ジャネットの前に、飾りの綺麗なティーカップが、ソーサーと共に差し出される。少々面食らった彼は、隣に佇む小柄な侍女を僅かに見上げた。


「あ、ああ。ありがとう、マウエラ」

「いぃえ〜、難しいお顔も、ハーブティで和らぎましょう。我がパームキン殿下が、トゥーベル様のお気に召す茶葉はないかと、国外から取り寄せたものですの。ご賞味くださいませ」

「そうですわ、トゥーベル様、こちらのチョコレートもいかが? 甘くない、大人の味ですの」


 ジャネットに対し、口々に食事をすすめるのは、セミロングの白髪を緩やかに巻いたマウエラと、腰まである白の長髪を、毛先の方で緩く結ぶラトリア。血管が透けて見える赤い目が特徴的な、アルビノの一卵性双生児。僕の侍女だ。

 華奢で小柄だが、僕やジャネットより年上の、大人のお姉様である。


 入城する際、平民上がりの僕は評判が悪く、誰も使用人が付きたがらなかった。そのため国王陛下に許可を取り、元から身の回りを世話してくれていた彼女らを連れてきたのだ。


「トゥーベル様、難しいお話はまた後になさいませ。今はパームキン殿下がお茶のお時間ですの」


 チョコムースがふんだんに使われたケーキを切り分け、ラトリアが僕の前に差し出してくれる。

 うーん、チョコレートリキュールの甘く芳醇な香り。大変良いことこの上ない。散りばめられたベリー系のフルーツが輝いて見え、さながら宝石のようだ。


 喜び勇んで食べ始める僕を尻目に、トゥーベルは呆れた調子でチョコレートを頬張った。


「マウエラとラトリアは、自分の主がこんな自堕落デブでいいのかよ」

「ジャネットの失礼加減が加速しているんだけど?」


 まぁまぁ、と目を丸くした二人は、互いに顔を見合わせて、くすくすと笑って見せる。


「よいのですよ。我がパームキン殿下はこれで。ねぇ、ラット」

「そうですわ、これこそ我がパームキン殿下に必要なことですの。ねぇ、マウス」


 まるで幼子に言い聞かせるかのように、二人はそっと目を細める。


 彼女たちはアルビノの影響で肌が弱く、シミやそばかすが人より多いが、顔の造形は整っている方だ。見目の良さを武器に、ちょっとばかり大人の女性を醸し出す二人に、ジャネットは仏頂面を居心地悪く逸らした。

 見た目が少女の侍女とは言え、先も言った通り、彼女らの方が年上だ。女慣れしていない子爵家三男坊など、手の上で転がすようなものだろう。


 僕は傍目にそんな三人を眺めつつ、ケーキを平らげた皿に、次のケーキを取りわけた。


「そういう訳だよ、ジャネット。僕に関して余計な展望は無意味さ。自堕落、いい響きじゃないか」

「あのなぁ……」


 眉間の皺を深めて反論しようとした瞬間、侍女二人がハッとして一点を見つめる。二人の様子に気がついたジャネットは、眉を顰めたまま立ち上がり、音も無く僕の側に移動した。


