04-03話:【ドキュメンタリー】ぼくが見つける未来(加須 千花さまからのリクエスト)

 2020年3月2日、世界が変わった。いや、正確には、ぼくの世界が変わったのだと思う。いままで当たり前のように通っていた学校に行かなくてよくなった。理由はよくわからない。伝染病かなにかが流行しているから学校にいかなくてもよくなった。ぼくにわかったことはそれだけだ。だって、さっき内閣総理大臣とかいう、この国で一番偉い人がそう言っていたんだ。だから、ぼくの理解は間違っていない。


 学校が再開する日は、今の所、未定だという。ぼくは、ちょっと早めの春休みをとても嬉しく思った。でも、ふつうの春休みとはちょっと・・・・違う。なぜなら、外で遊んではいけないんだ。そして友達と遊んではいけないんだ。友達の家に行ってはいけないんだ。


 このお知らせ・・・・は、ぼくにとっては、とても寂しいお知らせだったけど、ぼくは、それよりも、なによりも、春休みが早く来てくれたことがとても嬉しくてたまらなかった。ぼくは、その日から、早めにきた春休みをめいっぱい楽しんだ。


 でも、ちょっとだけヘンなことが起きていた。春休みが終わったのに学校が再開しないのだ。ぼくの学校は、もうすぐ学校を再開するから待っててねの一点張りで、それが、1日、3日、1週間、どんどん先に延びていった。


 これだけ学校に行かない日が続くと、さすがのぼく・・でも、学校に行かない事に罪悪感を覚えてくる。でも、それも最初だけ。1日、1日、学校の再開が伸びれば伸びるほど、僕の中にあった、そんな漠然とした罪悪感も、流れる時間の中に溶けていった。


 そして気がつくと、ぼくは、学校にいかないことが当たり前だと感じるようになっていた。そして、当たり前のようにぼく・・の周りにいた学校の友達が、ぼくの周りにいなくなっていることも、だんだんと当たり前だと感じるようになっていった。そう、ぼくは、大好きなお母さんとお父さんと多くの時間を過ごすことが当たり前だと感じるようになっていったのだ。


 もちろん、お父さんやお母さんが仕事に行っている時、ぼくはいつも・・・1人だ、独りぼっちだ。周りに友達はいない。外に出る事も出来ない。誰とも話すこともできない。でも、ぼくは、それをさみしいとは感じなかった。


 だって、スマホを使えば、動画サイトの向こうに多くの顔も知らない友達がいる。ゲームを使えば、いくらでも、ぼくは自分の知らない世界に旅立つことができる。テレビを見れば、ぼくはいつでも・・・・自分の世界で起きているニュースを知ることができる。ぼくは、ぼくが、今、過ごしている毎日になにも不満がないのだ。それどころか、ぼくは、ぼくが学校に行っていた毎日の方が退屈に思えてならなかった。


 大好きなお母さんとお父さんと離れて過ごす学校に何の意味があるんだろうか? 学校よりも多くの人に出会う事のできる動画サイト以上の魅力が、学校の友達にあるのだろうか? ゲームの世界以上に、学校の勉強とやらは、ぼくの世界を押し広げてくれるのだろうか? テレビのニュースより早く、正確に、学校では情報を教えてくれるのだろうか? ぼくは、それが不思議に思えてならなかった。毎日、学校に通っていた日々が、不思議に思えてならなかった。そして、毎日、学校に通っていた日々が、ムダに思えてならなかったのだ。


 そして、当たり前のことだけれども、その日はやってきた。2020年6月1日。学校が、学校教育が再開されることになったのだ。


 ぼくがその・・ニュース聞いた時に思ったことは、やった!友達に会える!!であった。でも、ぼくは、すぐに他のことに思いが至った。そう、今さら、ぼくは学校の友達にあったとして、ぼくは、いったい学校の友達と、その友達と何をして過ごしたいのであろうかと。そして、ぼくは、その友達とちゃんと遊ぶことができるのかと。そして、ぼくは、その友達と、以前、どのように遊んでいたのだろうかと。


 ぼくは、その答えを見つけることができなかった。たぶん、学校の友達の関係というものは、同じ体験をした結果によって生まれる友情関係のことなのだと思う。少し難しい言葉でいえば、共通の体験を通じたからこそ生まれる共感で結びついた人間関係が学校の友達関係だと思う。でも、ぼくは、学校の友達と3か月近く同じ体験をしていない。ぼくは、そんな状態で友達とあって大丈夫なのであろうか? そんな状態で、ぼくは友達と上手くやっていけるのだろうか? 


