4. t =

 集合場所は、物理講義室の窓の下だった。敵の本拠地の真下である。強気な設定だと思いつつ、到着した人から雑魚狩りができるので効率的だ。

 僕とナガレが着いた時には、もうアクマの姿なんて無くて、代わりにクルミが無数のピンポン球を浮かばせていた。

 「揃ったわね。じゃあ行くわよ。」

 「早速だね。休憩しなくて大丈夫?」

 そうは言いつつも、見たところ、クルミはもちろん、マドカとリカもピンピンしている。

 「ええ。またアクマが湧いたら面倒だから、早く行きましょう。全力は出してないわ。」

 「右に同じ。」

 「あたしもそんな感じっす。」

 マドカとリカもそう続いた。元気だなぁ。

 「俺たちも準備は出来てる。」

 ナガレがそう言ったのを聞いて、クルミが人差し指を目的の教室に向けた。

 「作戦実行よ。」


 「light」

 僕がそう呪文を唱えると、身体が軽くなる。前にかけてもらった時ほどの効果が無いのは不思議だが、僕には才能が無いとか、そんなところだろう。

 「g=4.9とする」

 クルミも横で魔法を唱えた。重力操作の魔法。クルミにかかる重力が半分になるらしい。

 「ハロ、任せたっす。」

 「任せなさい!」

 リカの掛け声に合わせて、 存在しない同級生イマジナリーメイト が一体飛び出す。水素の擬人化、ハロ。身軽な動きでピンポン球に飛び乗り、三階を目指す。

 その動きを察知したように、窓から三つ眼のアクマが次々に湧き始めた。

 「y=ax」

 僕はそう唱えて剣を構える。手に馴染む、直線のビームソードだ。

 ハロを見習ってピンポン球を飛び移りながら、アクマを切り刻む。ハロとクルミは簡単そうに登るが、慣れない僕はバランスを崩しそうになって何度かよろめく。ビームソードを握る手と反対の手でピンポ玉に捕まりながら進むので、気分はロッククライミングである。

 視界の隅から襲いかかってきたアクマに一瞬反応が遅れた。噛まれるかも。そう覚悟しながら斬りつける前に、それは円盤状のバリアにぶち当たった。マドカの魔法だ。

 「防御は任せて。先へ進みな。」

 マドカはバリアをいくつも展開する。

 「ありがとう、マドカちゃん。」

 僕とクルミが、ほぼ同時に目的の部屋の窓にたどり着いた。物理講義室の窓のサッシに足をかけて、ようやく中が見える。

「ああ、また君か。今度は死にに来たの?それとも、救われたくなった?」

 桜山さくらやまガクがそこにはいた。背後には五体のアクマを引き連れている。机の上に並んだフラスコに手をかけた。中は例の、アクマを生み出す黒色の液体だ。

 「話をしに来たのよ。ガク君。」

 「俺は君を知らないよ。」

 睨む桜山さくらやまガクの瞳の色が変わる。首元や袖口、身体中に開いている眼がバラバラに色を変えた。魔法でワドを窒息させた時と、同じ輝きを放っている。

 「危ない」

 クルミが何かを予感したように、僕の制服を掴み、下に引く。周りがスローモーションに見えた。

 「g=19.6」

 僕らの体が二倍の重力に引かれて落下する。後ろにいたハロは、何が起きているのかわからない様子でキョトンと落ちる僕たちを見ていた。落下に巻き込もうと手を伸ばすが、実体のないハロの体は虚しくすり抜ける。

 「テツ!」

 リカが指示を出し、僕たちはテツの変形して伸びた腕に包まれる。そのまま斜めに引かれ、やや減速しながら地面に不時着した。鉄に引かれて痛くないわけがないが、そのまま地面に叩きつけられるよりは被害は少なく済んだのだろう。

 上はマドカが防御してくれたらしい。バリアが黒くなっている。アクマが弾けた時とは違う黒色だ。スライム状の液体ではなく、張り付いたような黒。

 「ハロちゃん。」

 ハッと思い出して、僕は周りを見渡した。

 見るも無残な、真っ黒な人型が地面に転がっている。意識があるのか確かめるために近づいてみると、

 「触っちゃだめっすよ。」

 とリカに釘を刺された。

 「大丈夫。 存在しない同級生イマジナリーメイトは死なないっす。あたしが魔法で蘇らせるので。」

 リカが悔しそうに顔をしかめながらそう言った。

 「硫酸だよな。」

 そう言ったのはナガレだった。

 「あら、レッドミーティア赤点常連生徒が化学を覚えているなんて奇跡ね。」

 クルミの煽りはごもっとも。僕にはピンとこない。名前は聞いたことがあるし、危険なやつだった気がしなくもないけれど、この状況から判断するのは無理。

 「H2SO4。かなり危険な薬物っす。」

 「ガク君の魔法は、元素を発生させて操る魔法なの。扱う元素によって眼の色が変わるから、昔はせいぜい二つしか出せなかったのに。アクマの力で複雑なものまで作れるようになってるのね。」

