第5話 領主の館にて

「うはあ、こりゃすげえな」


 言ってしまってから、これではまずいと思い改めて言い直す。


「これはこれは。なんと見事なお屋敷でしょうか!」


「あなた方が倒してくださったデネブルの支配領域は、古王国の三つの王国にまたがります。古王国では、それぞれの領地を貴族が治めていました。その中でも最も広大な領地をお持ちだったのが、我らのご領主センド・バーナース様のご先祖です」


 デネブルの軍門に降(くだ)って生き残ったか。とはいえ、その後やはり滅ぼされ、今、領地を治めているのは、当時の貴族の末裔ではなく、平民上がりだった女の子孫なのだ。別に隠し事ではない。平民ではあるが財産と学識と武勇を誇り、デネブルの怒りを買わぬように気を配りながらも、上手く領地を統治した。そう聞いている。


「それでも、デネブルを倒すまでには至らなかった。その支配下で何とかやっていくのが精一杯だったんだな」


 ウィルトンは胸中の想いを口には出さない。


 バーナース家の屋敷は美しかった。全体が白銀の月のように輝き、気品と神秘を醸し出している。


 窓にはどれも硝子(がらす)が、それも色硝子を使った硝子絵が使われている。窓はすべてが円形で、花を真上から見たような具合に、放射状に、円形に、色硝子を並べてあった。様々な色合いの硝子が月と屋敷からの光を通して、夜の中でも鮮やかに浮かび上がっていた。


「なんと美しいのでしょうか。月の光の中に、色とりどりの硝子の花が咲いているようです」


 アントニーは感動のため息をついた。


 それだけでなく、屋敷からは音楽が流れてきた。竪琴の響きだ。澄んでいて、しかも深みのある音が、優雅な旋律となって流れ、耳を打つ。


「素晴らしい音色だ。誰が奏でているんだろう」


「さあ、お入りください。お客人の控えの間にご案内いたします。そこでお召し物もお着替えください。必要な物はすべてご用意してあります」


「それはありがたいな」


 ウィルトンは無難な返事をした。そういえば、貴族社会での礼儀作法をアントニーに教わらないままだ。本当に大丈夫なのだろうか。そう思うが心の内側の動揺を悟られないように、平静を装う。


 その時、アントニーが前に進み出た。


「私は長年の旅暮らしで、このようなお屋敷での礼儀作法も忘れてしまいました。ご領主様にご無礼無きようにしたいのですが、助けてはいただけませんか?」


 俺のために気を利かせてくれたのだ。ウィルトンにはすぐに分かった。アントニー自身は、礼儀作法を忘れたりはしないだろう。古王国時代からの古いしきたりも、現代の作法も、充分に身に着けているのだ。ウィルトンは知っている。


 御者は、アントニーのそんな配慮に気がついたのかどうか、すぐにこう言った。


「かしこまりました。今晩は客間にお泊まりくださいませ。お食事はそちらでどうぞ。ご領主様との面会は、明日の夕刻にいたしましょう」


 領主の屋敷は、ウィルトンがお屋敷通りと呼んだ並びを進んだ一番奥の、小高い丘の上にある。丘の上には他には建物はなく、ただあちらこちらに春の花が咲き乱れていた。


 七色の花びらを持つすみれを、ウィルトンはここで初めて目にした。しかもその七色すみれからは、甘く落ち着いた香りがした。


「いい丘だ。ここでの野営ならいい気分になれるだろうな」


「野営などととんでもない。私はこの一帯をお救いくださったお二人を、失礼のないようにお迎えするよう仰せつかっております。さ、中へどうぞ」


 アントニーに先へ行かせた。ウィルトンは後からついて行く。


 屋敷の中は天井が高く、〈法の国〉様式に習って、天井画が描かれていた。青空と明るい太陽だ。


 アントニーはそれを見上げた。見上げて、しばし立ち止まった。


「ああ、なんて見事な。まるで本当に……」


「客間にもこのような天井画がございます」


 御者をしていた男は振り返り、入り口のある広間の、奥にある廊下を指していた。


「そうですか。それはありがたいですね」


「では、こちらへどうぞ」


 廊下は入り口のある広間を囲むように造られた、回廊であるらしい。回廊と広間を区切るのは、やはり〈法の国〉様式の列柱だ。入り口から真っ直ぐに広間を進み、廊下に出て右に折れ、進んでさらに右に折れる角に来た。その角には扉があり、御者は扉を開けてくれた。


