ウィルトンズサーガ

片桐秋

第1作目 暗黒城の城主

第1話 支配者の名はデネブル

 ウィルトン・シェザードは、村外れの見捨てられた墓地の、白い納骨堂の前に立っていた。

 

 白銀の月と真紅の月が、共に満月となって天頂にある。


 納骨堂の中には、永年この一帯を化け物から守ってくれていたヴァンパイアがいる。


 古王国時代からの、貴族の生き残りだ。かつてはウィルトンの村も含めて、このあたりを領地として治めていた青年である。


 いや、青年だったと言うべきなのか。古王国が滅びてから、四百年以上を彼は生き続けてきた。もはや、人の生きられる寿命は、とうに過ぎている。


 そんな強大な力を持つ魔術師、アントニー・フェルデス・ブランバッシュが、この納骨堂にいる。


 アントニーの先祖たちの骨が収められている納骨堂だ。今、ウィルトンの眼の前にある。


 美しい乙女たちの浮き彫りが外壁に施されている。乙女たちは現代にも残る《死の舞》を舞う姿で彫り込まれていた。


 と、その時、


「ああ、あなたの方から来てくださったのですね。本当は、私から迎えにゆくつもりでした」


納骨堂の扉が開き、中から白銀の月そのもののように美しい青年が現れた。


 ウィルトンは一ヶ月ほど前に三十になったばかりだ。若さと共に歳を重ねた落ち着きを兼ね備えている。


「ありがとう、俺はいつも心からお前に敬意を捧げてきた。どうか俺を、この村を助けてほしい。俺と共に戦い、あのデネブルを倒そう!」


 それは貴族に対するには無礼な口の利き方と言えるかも知れない。しかしウィルトンは知っている。


 昔からこの青年貴族のヴァンパイアが、自分に特別の目を掛けてくれたことを。


 暗黒城と呼ばれる城に、デネブルは暮らす。デネブルもまたヴァンパイアであり、強力な魔術師であった。


 ヴァンパイアとなっても領民には寛大で、民を思う良き領主であった。だが彼は狂った。


 魔術により、一年中を夜の闇に覆い、四年に一度だけ一年の終わりの日に薄明かりが差す土地にしてしまったのだ。


 彼はおのれの領地のみならず、三つの王国を併呑して支配した。


 誰もデネブルの支配下から、助けてくれる者はいなかった。


 アントニーにさえも、デネブルを倒すのは不可能であった。


「薄明かりが差す日は近づきつつあります。デネブルの力も弱まる。私と共にゆきましょう。危険な賭けですが、今やらねばもう機会はないのかも知れません。デネブルは、いよいよ私をも滅ぼそうとするでしょう」


「俺たち二人ならやれる。きっとやれるさ」


 この村では、古王国時代から残る堅牢な古い石造りの家々に人々は暮らしている。ウィルトンもそうだ。


 家と家とは離れていて、踏み固められた土がむき出しのままの道でつながる。


 家々はどれも頑丈だが無骨な造りで、都市の建物のようには洗練されてはいない。濃灰色の石組みの家々はどれも一階建てで、裏手には木で出来た納屋、床下に小さな地下室がある。


 家々をつなぐ幅の狭い道、二頭立ての馬車がようやく通れるくらいの道を歩いて、ウィルトンは納骨堂まで来た。


「では私から《血の契約》を受けてください」


 ヴァンパイアであるアントニーの肌の色は死人のように蒼白い。その冷たい手がウィルトンののどに触れた。


 美しい青年の姿をしたヴァンパイアの唇から、血の滴(したた)りが落ちる。血の色は赤い。人と変わらなかった。


 ウィルトンは口の中に甘い血液の味を感じる。それに青年の冷たいが柔らかな唇の感触も。


「これが《血の契約》の味なのか。思っていたよりもずっと……」


「これから私たちは一心同体。目的を果たすまでは決して互いを裏切らず、離れることもないのです」


「覚悟の上だ。目的を果たすためなら、地獄までも共に行く」


 次にウィルトンは、首すじに歯が当たるのを感じた。ごくわずかな痛み、それから血が吸われた。


 痛みだけでなく吸われた血の量もごくわずかだ。さじに二杯分程度。なぜなら、アントニーは新種のヴァンパイアだからである。


「でもあの城の城主は、七日に一度は一人の乙女の血を完全に飲干さずにはいられない」


 アントニーは独り言のようにつぶやく。





 二人は暗黒城の前に来た。村外れの、月だけが見守る荒れ果てた墓地からここまでは歩いて一刻も掛かる。


 一刻は一日を二十四分割した時間の長さだ。世界中どこでも、概ねこの単位は普遍である、とウィルトンは聞いている。


 アントニーは、暗黒城と称される漆黒の城の前に立つ巨木の樫の木の影に隠れた。


「デネブルは、大改革が行われる前の旧種なので、たくさんの人間を犠牲にせずにはいられない。大改革はご存知ですね」


 大改革についてはウィルトンも知っていた。ヴァンパイアが極少量の血液だけで生きられるように、二百年前に大掛かりな《種の改造》が行われた。 


「ああ、知っている。その時に、人間と共存するなど受け入れられないと言い出した奴等がいた。古い体質を持つ奴等を、今では旧種と呼んでいる。暗黒城の城主もそのうちの一人だな」


「暗黒城の城主は私をヴァンパイアとして作った存在。実の父ではありませんが、思うところはあります」


 アントニーは闇に溶け込んで黒い城を見上げながら言った。これを言った時には、ウィルトンの方を見ようとはしなかった。


「無理に来てくれとは言わない」


 本当は言いたかった。暗黒城に住む、この辺りの支配者であるヴァンパイアを倒す助力が欲しいだけではなかった。


「いいえ、行きますよ。そろそろ決着を着けなくてはならないのです」


「暗黒城の城主は、どのくらい昔から生きているんだ? あの納骨堂と墓地が出来る前からだとは聞くが、俺は正確には知らない」


「私が人間として生まれる前から、です。そうですね、もう七百年にはなるかと思います」


「七百年か。永いな」


「ええ」


 今晩のうちに暗黒城に乗り込むつもりはなかった。今は下見だけだ。ここからでも大体の外容は分かる。天高く三つの塔があり、それを囲んで円形に城の外壁が建つ。奇妙な造りだった。


 不意に城の外壁から大きな蝙蝠(こうもり)が羽ばたいて来た。ウィルトンもアントニーのいる樫の木の影に隠れた。樫の木の影に蝙蝠は気が付かず、頭上を飛び去ってゆく。


「あれが城主か? まさかな」


「可能性はありますが」


「従者の見回りか」


「我々を見つけてはいないでしょう。納骨堂まで行ったなら、私がいないのが分かってしまうかも知れませんが」


「向こうから来る可能性もある、か」


 多くの乙女がデネブルの部下にさらわれ、犠牲に供され、誰も逆らえはしなかった。


 ウィルトンの着る服の隠し袋に、先日さらわれたばかりの乙女の残した指輪があった。ピューター製のその指輪には、乙女の名と彼女への願いが刻まれていた。


「永遠の幸いを妹オリリエに望む」


 ウィルトンが送った指輪だった。

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