精神感応の不思議な京都探訪

精神感応4

第1話 鉄輪の井戸

 京都は千年の都である。桓武天皇が長岡京より遷都とし、七百九十二年に平安京となったのは日本史の授業で誰もが知っていることだ。平安京の盛衰の後、豊臣秀吉が現在の京都の原型を作り、今に至っている。


 その周囲には古より続く寺社が多くある。だから、京都に行くとたまに不思議なことに遭遇するし、不思議でなくとも不思議な心にさせられる出来事に出会う。ここではそんな私の一人語りに付き合って欲しい。


 何度目か忘れてしまったが、それが秋の夕暮れの少し前、逢魔が時の風が吹くか吹かないかの時間だったことははっきり覚えている。


 私は二泊三日分の着替えやら洗面道具やらを詰め込んだ重いリュックサックをホテルにおいて、街の散策に繰り出した。京都は縦の移動を烏丸線でするのがいい。あと、観光地までバスで直接乗り込まないこと。少し歩いて、目で、耳で、鼻で、肌で。京都を感じるのがいい。


 ホテルの最寄駅で丁度来た電車に飛び乗って、南へ。五条駅で下車する。一度見ておきたい場所があったからだ。その名を「鉄輪かなわの井戸」。


 丑の刻参りは知っているだろうか?白装束で顔に白粉を塗りたくり、逆さにした鉄輪を頭にかぶってそこに三本の蝋燭を刺して火を灯す。足には一本下駄、首から鏡を下げて、御神木に恨む相手に見立てた藁人形を押し当てて、それを五寸釘で打つ。あれだ。


 これは洛北の貴船神社の伝説が元ネタだが、丑の刻参りを題材にした能に「鉄輪」という演目がある。詳しいことは興味があったら調べて欲しい。「鉄輪の井戸」はその「鉄輪」の中で丑の刻参りをする女が住んでいた場所にある井戸だというのだ。何とも興味がそそられる。だから、見に行くことにした。


 五条駅の一番出口で地上に上がると五条通に出る。そのまま真っ直ぐ、不明門あけず通、東洞院ひがしとうのいん通、間之町あいのまち通、高倉通と横切って堺町通で左へ曲る。そのまま住宅街を進んでいって、しばらく歩くとそこはあった。


 「鉄輪の井戸」、一見すると絶対に気づかない。何しろ今は私有地の中にあって、京都特有の細い戸の下に小さな石碑が立っているだけなのだ。何度か通り過ぎて、やっと発見した私は遠慮がちに扉を開けて細い路地に入った。


 進んで行くとなるほど、確かに井戸があった。奥には民家の玄関が二つ並んでいて、引きで見ても不思議な感じがする。立っていた京都によくある説明書きの木札を読むと、縁切りのご利益なんてものもあるらしい。置いてあった銀の煎餅缶から専門家が記した説明の紙を一枚貰って、一緒に祀ってあったお稲荷様を拝んで井戸を後にした。時間は五分か、十分か、もしかたら十五分くらいいたかもしれない。建物の影で日の光はほとんど差し込まないけれど、細く屋根の間から覗いた空の色で夕暮れが近いのが分かった。


 路地を出るとまた、来た時と同じように遠慮がちに戸を閉める。それから、何となく空を見上げた。直前に狭い狭い空を見たせいで、広い空を見上げたかったのかもしれない。


 数秒、茜に染まりゆく空をぼうっと見上げてから、ゆっくりと顔を下してその場を去ろうとした、その時だった。下がってゆく私の視界に人影が映った。


 気になって、そちらをもう一度見上げてみた。すると、そこには一人の若い女性がいたのだ。少し古いマンションのベランダの縁に膝を抱えて座り、数秒前の私と同じように空を見つめていた。


 その人は金色の髪が美しい、多分北欧系の外国人女性だった。白のTシャツにジーパンというラフな着こなしで、冷たくなってきた風に吹かれながら空を見つめている彼女の表情は、何処か楽しそうにも、寂しそうにも見えた。


 場所が、時間が、人種が不思議な、魅力的なシチュエーションを作っていたのだ。あまりに美しい光景に、私は目を奪われてしまった。空を見つめていた時よりも、数段増しに惚けて彼女のことを見つめてしまった。あれは不可避な心の魅かれ方だったと思う。


 人というのは意外と視線に敏感なものだ。私の不躾な視線に彼女は気づいたようで、数秒こちらを見つめ返した後、何故そうしてくれたのかは今でも分からないけれど、私に向かって左手を振ってくれた。


 私は彼女の夕暮れ時の穏やかな時間を邪魔してしまったという罪悪感に苛まれて、頭を下げるとそそくさとその場を早足で去った。去り際に、私を見下ろして手を振っていた彼女は楽しそうに笑っていたと思う。


 今も五条通を歩くと、バスに乗って通り過ぎるとあの夕暮れ時を思い出す。


 彼女は今もあのマンションに住んでいるのだろうか。もう住んでいないような気もする。そもそもあれは現実だったのか、幻だったのかも分からない。もしかしたら、北の山から遊びに来た天狗のお姫様が化けていて、間抜けな顔の私をからかったのかもしれない。そんな妄想をせずにはいられない。


 京都は不思議に満ちている。彼女の笑顔とあの時の空の色は、きっと、ずっと、脳裏に焼きついたままなのだろう。私はそう思っている。


 そんな、不思議な鉄輪の井戸探訪。

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