鬼か悪魔かと言えば、やっぱり大魔王だと思う。

 僕は地面にうつ伏せのまま、遠のきそうな意識でそう思った。


「おい、パームキン! だからへばるのが早ぇよ! まだ50回だろ!」

「鍛え慣れている君の50回と、温室育ちの僕の50回が、同じ換算な訳がないだろ……」


 デジャビュを感じつつ、僕は恨めしげにジャネットを見上げる。彼は相変わらず涼しげな、けれど呆れを滲ませた相貌で僕を見下ろしていた。


 今日のトレーニングも、足腰の筋力強化だ。ランニングやスクワット、足に錘をつけての運動など、ジャネットの指示で安全に且つ、しっかり成果が出るように勤しんでいる。

 とはいえ約10年、ほとんどだらけて過ごした僕には、過酷であることに変わりはないのだが。


 ジャネットが僕を助け起こしつつ、どこか感心して指先で自分の顎を撫でる。


「だけどお前にしては、かなりやるじゃねーか。二ヶ月ほどでこんなに痩せるとはよ。もっと早く音を上げると思った」

「真実の愛は人を変えるんだよ?」


 いつぞや言われた言葉を返してやれば、彼は声を上げて笑った。

 ダイエットと称した、呪いの解除を進めて二ヶ月余り。確かに僕の腹回りからは、余計な脂肪が消えつつある。以前より疲労感は残るが、順調に進んでいるだろう。

 僕は脂肪が削ぎ落とされ、細くなった手の平を見つめる。せめて、彼女を抱きかかえられるくらいの体力が残れば、御の字だ。


 ……それにしても。


 僕は訓練用の衣服の下に身につけているペンダントを、布ごしに撫でた。


 エラ王女は日に日に、その身姿みすがたを綺麗な輝きで満たしている。

 僕は今、味付きクリームの工場の視察や、山を越えて届く海産物の輸送方法など、ダイエットとは関係のない業務の間、時間を見つけて彼女に会いに行っていた。

 彼女は僕の顔を見るたびに、最初は暗く曖昧な笑みだったけれど、だんだんと花のような笑顔で出迎えてくれるようになった。


 正直に言うと、とても嬉しい。


 仕方がなかったとはいえ、なんの説明もしないまま、約10年放置したのだ。彼女は何も知らないまま、僕の準備が整うまで、痛みや苦しみに晒され続けた。

 もっと敵意や失望を向けられても、不思議じゃない。


 彼女を護れればと、思う。

 命を賭して挑んだ、師匠の背中を追いかけて。


 ぼんやりしてしまった僕を見ろし、ジャネットが目を眇めた後、悪い顔で笑った。おもむろに僕の背中を、片手で引っ叩く。こ気味いい音を立てた背中の衝撃に、僕は受け身も取れず前のめりになった。


「っ痛!?」

「おいおい、惚けるのは、しっかりエスコートできるようになってからにしろ。真実の愛は人を変えるんだろ?」

「君ね……!」


 ジンジンと痛い背中に、なぜか少し恥ずかしくもなって、軽く親友を睨め付ける。まったく、心ここに在らずの時に、下手な刺激を加えないでほしい。危なく地面とキスするところだった。

 第三王子となり約10年。僕にはそういった色恋の話がなかったので、ジャネットとしても面白おかしいのだろう。

 勘弁してほしいものだ。僕の不純な動機が、見透かされてしまいそうで。


「……そういえば、良い物をもらったねぇジャネット」


 そう言いながら、彼の腰から下げる剣を一瞥する。剣の柄には、仄かに赤い光が浮かぶ魔法石が、括り付けられてあった。


「ああ……、あの洋品店の爺さんにもらったって、マウエラが」

「それは珍しい魔法石なんだよ。“英雄石”って名前のね」

「英雄石?」


 怪訝な顔をするジャネットに、僕はタオルで汗を拭いながら、小さく頷く。


 水晶の中に浮かぶ赤い光は、魔力を可視化したものだ。それは魔法を込めれば込めるほど、強い力を発揮する石で、『物語の魔王にも打ち勝つ英雄の石』と人々が称えた為、“英雄石”と呼ばれている。

