デスビーバー

 おはよう。昨夜は話を途中で切り上げてしまったけど、続きはここに認めたつもりだ。


 急に当直を代わる事になったと言ったね。ごめん、あれは嘘だったんだ。


 僕は暫く戻らない。いや戻れない。


 君とマミを残してアパートを出ていくなんて納得出来ないだろうし、僕だって心苦しい。でも、これは二人の身を案じての行動なんだ。




 小四の終わりに両親が離婚した件までは話したかな。詳しい理由は今も知らないままだし、知ってたところで書くつもりもない。


 ただ、どちらについていくかは父が殆ど決めてしまった筈だ。


 母も反発しただろうけど、僕の家庭は父の意思決定が全てだった。恐らく離婚の原因もそこにあったとは思う。


 とにかく、父の車で生まれ故郷を出た僕は、そのまま山間の村にある祖父母の家に預けられる事になった。


 単身赴任が常の仕事に就いていたからと、子供ながらに理解しようとしながらも、車中ではバックミラーに映る顔を睨め続けていた気がする。


 ところが長いトンネルを抜け、木立の間を流れる川や古民家の並びが見えてくると、不思議と気持ちは和らぎ、いつの間にか怒りや不満は消えていた。


 こんな父親にはなりたくない、その決意は今も昔も変わっていないけどね。




 村での生活は幸福そのものだった。


 祖父母をはじめ住民は温和な年寄ばかりで、皆僕を本当の孫みたいに扱ってくれた。


 都会のような利便性もなく、学校も隣村までバスで通う事になったけれど、生徒数も少ないからか馴染むのに時間はかからなかった。ノブのような親友も出来たしね。


 予想通り、父が姿を見せに来る事は稀だったけど、それすら清々しく思えたくらいだよ。


 「僕、爺ちゃんみたいな猟師になって、ここでずっと暮らすんだ」


 ある秋の晩、いつものように囲炉裏を囲んで夕飯を食べていた時、祖父母にそう言った覚えがある。


 二人は農業に従事していたけれど、時々猟銃を下げて麓へ出掛ける祖父の姿を見ていたからだ。


 二人共大笑いしてたな、皺だらけの顔を余計クシャクシャにしてさ。祖母なんか『お前まで"取らぬ狸の皮算用”か』とか言ってた。


 猟の前日、何を仕留めてくるか自慢気に語る祖父に必ず言っていた諺だ。


 笑い声は暫く続いた気がするけれど、今思えばどこか寂し気でもあった。




 あれは年が明けて、いや明ける前だったかな。先生の家でクリスマス会をした翌日だったと思う。


 良い天気でね、ノブと遊ぶ約束をして麓まで出掛たんだが、それが僕の人生を変える大きな切っ掛けとなった。


 言いだしっぺがどちらかは忘れたけど、山中を探索する事になってね。


 祖父からは、猪が襲ってくるから絶対に入るなと止められていたけど、そこは怖いもの見たさだよ。多分他の男子でもそうしていた。でも、やっぱりやめておくべきだったんだ。


 僕等は嬉々として山口に入ると、粽笹の茂みを掻き分けながら闇雲に進んだ。


 すると暫くして、目の前に一本の細い道が現れたんだ。


 所謂、杣道と呼ばれる険しい道で、子供が上るには無理があるのは、流石に僕等にもわかった。


 だが引き返そうとしたその時に、カサカサと反対側の茂みから音が聞こえたんだ。


 「な、なんだえありゃ?」


 二人とも声が出て動きが止まった。道へ飛び出してきたのは、一匹の不思議な動物だった。


 初めは狸かと思ったが違った。確かに大きさは同じくらいで毛色も似てはいたが、顔は前に突き出た形で、平たい尻尾には毛が生えていなかった。


 「う、


 ノブがそう呟き、そいつに近づいた。


 「オ、オ」


 今度は別の方向から声がした。


 見上げると、道のすぐ先で一人の女性が佇み、こちらを見下ろしていた。


 年の頃は三十半ばくらいだったろうか。


 目鼻立ちのハッキリした顔立ちだったが、そこに表情は見られなかった。


 着ていた服は、両肩から胸元にかけ幾何学模様と花の刺繍をあしらった黒の上衣と、同じく黒のスカート。


 長く乱れた髪も黒色だった。


 「オ、オ」


 女性はもう一度声を出し、褐色の手を差し伸べながら道を下りてきた。


 それを見て僕もノブも一目散に駆け出し、ヒイヒイ言いながら麓を出た頃には陽が落ちていて、空には凍えるような月が昇っていた。


 「あれはだったな」


 ボソリとしたノブの呟きが、耳元で聞こえた。




 家に帰ると、早速祖母に怒られたよ。


 土間で背嚢を背負っていた祖父は、安堵の表情を浮かべていた。多分、他の住民にも呼び掛けて、捜索に出ようとしていたんじゃないかな。


 僕が、時間を忘れる程遊ぶのに夢中になっていたと言うと、二人とも納得した様子だった。


 たとえ問い詰められたとしても、その場でははぐらかしていたと思う。


 ノブと約束したんだ。山で見た事は他言無用と。口走っただけで、災いが起こる気がしたからね。


 彼はその約束を守り通したはずだ。だから無事でいられた。


 そう、僕が馬鹿だったんだ。


 「サンカの話覚えてる?」


 翌朝、薪割りの手伝いをしながら祖父に訊ねた。


 以前聞いた山間を漂泊する民の話と、ノブがイジンと言った女性が、僕の中では重なっていたんだ。


 祖父は答える前に、質問の意図を訊ねたと思う。