 このバルコニーの入り口には、来客を知らせるための、僕の魔法が施してある。侍女二人が反応したとなれば、あまり歓迎されない来客なのだろう。

 僕は面倒に思いつつ、足音が聞こえる距離になってから、おもむろに出入り口に顔を向けた。


 無遠慮に靴音を響かせながら入って来たのは、不思議な光彩が美しい黒髪を、後頭部で一つに束ね、吊り上がった目尻に紫の瞳をした丸メガネの青年。

 この国の第二王子、デイル・チャールストン義兄上あにうえだ。

 デイル義兄上は、テーブルのお菓子たちを一瞥した後、まるで芝居がかった仕草で、大袈裟に溜め息を付いて見せた。


「これはこれは。異臭がするので駆けつけて見れば、二足歩行の豚に、ハツカネズミと野良犬のお茶会か? ずいぶん洒落込んでいるな」


 強烈な嫌味に、僕の隣に立つジャネットの体が僅かに震えた。僅かに見上げると、敬う姿勢として前傾になりながらも、額にはしっかり青筋が浮かんでいる。


「義兄上。僕の部下を悪く言うのはご容赦ください。彼らは僕に逆らえないのですから」


「それは失礼。でも、主従を理解しているのは良いことだ」


 嫌味しか言えないこの第二王子に、僕らは慣れたものだ。……いや、ジャネットは一生慣れないかもしれないが。


 彼と僕は、いつもこんな感じである。


 デイル義兄上は王族が住まう空間に、平民が入り込んできた事がかなり気に入らないらしく、入城した当初から何かとケチをつけてきた。それは僕の体重が増すほど顕著になり、やれ品性が足りないだの、やれ豚が城内を徘徊し見苦しいだの、とにかく僕が嫌いで仕方がないらしい。

 僕は別になんと言われようが良いのだが、最近はこうやって直属の部下にまで舌を出してきて、全く困った義兄上である。


 勝手に椅子を引いて席に着いたデイル義兄上は、マウエラに視線を向けて軽く手を振った。


「何をしている? 紅茶の用意ぐらいしたらどうだ。ハツカネズミにもそれくらいの知能はあるだろう」


 招待した訳でもなく、勝手に入ってきて何を言っているのやら。

 そう言ってもよかったのだが、その前にマウエラとラトリアが、大きな瞳を細めた後、互いに顔を見合わせ、くすくすと笑い合う。


 義兄上はそんな彼女たちの様子に、眉を顰めて苛立たしげに指先でテーブルを叩いた。


「何がおかしい?」

「あらあら、ハツカネズミの淹れた紅茶が飲みたいですってよ、ねぇ、ラット」

「まぁまぁ、感染症になったらどうするのでしょう、ねぇ、マウス」


 渾身の自虐ネタで対抗する侍女二人に、彼は意味が分からず一瞬、呆けた顔を見せた。しかし理解が追いついた次の瞬間には、カッと赤くして、慌てたようにも見える動作で席を立つ。

 彼女たちを睨む双眸は、怒りか羞恥かで震えていた。それがそのまま僕に移り、歯軋りでもしそうな勢いで小さく唸る。

 興奮からか瞳孔が開く様は、彼が僕らを例えて馬鹿にした、動物のように本能的だった。


「侍女にこんなふさげた態度を許しているのか!? やはり平民上がりは王族の面汚しに他ならない!」

「義兄上から喧嘩をふっかけたんですよ。僕に言われましても」

「たかが侍女風情に、何を言おうが構わないだろう!」

「そんなに腹を立てなくても。たかが侍女風情なのでしょう?」


 僕を睨むその恐ろしい形相を、臆する理由もなく見つめ返す。

 正直に言うと、緊張感のある真面目な場面は苦手だ。贅肉で盛り上がった僕の真顔は、睨めっこのようだとジャネットに笑われたせいである。失礼極まりない気もするが、まぁ鏡を見て自分でもちょっと笑ったので、やはりこういう睨み合いは恥ずかしくて苦手だった。


 僕は悟られぬ程度に嘆息し、首を傾ける。


「それよりもデイル義兄上。僕に何かご用事だったのでは? それとも本当に嫌みをいう為だけに、わざわざ城の片隅にまで足を運んで下さったのですか?」


 その一言に、彼はハッとして目を瞬かせた次の瞬間、別の来訪者がこの場に踏み入れた。


 気品ある足音を響かせながら現れたその人に、ジャネットは緩やかに膝をおり、マウエラとラトリアも深く一礼する。


「いつまで時間をかけているんだ、デイル」


 柔らかなプラチナブロンドの髪と、目尻が上がった鋭い視線のターコイズブルー。外出から戻ったばかりなのか、青いマントを翻すその人は、この国の第一王子、キルジット・チャールストン義兄上あにうえだ。


