元師匠の魔女様が転生先に押しかけてきた。曰く「恋を知りたい」らしい。

恒南茜(流星の民)

#1 胸の高さのとんがり帽子

——熱い、熱い、熱い。



「——ヤツだ! 禁術に手を染めた——魔女は——ッ!」



パチパチと弾ける火の粉。

それは、頬に張り付いては爆ぜ、小さな火傷を作っていく。


——パシュッ!


そんな中で僅かに一度、風切り音が耳を突いた。

肩口に何かが突き刺さり一瞬、そちらに視線が動く。

周囲が明るすぎるせいか、溢れていく液体はどす黒くしか映らない。


刺さっているのは——矢だった。


それに気づいた途端、強烈な痛みが襲う。

思わず呻き声が漏れ、膝から力が抜けかける。

けれど、それに身を任せるわけにはいかない。


俺は——守るんだ。


「何を……何をして——っ!」


彼女は、まだしきりに叫んでいるけれど——叫んでいるけれど……?


……守るって、何を……?


——パシュッ!


再びの風切り音。

次は足だった。

再び強烈な痛みが走る。


痛い、辛い。立っていたくない。


……なのに、なんでこんなことをして……?


——パシュッ!


最早、どこに刺さったのかもわからない。

全身熱されて、痛くて。


「……弟子、早く……逃げ、な——」


彼女が再び叫ぶ。

熱さも痛みも通り過ぎて、ただただ寒い。


薄らいだ感覚じゃ、まともに立っていられているのかさえもわからない。


というか、そもそも——そもそも——は、一体……? 



