第20話 過去の思い出 『古王国の遺産』 最終話

 ウィルトンとアントニーも残りの夜は、宿の部屋に戻り静かに過ごした。


 木戸を開け放ち、星明りを部屋に招く。それだけでは暗いので、蜜蝋のろうそくを一本だけ灯していた。魔術の明かりでは、明る過ぎるからだ。今は密やかな明かりが欲しかった。


 首すじに歯を当てられ、血を吸われる。全身に震えと快感が走る。同じように血を吸う側も感じているはずだ。


 ウィルトンの首すじから口を離すと、アントニーは笑って言った。


「赤ワインだけで壮健さと強靭さを保てるのは七日が限度なのですが、本当は毎晩吸わなくてもいいのですけどね」


 言い終わってから、またおかしそうに笑う。ウィルトンの方は何も言わない。沈黙したまま下を向いている。照れくさい時の、いつもの仕草(しぐさ)だ。


「なあ、俺と会う前はどうしていたんだ?」


「それは秘密です」


「なんだよ、言えよ」


「必ずしも直に口を当てる必要はなくて、そうですね、爪で傷をつけて、したたる血を、こうしてピューター製の銀色のカップに受ければ良いのです」


「……ふーん」


 ウィルトンは、それ以上は追及しなかった。あまり大人げないと思われるのも癪(しゃく)だ。


 それにしても、戦いが終わったというのに今夜のアントニーはどこかおかしい。何かあったのか?  カルディスの領地に対してしたことを、今でも気に病んでいるのだろうか。


 ウィルトンのその疑問を察してか、アントニーが話しはじめた。


 先ほどとは打って変わって真剣な表情だ。


 話の内容は、カルディスとの間に昔あった事だった。


「その年、私の領地は凶作で、備蓄も底を尽きそうでした。隣の領主であったカルディスに、そちらの麦を売ってくれと頼みましたが断られました」


 ウィルトンは次の言葉を待った。アントニーは何も言わない。


「……デネブルは? 同盟を結んでいたんだろ?」


 あのヴァンパイアにもそんな時代があった。それはウィルトンにとって信じがたいことであり、受け入れ難いことでもあった。


 だが事実は事実だ。


 アントニーは首を横に振る。


「彼には助けを求められませんでした」


「どうしてだ? だって当時の奴は」


「すでにヴァンパイアになっていました。事情があり、余程のことがなければ他に干渉は出来ませんでした」


「同盟者だったのにか?」


「私の領地が攻め込まれたわけではありませんでしたから」


「そうなのか。いろいろ複雑なんだな」


「デネブルの領地と私の領地は離れていました。だからこそ、戦への備えとしては意味があったのですが」


「ああ、なるほどな、分かるよ。間にはさまれた領地の奴らは、うかつに手出しが出来なくなる。どちらかを攻めれば、どちらかに背中を見せることになる。だけど、デネブルから食物などの支援を得るなら、距離が離れていては不都合だ。とりわけ間にある領地の連中が、いつ敵になるか分からない奴らではな」


「そのとおりです」


 その時、横から急にロランが叫んだ。ほとんど悲鳴のような声だ。


「アントニー様のせいではありませんよ! あの年に不作だったのは……アントニー様にはどうしようもないことでした」


「ありがとう、ロラン。どの道、もう済んでしまったことです。他にやりようはあったかも知れませんが、今となってはどうしようもありません」


 そう言ってアントニーは微笑む。


 ウィルトンにはそれが、ロランに向けた気遣いの嘘だと分かった。

 確かにどうしようもなかったかも知れない。だが、彼はそれを自分の責任だと考えているのだ。だから、せめてもの償いとして、カルディスたちの墓場に行こうとしているのだろう。


 ロランはまだ納得できないような素振りを見せた。アントニーは、軽くロランの頭に手を乗せる。そうされると、少しは落ち着いたようだ。


 アントニーの表情が和らいでいる。ロランの言葉に救われた部分があるからだろう。ロランが口にしたことは、ウィルトン自身も思っていたことだった。


「今晩はゆっくりして、あくる晩には墓場へ行きます。ロランも着いてきますか?」


「はい、ぜひ」


「では窮屈ですが、明日の晩にはまた背負い袋に入っていなさい」


「分かりました」


 夜はますます更けてゆく。夜風が冷たく室内を冷やしている。まだ春の初めの肌寒さだ。本当の花咲ける春までには、まだしばらくは間があった。


第2作目 終わり

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