 あの一瞬で予想して離脱したのなら、相変わらずかなりの判断力だ。

 「近づけねぇじゃん。」

 「いいえ、同じ元素を扱うにはインターバルが必要な筈。水素、硫黄、酸素の三つが使えなければ応用の幅は狭まるわ。」

 なんだか授業でよく聞く気がする言葉を羅列される。具体的にどう困るのか全く想像できていないが、よく聞くような元素を使えないのはチャンスなのだろう。今の内に距離を詰めたい。

 痛む体を無視しながら、僕はビームソードを構え直して、浮遊したピンポン球に足をかける。

 降ってくる三つ眼のアクマを斬りながら、再び三階を目指す。二度目ともなれば、慣れたものだ。

 迷いなく目的の場所へ到達し、窓の奥の桜山さくらやまガクと目が合った瞬間、その瞳が強く黄色に輝いた。あの時ワドを窒息させた時の色とは、少し違う気がした。

 魔法だ。

 どんな元素を操る魔法なのか、皆目見当がつかないけれど、何が魔法が発動されることは予想できた。僕は上に乗ろうとしていたピンポンを足の裏で蹴って進行方向を修正する。

 目で追っていたガクの姿は、せり立つ黄色い壁の向こうに消えた。シェルターの如く、窓に固形物が生成されたのだ。

 突き破っても良かったけれど、先程ハロが惨たらしい姿になったばかりなので、慎重になって地上に引き返す。あの物質が何なのか、それくらいは聞いておいた方がいいだろう。

 「ワド君、目の色は見えたかしら。」

 「黄色っぽい色、ちょうどあの壁と同じような。」

 生成されたばかりのシェルターを示して僕は答える。クルミは

 「Auね。昔から、焦るとよく生成していたわ。」

 と嫌そうな顔をした。

 Auは何の元素だったかな。聞き覚えはある。その時も通信会社みたいな名前だなと思った。

それ以外は覚えていない。

 「危険なもの?」

 「危険ではないっすけど。」

 とリカも顔をしかめながら言った。

 何か問題があるのか、一同は動こうとしない。

 「ナガレ、あれって蹴破ったら問題あるやつ?」

 小声で聞いてみる。

 ナガレは呆れたようにしばらく僕を見てから

 「お前の剣なら破れるかもな。」

 と答えた。

 「じゃあやってみるよ。クルミちゃん、着いてきて。」

 僕は再びビームソードを構える。

 効果的なのは突きかな。見たところ金属光沢のような質感だが、金属だって軽いものや脆いものがあった気がする。一点集中で力をかけて、壁を砕くイメージを浮かべた。

 いける気がする。

 ピンポン球を飛び越えて、僕は再び部室の窓へ到達した。

 「はああぁぁぁ」

 ビームソードの先に意識を向けて、その力を金属壁に突き叩く。そこから日々が放射線状に入り、壁はパラパラと音を立てて砕けた。

 「は?」

 壁の向こうでは桜山さくらやまガクが目を見開いている。

 「金だよ?金の壁。どうして壊せるの。」

 金だったんだ。知っていたら無理だったかも。だって堅そうだもん。部員たちは金の壁を破るイメージなんてできなかったのだろう。

 僕だけができた。レッドミーティア赤点常連生徒だからできた。金属の強さも一次関数の限界も、何もわかっていないから、自由に魔法を操作したのだ。

 「意志の強さ故に、みたいな。」

 と適当なことを言っておく。みんなから見れば、僕は築地口ちくじぐちワドであって、レッドミーティア赤点常連生徒ではないのだ。知性を感じさせないと。

 はぁ、とクルミは馬鹿を見る目で僕を見た。呆れられているなぁ。

 「クルミちゃん、何か言いたいことがあったんでしょ。」

 僕がそう促すと、クルミはハッと真面目な顔をした。

 「ガク君。」

 「俺は話すことなんてないよ。全部どうでもいいんだ。君は俺の好きな人だったんでしょ。君の顔を見ても、名前も関係も、何も思い出せないんだよ。この場所だって、何をしていたのかもどんな人がいたのかも、何もわかんないよ。」