 長兄の登場に、デイル義兄上が表情を輝かせる。


「兄上! 申し訳ございません、この平民上がりが時間を取らせまして……」


 高揚した様子で僕に責任転嫁するデイル義兄上に、僕は半目で視線をやり肩を竦めた。自分で勝手にヒートアップして、何の時間を取らせましてだろうか。キルジット義兄上に良い印象を持たれたいのは分かるが、全くとんだとばっちりである。


 キルジット義兄上は、デイル義兄上を冷めた目で一瞥した後、表情を和らげ僕に近寄った。


「パーム、茶会中すまない。……これは、美味そうだな」


 キルジット義兄上の視線が、テーブルに広がるお菓子達に移る。

 彼は見た目こそ冷淡な印象を受けるが、僕と同じく大の甘党だ。マウエラがクッキーを進めると、喜んで一枚手に取り頬張る。


「美味しいでしょう、義兄上。おかわりをシェフに頼もうかと思って」

「ああ、美味い。私の部屋にも届けさせてくれ」


 その様子にギョッとしたデイル義兄上が、顔面蒼白で慌ててテーブルとの間に割って入った。


「キルジット兄上! いけません、こんな下賎なヤツの物など口にして、何が入っているか……!」

「……なんだデイル、まだ居たのか」

「えっ」


 僕に向ける柔らかな笑みとは対照的に、デイル義兄上に向けるそれは、絶対零度の無表情だ。おまけに美味しい時間を邪魔され、少し不機嫌にも見える。

 キルジット義兄上は、追い払うように片手を振り、バルコニーの出入り口の方を顎で示した。


「先に王の間まに行っていろ。パームキンは私が連れていく」

「そ、そんな」

「聞こえなかったか? 先に行けと言ったんだ」


 絶対零度のそのまた下でもありそうな、低い声音に空気すら怯えて静まり返る。デイル義兄上は蒼白を通り越し、紙のような白さで後退した。

 そして僕の方を、射殺さんばかりに睨みつける。その視線をものともせず受け止めれば、彼は歯軋りしそうな勢いで顔を逸らし、キルジット義兄上に向かって一礼すると、早足で退散していった。


 ちょっと可哀想だなと思わなくもないが、いつも先に仕掛けてくるのはあっちの方だ。ここは大人しくキルジット義兄上の威光にあやかろう。

 遠ざかる背が見えなくなるのを見届ければ、ジャネットが大きく息を吐いて、これみよがしに舌を打った。


「なんなんだいつもいつも、あの陰険蛇メガネ……!」

「こらこら、今は僕らしかいないからいいけど、そんなことを外で言ったら、子爵家丸ごと不敬罪で潰れるよジャネット」


 憤慨を隠さない彼を、僕は指先で頬を掻きつつ嗜たしなめる。理不尽な嫌味に、ジャネットの反応は至極最もだ。しかし僕には平民上がりの第三王子として、誠心誠意仕えてくれる部下を護る義務がある。

 口は災いのもと。僕に対する不敬はどうでも良いが、義兄に対する不敬は極力避けた方がいい。


「……それで、義兄上。何事でしょうか?」


 デイル義兄上の行った先を見つめていたキルジット義兄上に問えば、彼は微かに眉を顰めて僕を見下ろした。


「ああ、国王陛下が王の間でお待ちだ」

「陛下が?」


 国王夫妻は、“導き”の魔女の弟子という名誉を、使い勝手の良い『幸運』だと思っている節がある。実際、捉え方によってはそう見えるので間違いではないが、時々面倒な魔法を酷使させられるので、謁見するのはあまり気が乗らなかった。


 心配そうに眉尻を下げる侍女二人に、菓子類を僕の部屋に移動するように告げた。せっかくのアフタヌーンティーが邪魔されたのは癪だが、仕方がない。後で義兄上も来ると言うから、美味しい紅茶を用意して仕切り直しとしよう。


 僕は再度となる嘆息を外に逃し、物理的に重い腰を上げた。


「うっ、どうしようジャネット、お尻が椅子から抜けない……!」

「痩せろ!!」


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