02:Library Behavior
「次の方~」
本を拾ってから3分ほど。やっとわたしの番が回ってきた。
カウンターの上にレシピ本を置き、
PCを少しいじって、分厚いバインダー内の用紙に何かを書き込む。たったそれだけの長い時間がかかるような作業ではない。
そのはずなのに、今回はなんだかおかしい。
「ほうほう」
まじまじと生徒手帳を見つめてわたしの顔をじっくりと観察するその姿勢からは「急ごう」という気持ちは見られない。列はまだそれなりに長いはずなのに。
というか、そんな風に生徒手帳を見られるのはなんだか嫌だ。スマホの電話番号やメールアドレスも有事のために書いているし、個人情報の
わたし以外の人はこんな
「あの――」
「
「貴女の人助けをずっと見ていたぞ。ほんとによく頑張ったな?」
「は、はぁ……?」
人助け。それがさっき本を拾ったことを指しているのだと気づくのに3秒ほどの時間を要した。
その間、ニコニコと笑いながら見つめる視線からは何となく愉悦のようなものを感じ取れた。この人、戸惑うわたしを見て楽しんでいたのか。
「
「それは流石に…」
運動部に所属していて上下関係に厳しいとかいうわけではないけれど、すぐに
それはそれとして、「ささちゃん」という呼び名はほんわかとした小郷村先輩に似合った呼び名のように思える。呼ばないけどね。
なんて雑談、している暇はない。
わたしがこうやっている間、閉館時間が近いからか長くはならないもののそれなりの列が後ろには続いている。迷惑をかけているという事実は気持ちのいいものではないし、早めに話を切り上げてほしい。
そんなことを考えていると、やるべき他の作業が終わったであろう別の管理委員会が小郷村先輩に一礼して貸出作業に参加し始めた。
「ふむふむ……レシピ本ですか~…ハレちゃんは料理するタイプの人なわけですね」
「まあ…はい。独り暮らしなので仕方がなくですけど」
他の人が来たから仕事を任せて自分は雑談というのは「本当にそれでいいのか?」と思うけれど、当人同士が納得していそうなのでわたしが指摘するようなことではない。
「なるほど……他の貸し出し履歴は…っと」
PCに書いてあるであろうわたしの過去の貸し出し履歴を閲覧しているであろう小郷村先輩。見られて恥ずかしいようなものは借りていないし、見る意味が分からないという点を除けばその行為を止める必要はないので見守る。
「漫画、ラノベ。ラノベとラノベ…」
いや、恥ずかしいかも。
口に出されるのはマジで想定外。ヲタクであることを隠すつもりはないけれど、これはなんだかとても恥ずかしい。
「薄い本ばっかりだね。普通の文庫本とかは読まないの?」
「薄い本って……まあ、あんまり読まないですね。表紙やタイトルで惹かれても、興味が続かなくって」
それもあるけれど、近年は時間がなかったのもある。
それでも活字を読むのはそれなりに好きなので、通学に使っているバスの車内でも気軽に短い時間で読み切れるライトノベルの方に惹かれているのが正直なところだ。
あと、可愛い女の子も出てくるしね。
「ふぅん…
小郷村先輩の口から最近話題の有名作家の名が出てくる。
熊猫夜空。詳しくは知らないけれど、代表作である『アンビシャスの至宝』が映画化されたとかで今注目されている小説家だ。
本好きの
しかし、台頭してきたのがここ数年なのでわたしは全く読めていない。気になってはいるんだけどね。
「読んだことないですね。小郷村先輩は好きなんですか?」
「それなりかな。気になってるなら、『
「ああ、知ってますよ。友だちが読んでました、『魔女の子』」
「ほんとはあれが映画化してほしかったのになぁ……」
「それなり」というわりに小郷村先輩は楽しそうに語っている。
というか、なにをするにも笑っていて楽しそうな人だ。会話が楽しくて無意識のうちの次の話題を提供している自分がいる。
『魔女の子』。その楽しさを共有したいから絶対に読もう。
あと、映画化するらしい『アンビシャスの至宝』も。
「……ふふっ」
そんなことを考えていると、小郷村先輩が無邪気な声を出して笑った。というか、笑われた?