 桜山さくらやまガクの声は子どもが駄々をこねるような、情けない声だった。

 後ろに控えていたアクマたちは困ったような表情で、桜山さくらやまガクの肩や腕に捕まる。

 そういえば、マドカについていたアクマも、桜山さくらやまガクのことを気にかけていたっけ。

 あの時アクマの声が聞こえたのは、僕がアクマと同じく魔法で生まれた存在、岩塚いわつかナガレだったからだと思う。

 もう声は聞こえないけれど、アクマには何か伝えたい感情があるのかもしれない。

 クルミも同じことを考えたのだろうか。

 「ガク君、全部思い出しましょう。あなたの記憶を食べたアクマを倒して。今のあなたは幸せそうじゃない。」

 その言葉は、アクマたちの思いを代弁しているみたいだった。

 「うるさいな。嫌だよ。ここには誰もいない。みんないなくなったんでしょ。俺だけを残して、俺の好きだったものは、全部消えた。」

 聞く耳を持たない桜山さくらやまガクに、クルミは声をかけられなかった。意味もなく「ガク君」とこぼした声だけが響く。


 人がいなくなるのは、自分が留めなかったからだ。

 ナガレの家からヒカリが消えたのは、僕が手を伸ばさなかったからだ。ナガレに友だちが少ないのは、ナガレが他人に関心を持たないからだ。

関わらないようにすれば、人は簡単に離れていく。

 「いなくなったのは君の方でしょ。」

 僕の口から言葉が出る。

 「この場所は魔法科学部。車道くるまみちミミが立てた部活だ。金山かなやまミロクも上社かみやしろスウも徳重とくしげヒカリも、僕たちを手伝ってくれた。あなたと一緒に究めた魔法で。みんなあなたを見捨てられなかったからだ。」

 桜山さくらやまガクの身体中の眼が、自暴自棄にこちらへ向いたように感じた。それでも僕はビームソードを構え直し、桜山さくらやまガクの背後に回り込んで浮かぶアクマを斬る。

反撃なんて怖くなかった。これらを全て倒さないと終わらないし、全て終わらせるためには、倒すしかないのだ。僕は無我夢中でアクマたちを殲滅した。

 そのまま桜山さくらやまガクの腕を掴んで窓まで引っ張る。

 「クルミちゃん」

 名前を呼んだだけで、全て通じた気がした。桜山さくらやまガクを掴んだまま、僕は窓の外へ身を投げる。

 そのまま重力に引かれて、僕たちは落ちていく。追ってくるアクマはいなかった。

 地面に叩きつけられる直前、体が反対向きに引かれ、大した衝撃を受けることなく着地した。

 「あと数秒遅れていたらどうするつもりだったの。」

 ゆっくり降りてきたクルミが呆れたように言う。

 「あんまり考えてなかった。」

 素直に答える。

 「車道くるまみち、こいつはどうするんだ。」

 ナガレが桜山さくらやまガクを指して言った。当の本人は気絶しているようだった。

「三つ眼のアクマを処分させて、あとは自由にすればいいわよ。」

 クルミは案外冷静だった。

 「野並のなみさん、悪いけど手伝ってくれるかしら。化学ってよくわからないのだけど、薬品ってそのまま廃棄はできないでしょう。」

 「いいっすけど、アクマが単純な構造とは思えないので、時間はかかると思います。」


***


 それからは忙しい日々だった。

 リカは図書室と部室を行き来して研究に明け暮れていた。ガクがつくったアクマのレシピは殴り書きみたいなものだったし、何年も前のもので、ガクもはっきりとは覚えていないらしい。

アクマの成分分析から始まり、再生しないように処分しなければならない。僕にはサッパリだったけれど、とにかく大変そうだった。

 他のメンバーは長い間放置されていた特別教室棟の掃除を任された。着かない電気の交換、アクマのシミの掃除。相変わらず一つ眼のアクマは発生するので、それを倒しながらの作業は面倒だった。

 正直、オカルト部の会議はC組の教室で間に合っていたし、わざわざ掃除する意味なんてないと思ったが「他の部活も立ち上がるかもしれないじゃない」というクルミの意向だった。三十年前に比べて活気のない放課後が、クルミには寂しかったのかもしれない。


 そしてやっと落ち着いて活動ができると思った頃に、クルミは姿を消したのだった。


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