神の手
雨上がりの朝、真美の家の門を開けると、庭の奥にある花壇では紫陽花が、その隣に置かれたプランターでは二本の朝顔が、それぞれ花を咲かせているのが見えた。
そしてテラスの側にある切り株の上では、三匹の蝸牛が並んで這っていた。
「おはよう。さすが時間通りだね」
チャイムを鳴らすと、三つ編み姿の真美が私を迎えた。
「おはよう……あの、これお母さんから。この前のセーターのお礼にって」
「ああ! ありがとう。いまお婆ちゃんも出掛けててさ。帰ってきたら、ちゃんと伝えとくよ」
「ねえ、真美……ううん、何でもない。なんか緊張するね」
「あれ、来るの初めてだっけ? まあいいや、あがって。喉渇いてない? なんか入れるよ」
床の間に案内され、座布団の上で待っている間、私の目は茶箪笥の上に置かれた籠と鞄に惹きつけられていた。
それは、たしか“蔓編み”というものだと、お母さんから聞いたことはあるけど、実物を見るのは初めてだった。
「おまたせ。ジュース無くてさ、アイスコーヒーでいいでしょ。ちゃんとミルクと砂糖もあるし」
真美が、グラスをふたつ乗せたお盆を持って入ってきた。
「どうかした? 何見てるの?」
「ううん、あの籠と鞄が素敵だなあと思って。ふたつともお婆ちゃんが編んだの?」
「うん……そうだよ」
真美は、何故か目を伏せた。
「たしか、鞄は山葡萄の蔓で出来てるんだっけ? 籠は何の蔓なの?」
「ああ、アケビって知ってるでしょ? 山とかに生えてる、バナナを短くしたような実がなる木」
「へえー、すごいなあ。お嬢様育ちだったんでしょ、こういうのまで編めるんだ。さすがね」
「うん……そうだ……ね」
真美の様子は明らかにおかしかった。相変わらず下を向き、まるで何かに怯えているようにも見えた。
「ねえ、どうしたのさっきから。お婆ちゃんと編み物に何かあるの?」
「あのね……私……家族や近所の人達から色々と聞き込みをしたんだけどさ」
「聞き込みって……何を?」
そこから真美は暫くためらって口を閉じていたけれど、私がもう一度質問しようとすると顔を上げた。
その表情は真剣そのものだった。
「あのね……私、神様とか魂とか、そういうものは一切信じないの。もちろん超常現象とかも。どう思う?」
たぶん、他の人が聞いたら、唐突な話題転換かと面食らうことだろう。
でも、私は知っている。これがこの子なりの話術であることを。
「うん。私も信じない方だよ。それで?」
「でも最近、もしかしたら……と思うことがあってさ。庭に切り株あったでしょ? あれ、最初から切ろうと思って、あんな風になったわけじゃないんだよね」
「と、言うと?」
「昔、それこそ、この家が建つずっと前のことだけど、あの木に雷が落ちたんだって。それで砕けてしまったわけなんだけど、当時この辺に住んでた人達が、これは神様の思し召しじゃあないかって……思ったんだって」
何やらスケールが大きくなりそうだ。私は、ひとまず頭を整理してから続きを促した。
「うん、何で神様が出てきたかっていうとね。あの木には元々注連縄が巻かれてたんだって」
「それって……」
「そう、御神木ってこと。今はもう違うんだけど、当時この土地は神領といって神社が所有する土地だったんだよね。でも、何かの理由で、その神社が移設することになって木だけ残ったわけよ」
「なるほど、それで神様の……。たしかに民話とかでありそうね」
「でしょう? それから何十年後だかに私のひい爺ちゃんだか、ひいひい爺ちゃんだかが、ここに家を建てたんだけど、そのとき地面を掘ったら……細長い木箱が出てきたのよ」
真美の口調は、段々と芝居がかってきている気がする。ゴクリと唾を飲む音まで聞こえてきそうだ。
私は、そこでようやくアイスコーヒーにミルクと砂糖を混ぜて、ストローを吸った。
「どう……?」
「どうって……まだ話の核心には触れてないわけでしょ。その木箱の中には……」
「そうじゃなくて、それ叔母さんがくれた高いやつなんだけど」
「あ! コーヒーのこと? うん……おいしいよ。なんか……サッパリしてるっていうか……飲まないの?」
「私……コーヒー苦手だから」
雨垂れの音が聞こえる。私は、何とはなしに卓袱台の上のグラスを見比べた。
「そうなんだ……苦手なのか。なんか、悪いね私だけ」
「編み棒よ」
「ふぁい?」