 それにうっかり答えてしまったのは、子供なりの探求心もあったからだろうか。


 その後の会話は、まるで覚えていない。


 ただ、台の上に置いた薪が軽快な音を立てて割れていく、そんな何でもない光景が心に焼き付いたままだけれど。




 数日後の晩、祖父は式台に腰掛け銃の手入れをしていた。


 既に見慣れた光景だったが、つい茶々を入れたくなった僕は、祖母の真似をして言ったんだ。


 「今日も『取らぬ狸の皮算用』だね」


 一瞬、祖父の動きが止まった。が、またすぐに銃身を磨き出した。


 祖母はと見ると、ただ黙って藁打ちを続けていた。


 二人の顔に表情は見られず、得体の知れない静寂が家中を満たしていた。


 翌朝、祖父は握り飯を手に沼地へと向かった。


 狸は狸でも、取ろうとしていたのは海狸の方だったからだ。


 後から祖母に聞いた話だと、薪割りをした翌日、彼は一人で麓へ向かったという。


 そこで何を見たかは語らなかったらしいが、おおよその見当はつく。


 その後もやつらが本来生息している所の、湿地帯を中心に周っていたからね。


 杣道で見たやつは、たまたま迷い込んだうちの一匹だろうか。


 いや、そもそも何故この国にいたのか。何処かの家で飼われていたものが野生化して、繁殖し始めたのか。それとも、あのイジンが連れてきたものなのか。


 今となっては、どれも分からず終いだよ。


 祖母も初めは疑念を抱いていたと言うが、莫大な収入を得て払拭されたようだ。


 なにせ戦争の火種になる程珍重された毛皮だからね、すぐさま生活は一変したよ。


 そしてそれが、凋落の始まりでもあったのだけれど。




 その夜更け、異変を感じて目が覚めた僕は布団から這い出ると、両隣で眠る祖父母の顔を伺った。


 橙色の裸電球が照らした二人の寝顔は、普段通り穏やかで起こす気にはなれず、一人で異変の正体を見定めることにしたんだ。


 寝床としていた奥座敷の障子を開け板の間に出ると、今しがた聴こえてきた怪音がより明瞭に耳へと届いてきた。


 ガガガガガ ガガガガガ ガガガガガ


 部屋の四方でリズムを刻んでいるのが何者なのか、不思議と見当がついた僕は座敷に戻り叫び声をあげた。


 「わああ! 逃げろお!」


 二人の寝ぼけ声が返ってきたと同時に引き戸を開けると、縁側で蠢めいていた小さな影達が足下をすり抜け、家のあちこちへ侵入していった。


 僕も祖父母も啞然とした。声を出したとしても、その咀嚼音に掻き消されていただろう。


 やつらが何処に纏わりついたのかは、冬の月と同じ光を放った目の位置でわかった。


 そこに宿る狂気に僕は震えあがり、再び二人を急き立て庭へ飛び出すと、助けを求める為に駆け出した。


 村のあちこちから轟音が鳴り渡ったのは、その直後だった。




 君と出会った時に語った生い立ちの中で、ひとつだけ本当の事がある。


 もう、僕の生まれ故郷は存在しないという事。ただ、それは第二の生まれ故郷で、理由も自然消滅ではなく怪異によるもの。


 僕達三人は遠方の叔母夫婦宅に身を寄せ、巻き込まれた他の村人達も、倒壊した家屋を後にし方々へ渡った。


 祖父が亡くなったのは、それから間もなく。


 働きながら夜学に通い始めた頃には、祖母も亡くなった。


 二人とも死因は老衰だよ、一応ね。


 ノブから連絡がきたのは、資格を取り一人でこの町に越してきた頃だった。彼の紹介で『木間暮の郷』で働く事になり、後は君の知る通り。


 全く不思議なもんだ。十年も前の出来事なのに、つい此間の事みたいにスラスラと書き記せる。父親の顔は忘れてしまったのにさ。



 数日前、施設にアニマルセラピーのボランティアが来て僕が対応したんだけど、犬や猫が可愛かったよ。君が飼っていたポメラニアンもいた。


 でもね、そこにあの忌まわしい獣も混じっていたんだ。


 「海狸も連れてきたんですか?」


 そう言うと相手方は怪訝な顔をして否定し、僕がもう一度目を移すと、やつの姿はそこになかった。


 幻なんかじゃない。それから連日、冷たく鋭い視線を感じるようになったのだから。


 これを書いている今だって、窓のカーテンの隙間から僕の背中を覗いているはずだ。最後の標的になったからね。


 襲撃の夜、やつらは操られたかのように、ただ柱だけを齧り続けた。


 死傷者が出なかったのも、年老いた住人の逃げる動きに合わせて、緩急をつけていたから。 


 そうだ。やつらの目的は"村の柱”を齧る事ただひとつ。だから勘付いてしまったんだ、まだ一本残っている事に。


 あの村を故郷とし、一家の"大黒柱”となった僕は、やつらに齧られる運命にあるんだよ。


 君とマミが犠牲になる可能性は低いかもしれない。だが万一の事もあるし、何よりまだ幼いマミに惨状を見せたくはないんだ。


 それじゃそろそろ行くよ。どうか元気でいてほしい。



 もうすぐ、母さんが迎えに来る。



(了)


初稿:ショートショートガーデン『ビーバーフィーバー〜狙われた限界集落〜』:2019/05/31


第二稿:カクヨム『キラー・ビーバー』:2023/1/31


 

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