「さあ、こちらへ」


「うわあ!」


 ウィルトンは思わず声を上げた。中には、白大理石で作られた彫刻があった。一角獣と翼ある白馬、つまり天馬と呼ばれる馬の彫刻だ。それは客間の入り口を守るように、左右に置かれていた。


「よく出来ているな! またがれそうなくらいだぞ」


「シェザード様、それは何とぞご勘弁を。代わりに、本物の馬をご用意いたします」


 御者をしてきた男は、ウィルトンを家名で呼んだ。馴れ馴れしくしないようにとの作法なのだろう。


「いやいや、いいって。……いや、そうじゃない。いや、結構だよ、君。そんな気づかいは無用だ」

 

「かしこまりました。お荷物はこちらにどうぞ」


天馬の彫刻の後ろに、脚の短い長方形の卓があった。黒い、鏡のように磨かれた石で出来ている。いかにも高級な雰囲気だ。


 ウィルトンは、自分のくたびれた背負い袋を置くのをためらった。アントニーが先に自分の荷物を背中から下ろした。アントニーのは上質な黒の革製で、質素な作りだが持ち主に似つかわしい品がある。


「さあ、どうぞ。シェザード様、ご遠慮なさらずに」


 再度勧められて、ウィルトンも背負い袋を下ろす。服と同じく濃い褐色の布製だ。布は二重に縫い合わされ、丈夫に出来ているが、ところどころにしみがつき、しわも寄っていた。


「じゃあ失礼して、と」


「シェザード様には、その武勲に相応しい物をご用意いたします。まずは服をどうぞ」


 広い客間の奥には、二つの寝台が並ぶ。一つの寝台だけでも、二人は余裕で寝られそうなほどに大きい。さらにその奥に大きな窓がある。今は垂れ幕が下がり、外の景色は見えない。


 向かって右側の寝台のさらに右の壁に、衣装入れらしき家具があった。御者をしてくれた男はその家具の両開きの扉を開ける。中には二十着もの服が下がっている。上下の組み合わせで二十ずつだ。上着も下穿きも共に揃えられて、衣装掛けに吊るされていた。


「すごい! お貴族様が着るような服だぞ。俺の田舎じゃ、旧家の出の村長でさえこんな服は着ない」


 藍色や艷やかな漆黒、あるいは暗い灰色に、明るい青と淡い緑の衣装が並んでいた。小さな宝石の飾りや金糸や銀糸の刺繍が施され、実に豪華だ。


「すげえ! こんなの本当に俺が着るのか?!」


「はい。シェザード様のために、特別に仕立てた物でございます」


「よかったですね、ウィルトン」


「はあぁ、こんなの着たら緊張で変な動き方をしそうだぜ」


「アントニー様の物はあちらにございます」


 男は今度は寝台の左側の壁に並ぶ衣装入れに彼らを導いた。


「これは」


 中を見せられて、アントニーは驚いた。入っているのは同じく二十着の上下の揃いだが、あつらえは違う。


 紺色や黒、深い青の服ばかりで、明るい色の物はない。ウィルトンのための物よりも遥かに簡素に見える。しかしよく見れば、布地と同じ色の刺繍糸で複雑な文様が描かれ、紺色の服にはラピスラズリ、黒にはオニキス、深い青の服にはサファイアで、飾り立てられている。


「はい、ブランバッシュ様には、古王国の貴族のしきたりに従い、このようなお衣装をご用意させていただきました。お気に召していただければ幸いです」


「ああ、素晴らしい……」


 アントニーは深いため息をついた。そっと手を伸ばし、服に触れる。


「ありがとう。これは本当に古王国の習わし通りの、由緒正しき貴族の衣装です。でも、仕立てはあの当時より、格段に良くなりましたね」


 感慨深げにアントニーは微笑んだ。心から幸せそうな笑顔だった。

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