第3話 老貴族アンタラスの噂

 ウィルトンが宿のカウンターの前に戻った。カウンターは宿の入り口から見て奥にあり、手前側にはいくつもの椅子や円卓が並んでいた。円卓の周りには四脚の椅子があり、そんな組み合わせが全部で十二もあった。


 宿屋の主人はカウンターの向こう側の真ん中に立ち、用心棒と思しき男が、この食事処の片隅で椅子に掛けていた。鋭い目でウィルトンを一瞥すると、目をそらして腕組みをした。


 用心棒は大盾をかたわらに置き、硬い革鎧を着込み、上から布の上着を着ている。上着は濃褐色でウィルトンの物と似ているが、着古した感じはない。のりを効かせてぱりっとさせているのだろう。村では祭りや誰かの婚礼、または葬儀に出る時の晴れ着くらいだ、そんなにぱりっとさせるのは。


「庶民の普段着なんて、着古していても、多少よれていてもいいだろう。街も案外面倒くさいところだな」


 ウィルトンは、内心でつぶやいた。


 用心棒は無表情で入り口を見ている。ならず者が入ってきた時に備えているのだろう。声を掛けてみようかと思ったが止めておいた。聞くことがあれば主人の方にしよう。


「ご主人、この街で暮らすご領主について聞きたいんだが」


「何を聞きたい?」


 ウィルトンは、その口ぶりと態度ですぐに察した。銀貨を一枚、取り出してカウンターに置く。主人はそれを確かめ、確かに銀だと確信すると懐(ふところ)にしまった。


「確かにいただきました。何をお聞きに?」


「デネブルを倒した英雄二人をどう思っておられるのか? だ」


「そうですね、私が聞いたところでは、大変二人に感謝し、ぜひ貴族の位を与えて、恩給も充分なだけ用意しようとのことですが」


「それはありがたいな。いや、何でもない。しかしそれだけの英雄が現れると、ご領主は自分の地位が脅かされるとご心配ではないのかな?」


 それだけの英雄。本人が目の前にいるぞ、などとはウィルトンは言わない。


「ご領主の心の中までは私にも分かりませんが。確かに、ご家来の中には、そのような事をお耳に入れた者もいるようです」


「それが誰か分かるか?」


 出来るだけくわしく、だ。ウィルトンはさらにもう一枚の銀貨を出す。


 宿の主人はうなずいた。


「第一の側近、アンタラス殿です。もう老齢ではありますが、矍鑠(かくしゃく)としておられる、古い家柄の貴族の一人です。古王国からの貴族の血を引き、ご領主よりも古い家柄の方です。没落していたのを若い頃にご領主に救われ、以来お仕えしている方です」


「へえ、古王国の」


 ウィルトンはその点に関心を覚えた。


「若い頃は深い紫色の髪だったのか? 目の色は?」


 主人は頭を横に振った。


「黒に近い灰色で、紫色ではありません。あの時代の貴族もすべてがその髪の色だったわけではないのです。ご存知かも知れませんが」


 ご存知だった。


 アントニーはローブについたフードを目深にかぶっているので、主人にも宿の誰にも髪と目の色は見えないだろう。ただ、新種のヴァンパイアなので陽光に弱いとは言った。それもあって、主人は無料(ただ)で馬小屋に泊めてくれたのである。


 ある意味では、アントニーも没落貴族のようなものだ。村の納骨堂に残してきた財産だけでは、本来の貴族としての体裁を整えるには到底足りない。庶民から見ればそれなりに贅沢な暮らしと言えるだろうが、大きな屋敷も広大な領地もない。今の段階では、他の権力者との密接なつながりもない。


 このままなら、人々を助けながら得た資金でささやかな贅沢を楽しむしかない。それでも、労働からは解放され、小じんまりとしているとはいえ、大理石で造られた調度品の住まいに暮らすのだ。没落貴族と言えど、まったくの庶民や貧乏人の暮らしになってしまうわけでもない。


 それでも。俺は彼に、貴族の地位を取り戻して欲しい。本当の貴族の地位を。


「アンタラス様自身の評判は?」


「最近は芳しくないですね」


「最近は?」


「段々気難しくおなりで。周囲の者は恐れています。滅多に私たちのような庶民の前には姿をお見せにならなくなりました」


「気難しく? ご領主に対しては?」


「ご領主には今でも忠実な方ですよ」


「気難しいとは、例えばよそ者を嫌うとかか?」


「それもありますね。デネブルの夜から解放されて、支配領域であった一帯も人の往来が盛んになります。このウェルドの街もどんどんにぎやかになってゆくでしょう。それを必ずしも歓迎しない人々もいるのです。なんだかんだで、デネブルに支配されていた時代は長い。すぐには新しい生活に慣れないのですね。太陽は望ましくても、この街で太陽を浴びるのは、これまでとは違う人々になる。そこまでは望んでいない人もいるのです」


「なるほどな」


 俺の村もそうだろうか。街も前とは変わってしまう。変化を歓迎しない者がいる。それはどこでもいつの時代も変わらないのだろう。


 そして、変化の中でも最大のものは、デネブルを倒して太陽を取り戻した英雄の存在そのものだ。


 それを望まない者が、確実に領主の側にいるのだ。

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