 そんな得も言われぬ・・・・・・恐怖にぼく・・は襲われた。そして、考えれば考えるほど、そんな得も言われぬ・・・・・・恐怖は増大し、具現化し、ぼくの心と頭の中を支配していった。まるでお風呂・・・に入れた入浴剤が、お風呂の水を徐々に染め上げていくように、ゆっくりと、そして、確実に、ぼくの心は恐怖という色に染め上げられていったのだ。


 そう、こんな状態で友達とあったら笑われるんじゃないか? 話があわないんじゃないか? 無視されるんじゃないか? いじめられるんじゃないか? そんな感情の連鎖が、ぼくの心を染め上げた淡い恐怖という感情の濃度を、徐々に、徐々に上げていき、ぼくの心は、いつのまにか、学校に対するどす・・黒い恐怖という感情によって支配されていったのだ。


 ぼくは、日々、そんな恐怖と戦いながら6月1日までの日々を過ごした。しかし、その日が近づけば近づくほど、ぼくの心の中を満たす恐怖の濃度は、飛躍的に、指数関数的に増していき、ぼくの心はいつの間・・・・にか、そのことしか考えられなくなっていた。


 そして運命の6月1日がくる。ぼくは、その日の朝、精一杯の勇気を振り絞りランドセルを背負って玄関に立った。そう玄関に立ったのだ。立つことができたのだ。


 しかし、ぼくは、そこから先、一歩も前に進むことができなかった。玄関の外に出ることができなかった。ぼくの体は、まるでぼくの体じゃないように凍りつき、そこから、指一本さえ、動かすことができなくなっていたのだ。


 でも、ぼくは、必死に考えた。学校にいかないことはダメなことだとわかっている。もちろん、わかっている。この恐怖に打ち勝って、外に向かって踏み出さなければいけないことは、わかっている。わかっているんだ。


 でも、この3か月、ぼくが学校にいかなくても、神さまは、ぼくにバツを与えなかった。そして学校にいかなくても、ぼくの世界は、常に新たな世界に向かって広がり続けていた。ぼくは学校の授業をうけなくても、ぼくは、ぼくなりに勉強をしてきたし、ぼくなりに賢くなった。


 もしかしたら、ぼくは、このまま学校にいかなくても成長できるんじゃないか? 夢をかなえる事ができるんじゃないか? 学校にいくだけが勉強じゃないんじゃないのか? だから、ぼくは、学校に行かなくても、ぼくならばゆるされるのではないか?


 そう考えたぼくは、うなだれながらお母さんに、大好きなお母さんにこう告げた。


「お母さん、ごめんなさい。ぼく、学校にいくことができないみたい」


と。


 それから、3か月の月日がたった。今日は8月31日。夏休みの最後の日だ。僕は、3月2日以来、学校にいくことはできていない。でも、それがいけない・・・・ことだということは、今の僕にはわかっている。いや、3か月前のぼく・・にもわかっていたことだ。


 でも、今の僕は、3か月前とのぼく・・とは違う。ゲームとテレビとスマホをやめて、3か月間、必死に自分で自分のことを考え続けた僕は、3か月前のぼく・・とは違う。なんとなく、理由もわからずに学校に通うべきだと思っていた3か月前のぼく・・とは違うのだ。


 今の僕には、学校にいかなくてはいけない明確な理由がある。僕は、以前のぼくのように、目的を見失ったり、心をなくしてしまったり、周りと合わせる事に苦痛を感じている人を救うために、自分の人生を使うと決めたのだ。心に誓ったのだ。そして、僕は、その目的を達成するためなら、どんな努力も惜しまないと決めたのだ。


 僕は、もう、3か月前のぼく・・じゃない。僕は前に進まなければならない。そして僕が前に進むことによって救える人が1人でもいるのならば、僕は前に進まなければいけない、進み続けなければいけないんだ。


 たとえ、その結果、僕が学校でいじめ・・・られることになったとしても、学校で誰からも愛されない生き方になったとしても、僕は、僕が救いたいと決めた人を救うために頑張って生きると決めたんだ。この5か月考えて、僕はそう・・決心したのだ。


 僕は、僕のために、明日から、9月1日から学校にいく。そう、僕と、僕がのために学校に勉強をしに行くんだ。

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