 まぁ『昔とある国の英雄が持っていた石』や、『英雄と言われた王様が、婚姻の際に花嫁に送った石』など諸説あるので、眉唾物だとバカにする人もいるのだけれど。

 けれどその石が、どんなに莫大な魔力を込められても、ヒビすら入らない強靭な石であることは確かだ。


 ジャネットは僕の説明に目を瞬かせ、胡乱げな様子で剣を見下ろした。


「魔法の使えない俺が、なんでこんなもん……」

「それは持ってる人の魔力じゃなくていいんだよ。別の人が込めることもできる」

「別の奴が?」

「うん。それにその魔法石の力は、武器を強くするのが本来の使い方なんだ」


 “英雄石”に莫大な魔力が込められれば、それはそのまま武器の強度、威力にもつながる。

 例えば刃こぼれして、りんごすら剥けないナイフでも、“英雄石”をくくりつける事で、岩石すら切れるナイフに様変わりするのだ。

 説明を加えてやれば、ジャネットは三白眼を見開きつつも、抑えきれない興奮に瞳を輝かせる。少年らしさを感じさせる双眸に、僕を少し嫌な予感がして視線を逸らした。


「なら、ちょっとお前の魔力を」

「今は閉店休業中だって言っただろ」

「んだよ、少しくらい付き合えよ! お前のダイエットに付き合ってやってんだろうが!」

「痛いところを……! わかってるけど、本当に今は閉店休業中!」


 そう言ってくるよなぁ、と苦笑しつつ、僕は彼をそれとなく交わす。残念だが、本当に今はジャネットの願いを叶えられないのだ。勘弁してもらうしかない。


 二人で笑いながら暫し休み、気力が戻ったところでウサギ飛びを再開する。演習場を行ったり来たりを繰り返す僕らを、遠巻きに騎士団の人達が眺めているものの、皆、よそよそしく過ぎ去っていった。

 僕はそれを横目に感じながら、ジャネットを見やる。


 彼は実力で、第三部隊副隊長の座を勝ち取った男だ。けれど、僕の近衛騎士という役割のせいで、過小評価する人間も少なくない。子爵家でありながら平民上がりとツルんでいる、矜持のカケラもない粗雑な奴だ、なんていう人もいるのだ。

 そんな彼の境遇に、負い目を感じないわけじゃない。

 僕が彼を引き入れたのは、最終的な武力が必要だったから。呪いが君臨するこの国の中で、信頼できる相手を欲したからだ。

 僕の友人役と近衛騎士を押しつけられなければ、もっと違う人生もあっただろう。


「……ん? なんだよ?」


 視線に気がついたジャネットが、不思議そうに僕を見る。


「いや……、いつも悪いね、ジャネット」

「ああ? 悪いっつーなら、しっかり痩せろよ。エスコートするんだろ」

「うんうん、分かってるよ」


 口調は乱暴な奴だが、やっぱりいい奴だなと思う。

 彼は少し考える素振りを見せた後、小さく呟いた。


「俺のことなら気にすんな」


 徐々に失速してフラフラになる僕を尻目に、ジャネットは立ち上がると、汗ばんだ額を腕で拭いつつ、遠巻きに眺める他の騎士団員を睨みつける。彼らは動揺した様子で顔を見合わせ、何事か囁き合いながら離れていった。

 僕は地面に両手をついて、息苦しさに呻きながら、ジャネットを見上げる。両手を腰に当て嘆息した彼は、僕に視線を戻して苦笑混じりに口角を上げた。


「……君って、顔に似合わず、誠実だよね……」

「クソ失礼だなお前はよ……!」


 思わず頭に浮かんだ言葉を、そのまま音にしてしまい、青筋が浮かんだ顔に睨まれた。

 おお怖い怖い。強面の三白眼が睨む様は、さすがの大魔王様だった。

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