それとも最初から遅く編入するか、どちらかが一般的でしたから」
実は彼が編入した学年は八年。厳密に言えばこれも遅い方ではあるけど、普通〝王族が遅く来る〟学年は九年だ。ゲームで彼が編入した学年がその九年だったし。
「ああ、中途半端な時期ということですね」
「失礼な質問だったらお詫びしますわ」
「いいえ、そうではありません。でも、そうですね……」
ケイン王子は顎に手を当てて、しばらく考えているように頭を上げた。
何よ。それがそう考えるべき質問なの? 堂々と見せてくれるのを見ると、 ただのパフォーマンスかしら?
……いや、疑いすぎるのはダメ。ゲームでのケイン王子のことを考えると、一挙手一投足が気になってしまった。あまり過敏にならないようにしよう。
私がそのように考えている間、ケインはきらめく王子様スマイルを浮かべて私を眺めた。
「貴方に会うためです」
「あら、光栄ですわ。でもそんなことを殿下がおっしゃってはいけないですわよ?」
「おや、お世辞だと思うんですね。でも本気です」
しつこいわね。それよりアルカとリディアが何かキラキラする眼差しで私を見ているからそんな言葉は自制してほしいんだけど。
……と思ったら、ジェリアとジェフィスの気配が少しおかしかった。ジェリアは何かくすぐったような顔で頬を掻いて、ジェフィスはかすかな笑みを浮かべた。
「本当です、テリア様。実は僕もそのために、もともとの計画より少し早く来たんです」
ジェフィスまで? 何があったの?
……いや、それよりイケメン二人が私を見ようと編入を早めたということを聞いたアルカとリディアがものすごく目を輝かせている。これは早く真相を明らかにしないと。
私は照れくさそうな顔のジェリアのわき腹をつついた。
「これどういうこと?」
「いや、その……」
「テリア公女の活躍についてはジェリアからたくさん聞きました。特に入学してすぐジェリアに勝ったという話や大きな魔物を討伐した話などは興味深かったです。他にもいろいろ話を聞いたら、テリア公女がどんな人なのか自分の目で直接見たかったです」
「僕はケイン殿下に巻き込まれたというべきでしょうか。ああ、個人的にもテリア様がすごい御方だとは思っています」
……本当にそれがすべてなのかは分からないけれど、とにかく私と関係ある理由で編入を早めたならむしろ安心だ。もし私と関係のない理由だったら、ゲームのストーリーを歪めてしまったイレギュラーを探さなければならないから。最悪、私以外にも転生者がいるかもしれないという疑いさえしていたところだった。
転生者というのは珍しいはずだけど、こう言う私自身も転生者なんだからね。どこかに他の転生者がいてもおかしくはないだろう。
「ふふ、殿下が私のつまらない仕事振りに興味を持ってくださって光栄ですわ。しかし、私はそのような関心を受けるほどすごい人ではありません」
「謙遜ですね。どうせ私はそれを自分の目で確認するために来たのですから、あまり気にしなくても大丈夫です」
ふん、騙されないわよ。私に利用価値があるのか調べようと来たくせに。私に価値があると思ったら私を利用しようとするだろうし、ないと思ったら容赦なく捨てるだろう。ケイン王子はそんな人間だ。
見せかけの笑顔だけのケイン王子とは違って、ジェフィスは穏やかな態度だった。
「活躍はよく伺いましたが、それ以前に姉君とお友達になってくださったことに感謝したいと思います。姉君は性格が性格ですから」
「ああ、分かりますわ。ジェフィス様もお疲れ様でしたわね」
「おい、それはどういう意味だ」
「「何でもない」」
「……は。相性いいな」
ジェリアは舌打ちをしたけど、ジェフィスはいつものことだと言うように軽く見過ごした。ジェリアもジェリアで慣れたようにため息をつくだけで、それ以上問い詰めなかった。
「ジェフィス様、ですね。ジェリアお姉さんが男になったような感じです!」
「素敵な御方ですわね。ジェリアが見習えばいいのに」
アルカとリディアまでそんなことを言った。ジェリアの奴、私ほど味方がいない境遇だね。毎度挟まれる私としては非常に珍しい光景に笑いが出た。
攻略対象者ではなく、『バルセイ』の本編ストーリーに登場した人でもなかったけれど、ジェフィスはいろいろと重要な位置にある人だ。なるべく早く親しくなりたいの。
「せっかく会ったので、一度ティータイムをとってみてはいかがでしょうか? どうせ入学式の後に日程もありませんでしょう」
ちょうどケイン王子が手をたたいてニッコリと笑いながら提案した。
その言葉にアルカとリディアは期待に満ちた目で私を見上げた。ジェリアもため息をついて私を見つめた。彼女たちの反応のせいかケイン王子とジェフィスの視線まで私に集まった。
何よこの奥ゆかしいプレッサーは!?
まるで私がすべての決定権を握ったかのような視線がとても痛い。どうしてこんな格好になったの?
私は抜け出そうとするため息を抑え、ニコニコ笑って応じた。
「殿下にそのような提案を受けるとは、身に余る光栄に感謝します。ではお少しだけ殿下の時間をいただきます。みんなも大丈夫ですよね?」
もちろん断る人はいなかった。とっくに期待感満々だったアルカとリディアはもちろん、もともとケイン王子と親交のあるジェリアも言うまでもなかった。
ただ……。
「殿下。提案はいいのですが、その前にアカデミーの学長との面談がありましたよね?」
「あ、そうだ」
ジェフィスの言葉にケイン王子は「そうだったんだね」と眉をひそめた。
……そんなこと忘れてはいけないのよ、こら。
「おや、申し訳ありません。日程がありましたね。それでも長くはかからないので、まずジェフィスと一緒に時間を過ごしていただけますか? すぐ合流します。ジェフィス、着いたら場所を教えてよ」
「殿下の御意のままに」
そうしてケイン王子はしばらく席を離れ、私たちはジェフィスと一緒にティータイムをするだけの庭園に向かった。その途中でトリアから思念通信が飛んできた。
[すごいですね]
[うん? 何が?]
[殿下の護衛です。かなり多くの数が周りに潜伏しています。隠蔽の実力もすごいですが、殿下の動きによって陣形が移動し続けるのがまるで一人のようです]
もともと精鋭護衛たちはこのような場所でも周りに身を隠したまま密かに主人を守っており、トリアも同じことをしている。ただ、それだけならあえて私に話はしなかっただろう。
[監視されてるの?]
[そんな感じですね。お嬢様だけでなく、私まで含まれているようです]
トリアは「かなり不愉快ですね」と少しイライラした。
それにしても監視か。やっぱり最初から簡単じゃないわね。もし今席を外したのも、ジェフィスだけの時私たちがどのように出てくるのかを見ようとする考えかもしれない。
こんな点でケイン王子が嫌いだ。何でも実利と合理だけを考える奴。人間的な面もなくはないけれど、比重で言えば一割にもならない。
それにゲームでは私のせいで……。……いや、憂鬱な考えはもういい。
とにかく、彼もひとまず攻略対象者であり、この国に迫る災いを乗り越えるためには攻略対象者全員の力があるのが一番だ。
つまり、彼のことが好きかないかにかかわらず、ケイン王子とも協力関係を構築するべきだということだけど……正直、思った通りに上手くいくかどうかは私も自信がない。始める前から不安になっても無駄だけど。
「お姉様?」
「あ、ごめん。行くわよ」
一旦は席を外したケイン王子よりも、目の前にあるジェフィスに集中しよう。
私は歩を進みながら、ジェフィスの設定について考え続けた。
―――――
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