第12話 傷つきやすい人間

 アラニスがひざまずく地面には、小さな靴の跡があった。


「なるほど、確かにこれなら小柄な女に見えるだろうな」


 ウィルトンは気分が明るくなった。これで謎の人物を見つけられるかも知れなかった。


「残念ながら、まだベールの主と決まったわけでは」


 アントニーは軽く反論した。


 世の中には、こんな事を言うにも気を使わねばならない者もいる。わずかでも反論されると傷ついたり腹を立てる人間だ。幸い、ウィルトンはそうではなかった。

  

 そうした傷つきやすい人間が、自分も他者を繊細に気遣い出来る者であればよいが、そうでなければ世間の人々との間に様々な行き違いを引き起こすものだ。つまり、べナリスのように。


 ウィルトンはいつものように、気軽にこう返してきた。


「そうだが、こんなところに一人で来る女が? よほどの手練か、さもなくば」


「人間ではない存在、ですね。あの宿屋のお嬢さんが見たベールの主以外には、林に入った者を誰も見ていません。確かにそうである率は高そうです」


 ウィルトンは先ほどの金糸草を少しだけ摘んできていた。そのうちの一本を口にしようとする。


「何をやっているんです。洗ってもいないんですよ」


「大丈夫だよ」


「ですが、念のためです」


 アントニーは、今朝ウィルトンがくれた赤ワインの残りを持ってきていた。


「ワインは酒精が少なめなので消毒の効果はさほどありませんが、やらないよりはましです」


 陶器の瓶から、赤ワインを金糸草にかける。


「おお、ありがとうよ」


 ウィルトンが礼を言って金糸草を口に含んだ。爽やかな香りがした。柑橘類の香りに似ているが、もっと甘さがなく鋭い香り。味はほとんどしないが、ごくわずかに酸味がある。


「気分転換にいいな。酒を飲むより安上がりで身体にも良さそうだ」

 

 ウィルトンは嬉しそうに草を噛み、アントニーはそれを半ばはあきれたように見守る。


 二人が沈黙するのを見計らって、ミラージが声を掛けてきた。


「どうします? この足跡を追いますか? もっと他を探しますか?」


「他には足跡は見つからなかったんだろう?」


「はい」


「なら、それをたどろう」


「分かりました。先に行かれますか? 我々が前衛となりましょうか?」


「ああ、そうだな。お前たちが前を歩いてくれ。アントニーには俺の後ろから来てもらう」


 なかなかに分かりにくいではあろうが、アラニス一行をそれなりに信用してはいるが、背中を任せるほどではないと、そんな意味合いがある。


 アントニーは察してくれた。アラニスは黙ってうなずき、べナリスは何も言わず、ミラージは微笑んで、


「分かりました。それで参りましょう」


と、言った。


 足跡は続いていた。他に誰もこのあたりまで来てはいないらしく、足跡が他と混ざってしまうこともなく跡をたどれた。


 夜の林の中は静かだ。


「実は、村にはべナリスみたいな友人がいる。そいつは鍛冶屋で、この槍の穂先の直しも度々してもらった。俺が何か言うとな、例えば『南から来た行商人から買った木の実、美味えな』って。そうすると奴は『うっせ。地元のきのこの方が美味いだろうが!』って言う」


 ウィルトンは思い出して、にやにやと笑った。


「俺はやり返すね。『何言ってんだ、お前も食ってみりゃいいだろう。こっちのほうが日持ちもするし便利だろうが!』てな。そんな雑なやり取りをするんだ。お貴族様に対する気遣いとは違うぞ」


「それはそれは。いつもお気遣いいただき、ありがとうございます」


 アントニーはわざとらしく頭を下げた。


「でもな、お前みたいに丁寧な話し方が出来ず、しかも俺の友人と違ってざっくばらんなやり取りをされるのも嫌となるとな、まあちょっと厄介だ」


「分かりますよ。誰でも基本的には、相手からされた事を返したくなるものですから。例外もありますが」


 実を言えば『何言ってんだ、お前も食ってみりゃいいだろう。こっちのほうが日持ちもするし便利だろうが!』ではなく、別の言い方でもよい。


 『確かにきのこも美味いけど、木の実だって別の食い方があるから良いんだろうが!』のように両方の考えを肯定するのだ。


 それも駄目で、ひたすらに『うっせ。地元のきのこの方が美味いだろうが!』だけを全肯定して欲しいとなると、まあ難しいのだ。少なくともウィルトンには難しい。アントニーも同様だろう。


 古王国の貴族の、見下しによる寛容とやらを別にウィルトンは見たいとは思わない。とりわけ、それが自分の盟友であった場合には。


 だが、他に方法が無いのであれば……。


「古王国時代には、貴族が見下しによる寛容を示すのは美徳でした。怒りをあらわにするよりは、よほど品が良いとされていました。今がそのような時代ではないのは分かっています。貴族も平民に対する見下しをはっきりと示して良い時代ではなくなりました」


「そうだな。その代わり、平民の礼儀もうるさくなった。なあ、この件が終わって領主に会う前に、礼儀作法を教えてくれよ。でないと貴族の間では、俺もべナリスと似たりよったりの無礼者かも知れないからな」


 アントニーは密やかに笑う。


「領主殿に寛容を願うのですね。古王国の流儀で」


「おいおい、それはないだろう?」


「それこそが古王国の精神的遺産、レガシィです」


「酷えな。他にもっと良いもんは無いのかよ」


「ありますよ。ですが、見下しによる寛容もきっとその一つです」


 他に方法が無いのであれば。

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