「どうしたんですか?」
「いや、笑ってる顔が可愛いね。ハレちゃんは」
「なっ…」
不意打ちみたいな「可愛い」だった。
無意識に頬が緩んでいたらしいわたしはそんな不意打ちをノーガードで喰らってしまった。
ぐぬ。照れる。
「からかわないでくださいよ」
「事実だよ。後輩は可愛いのぅ…」
「先輩も可愛いですよ」
「そう?もっと言っていいよ♡」
ウィンクからの指ハート。スムーズなファンサから可愛いと言われ慣れていることが察せられる。
たしかに、小郷村先輩はわたしよりもだいぶ小柄で、片方が椅子に座っている今の状況だと見下してしまうかたちになってしまう。つまり、「可愛い」という言葉がとても似合っている。
それはそれとして、わたしが照れて小郷村先輩が照れないのは負けた気がして嫌だ。とはいえ勝てる気はしないので今は負けを認めよう。
「また勝ってしまった…敗北を知りたい」
「あはは…」
なんて会話をしている間に、貸出の作業が終わったようだ。列も並びやすいくらいには短くなっている。
早く帰りたいなんて考えていたけれど、下校時間が見えるくらいまで話し込んでしまった。楽しかったからいいんだけど。
「よし、終わったよ」
「ありがとうございます」
レシピ本を受け取ると、小郷村先輩が「あ!」と言う。まるで何かを思い出したかのような声。
「ハレちゃんに渡さなきゃいけないもの、持ってきたんだった」
「ええ…?」
今初めて会ったばっかりだというのに、持ってきた。
まあ、小郷村先輩は不思議な人だし今から出てくるものも電波的な…
「はい。これね」
「えっ」
カウンターの上に置かれたのは、いつか見た記憶のある缶コーヒー。
あの日、寒そうだった
「お、心当たりがあるんだね。つまりトーカちゃんにあげたのは?」
「…まあ、隠したいわけじゃないからいいんですけど。よくわかりましたね。名乗ってないし、髪形も違うから印象も変わったと思うんですけど」
「推理小説も好きなのでね!勘が冴えているのですよ、ワトソン
「お見事ですホームズ先輩」
なるほど。小郷村先輩がわたしに話しかけてきたのはこれを渡すためだったのか。
どうして特定できたかは…勘らしいので深く追求する気はない。総当たりで偶然わたしに当たった可能性すらある。
「授業終わってすぐに買ったから、ぬるいけど飲めないほどじゃないはずだよ」
「別にお返しとか求めてなかったんですけどね…というか、白銀先輩とはどのようなご関係で?」
「ベストフレンドかな。なんか「コーヒー貰ったあの子には絶対返さなきゃ……でも、名前が……」とか言ってたから、お手伝い」
「なるほど」
正直、白銀先輩と小郷村先輩が親友という事実は二人があまりにもタイプが違いすぎて受け入れられないけれど、そう言うのならばそうなのだろう。
しかし、困ったのはこの缶コーヒー。
自分で買って白銀先輩に押し付けたのだが、わたしはコーヒーが全く飲めない。いくら砂糖が入っていようが、一部の大人が飲める黒い泥としか思えない。
とはいえ、義理というか善意は伝わってくるので受け取らないという選択肢は選べそうにない。
きっと、あの日の白銀先輩もこんな気持ちだったのかもしれない。
「ありがとうございます、小郷村先輩。白銀先輩にも伝えといてください」
「うん、りょ〜かい。あと、「ささちゃん」でいいからね!」
「それは流石に…先輩なので」
「呼んでくれなきゃこの惑星を破壊することになるよ?」
「ええ…?」
なんで小郷村先輩が呼び方にこだわるかはわからないけれど、わたしが呼ばなかった程度で地球の歴史を終わらせるわけにはいかない。
「ささちゃん…」
「ようがす」
たったそれだけだというのに、それなりの罪悪感が湧いてくる。わたしは自分で思うよりも上下関係に重きを置いているようだ。
金輪際、彼女を「ささちゃん」と呼ぶことはないだろう。
微妙な気持ちのまま、小郷村先輩に礼をしてカウンターを去る。その間も先輩はニコニコと笑っていた。
愉快で、可愛らしくって。少し?変だけれど、いい先輩だとわたしは感じられた。
あれだけ長かった列はもう終わりが近そうで、大きな窓から入る夕陽のせいか1日が終わるノスタルジーが図書室に満ちる。
早く帰りたいなんてことを考えていたのを思い出し、いつもよりほんの少し早足で図書室を出た。
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