俺に……とって——





「——なさいっ!」





額に走った激痛。

呻くと共に口を開けてみれば、冷めた空気が一気に流れ込んでくる。

乾き切った唇が少し切れたようで、もう一度、呻き声を漏らしてしまった。


「……起きなさい。全く……そんな険しい顔をして寝るヤツがどこにいる? それに、授業中は起きる。鉄則だろう? あんまり部活動にうつつを抜かしてるとだな……」


黒いロングヘアを向けて、再び教卓に戻る教師の背中を見送りながら、俺は顔を起こした。

周囲を見回してみれば、いつもと何も変わりない教室だ。

本来射すはずの厳しい日差しはカーテンでカットされ、クーラーから流れる冷気が教室中を満たしている。


……何かよっぽど熱い思いでもしていたような気がするのに、何も思い出せやしない。

というか、こんなところで寝ていたら寒くはあれども、熱い思いなんてしないはずだ。


もろに当たる風によって、頭は徐々に冷めていく。


夢——とは、得てして不思議なものだ。


何も覚えてやしないのに、度々感覚だけが残ることがあった。


胸に穴が空いたかのような強烈な喪失感。


まるで、体どころか……精神の奥深くまで刻み込まれているような……鮮烈な恐怖。


一瞬、そんなものを想起して首筋に冷たいものが流れたのはきっと、単にクーラーのせいではないだろう。

とはいえ、周囲を見渡してみれば、今日もまた景色はいつもと変わりない。

俺はただの高校二年生で、過去に火事にあった……だとか、そういった劇的な体験すらも味わったことはない。

オカルティックなものがいくら好きだとはいえ、ここまで来たら一周回って病気だ。夢のことは一旦忘れて、今は授業に集中せねば。


視線を落とし、ノートに目を向けて——。


「……え」


俺は頓狂な声を上げてしまった。

ぐちゃぐちゃで、濃かったり、薄かったり——寝ぼけた状態で描いたことが窺える、不思議な模様。

形容するのなら——そう、魔法陣。それがノートのページ一杯に描かれていた。


それは、細かいところまで大分描き込まれていて。

何重にも描かれた円の内には、見たことのない文字が並んでいる。


単に寝ぼけただけでこんなものを描けるとは到底思えない。


「おぉ……」


思わず感嘆して、声を上げた時だった。


「——この期に及んでふざけた落書きまで……何度、授業を妨害すれば気が済む……?」


ノートに射した影。

顔を上げる間も無く、俺は何が起きたのかを理解した。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



「にしても——今日のお前、傑作だったぜ。全く……一回だけじゃ飽き足らず、二回のデコピンをご所望だとは中々な趣味だな、かえで

「……っせー。あのひとのデコピン、よく効くんだよ。何ならお前も一度受けてみるか? 梨久りく


隣を歩く友人——如月きさらぎ 梨久りくを睨み返しながら、そんな風に嫌味を吐く。実際、額の痛みはまだ取れない。

だというのに、一日もすれば大体この痛みは消えているのだから不思議なものだ。本当に小賢しい力加減だと、毎々思う。


「——まあ、それはそれとして……暑いな。コンビニでも寄るか?」

「ん、デコピンのお見舞いってことか。奢り?」

「なわけねぇだろ。……まあ、流石にこの暑さじゃあ、とっとと帰った方がいいか。それじゃあな」

「おう、連絡頼むわ」


軽く会釈をし、梨久と別れ、一人で坂道を下っていく。


多少この辺りは影が差していても、アスファルトは溜まった熱を吐き続け、伝わる熱さはちっとも弱まらない。


例年稀に見る猛暑。明日から夏休みだというのが唯一の救いだ。じゃなきゃこんな熱さの中、学校なんて行ってられない。

部活が入っているとはいえ、一週間は自由。ここ最近の暑さとテストで疲労した体を休ませるには丁度いい。


そんな風に少しは胸を躍らせながらも歩いていた時だった。



突然目の前で羽が散って——白いものが落ちてきた。

触れる間も無く、とさり、と。乾いた音を立てて、それは地に落ちる。

鳩だった。


まあ、この暑さだ。鳥も案外落ちてくるのかもしれないと、そのまま素通りしようとして。


……流石に、俺は違和感に気づいた。


慌てて視線を戻し、落ちた鳩を探そうとして——。



「……は?」



それはもう、消えていた。

あまりの出来事に視線を巡らせてみても、誰もいない。


鞄を肩にかけ直して。

半ば逃げ出すように、俺はその場を去った。


◇ ◇ ◇


◇ ◇



エントランスに足を踏み入れて、エレベーターを待っている最中。

冷めてきた頭が、ようやくいつも通り回り始める。

恐らく、さっきのは光か何かの悪戯だとか、純粋に暑さで俺がやられていた、だとか、きっとそんなところだろう。じゃなきゃ、説明がつかない。


オカルティックなものが好きだというのと、信じるか否かという話はまた別だ。

いざ直面してみれば、外的要因のせいにもしたくなる。


自身の住んでいる部屋の前に向かうだけの距離では、決して解決しきれないだろう問題に無理やり蓋をして、エレベーターが止まるのを待つ。


やがて数秒、軽いアナウンスと共にドアが開いた時だった。


「——え」


目の前に、とんがった黒いものがあった。

そして、視線を下ろして真っ先に浮かんだのは、暑苦しそうな格好をしているな、という面白みのない感想だった。


真夏だというのに、足まで伸びた黒いローブ。それにとんがり帽子。

そこから伸びているのは若干白みがかった金髪で、その下にある青い瞳は俺を見つめながらも、幾度か瞬く。


背丈は——帽子を除けば、俺の胸あたりまでしかないだろう。顔つきもあどけない。大体、13、14才あたりだろうか。


端的に言ってしまえば、魔女みたいな奇怪な服装をした少女——それも外国人らしくて、見覚えのない娘が目の前に立っていた。

早め……と言っても、三ヶ月先だが……ハロウィーンの予行練習でもしているのだろうか。

だとしたら、そんなヤツとは関わりたくない。


とことんまで変なことばかり起きる日だと思いながらもエレベーターから一歩踏み出し、彼女を無視して足早にその場から立ち去ろうとした時だった。



「——待って、ください」



不意に、妙なデジャブを感じて、俺は立ち止まった。

確実に聞いたことがあって——でも、こんな娘——記憶にはなくて。

一瞬見せてしまった隙、そこに付け入るように彼女は俺の腕を掴む。


小さくて、柔らかい感触が直に伝わる。込められた力も、人を引き止めるにしては酷く弱々しい。


思わずもう一度、彼女の顔を見つめた時——確かに、脳の奥——それも、奥の奥の方で僅かに何かが光ったような気がして。


けれど、その輪郭を掴む直前——彼女の赤く染まった顔と、俺を捉えるうつろな瞳に気がついた。

集中してみれば、手も相当に熱い。もしや、彼女は——。



「やっと……会え、ました」



けれど、案ずるよりも先に、彼女は俺の胸の中に倒れ込んでくる。

体制が崩れそうになるのを堪えて立ったまま、抱きとめるような形にはなってしまったが......彼女の体制も整える。

全身が、熱い。触れるローブも、それ越しに伝わる体温も。


「君——」




「——やくそく、です。おしえて、くれるんでしょう? ……でし」




意味不明な、たった一言。俺の声を遮って、最後にか細い声を発したのち——彼女の体から力が抜けた。



狭まった視界でも捉えられるくらい、大きな入道雲。

ジー、ジー、と。茹だるような暑さの中、蝉の鳴き声だけがこだましていた。

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