咥えたストローが、ポトリと口から落ちる。
「その長っ細い木箱の中には、一揃いの棒針が入っていたの」
「また急に話が戻ったね……」
「ごめん……それ飲んでからにしようか」
私はストローをグラスに戻し、残りのアイスコーヒーを全て吸い上げた。正直に言えば、味は特売品と変わりなく思えた。
「ごちそうさま……それで、何で編み棒が?」
「うん。その木の残骸を、当時の人達が捨てずに家財道具に作り変えたみたい。実用的な面もあっただろうけど、“八百万の神”や“付喪神”ってあるでしょ、そういう信仰にも倣ったんじゃないかな? 元は御神木ってこともあるしね。つまり箱に入っていたのは“編み棒”ならぬ“
「真美……なんかすごいね……。かみぼうか……なるほど。あ……!」
「なに? どうしたの!」
口を開けたままの私の前に、真美が身を乗り出して訊いた。
「こういうことでしょ! それから、代々この家に伝わる神棒を使えば、セーターだろうがマフラーだろうが、どんな編み物でも見事に完成する! だから、お母さんに編んでくれたのも……」
滑らかな口調もそこまでだった。真美の表情に失望の色を見てしまったからだ。
「って……わけでもなさそうね……」
「う、ううん。いいとこは突いてると思う。お婆ちゃん、他の編み棒を使っても、腕の良さは変わらないのよ。編み棒を使えばの話だけどね」
「と、言うと?」
今度は私が身を乗り出した。
「ねえ、家に来たときから、ずっと気になってることない?」
「うん。家に来たときから、ずっと気になってることある。それ!」
私は、真美のジェットコースターのレールのように畝った三つ編みを指差した。
「いつ訊こうかと、タイミングを伺ってたとこだったけど、それも伏線だったのね」
「その通り。これね、今朝お婆ちゃんが結ってくれたの。あの人ね、折り紙とか直接手で扱う工作や手芸は、からっきしなの」
「むしろ、どうやったらそんなダイナミックな編み方が出来るのか知りたいとこだけど……でも、たしか蔓編みは編み棒じゃなくて、直接手で編むんでしょ?」
「そこよ! さっきの神様の話を思い出して!」
「八百万だかのこと? 要はどんなものにも神様が宿る……だからさっき言ったように、編み棒にも……」
ペン、と真美が膝を叩いた。この子、やはり小学生とは思えないところがある。
「そう……神様の力が宿っている。だから直接触れて使っていたお婆ちゃんの手にも、何らかの力が移ったんじゃないかな? まさに“神の手”になったってこと」
「いやだから、蔓編み以外は出来てないわけでしょ?」
「逆に言えば、蔓編みだけは出来ていると言うことよ。つまりね……」
そこまで言って、真美は手元のアイスコーヒーをひと口飲んだ。
「ふう……苦い……やっぱこのまま飲むもんじゃないわ……。あんた五組の笹尾君が好きなんだってね?」
「はえ! 何その不意打ち! というか何で知ってるの? まさか、それも聞き込みを……」
「それって、同じ人間だから好きになったってことでしょ。人と人とが惹かれあってるってことでしょ」
「い、いや、惹かれあうって……向こうはどう思ってるかなんて、わかんないよ……ねえ、誰から聞いたの? 舞ちゃん?」
真美は私の質問には答えずに続ける。
「人と人とが惹かれあうってことは、他の生物だってそうじゃない? お婆ちゃんの手には、御神木の力がある。だから」
「木に宿っていた力だから、同じ植物である蔓も惹かれて反応し、見事な手芸品が完成する……そうとでも言いたいわけ?」
私達の視線は、茶箪笥の上に向けられた。
「ちょっと強引かな?」
「ちょっとと言えばちょっと強引かな……。そもそも神棒って、昔からこの家にあったわけでしょ。それまで誰も使わなかったの?」
「うん。去年取り壊した納屋に、ずっとしまわれてたみたいなの。何年か前の大掃除のときに出てきて、それからお婆ちゃんが気に入って使っているわけ。だから、それ以前のことはちょっと……」
「参考になるデータは無いということか……」
真美は視線を戻すと、スクッと立ち上がり廊下の方へと歩きだした。
「どうかしたの?」
「私も、我ながら強引な説だと思ってた。さっき、台所の窓からアレを見るまでは」
「アレを……?」
「ねえ、そもそも何で今日家に来てもらったか、覚えてる?」
「あ……」
すっかり忘れていた。
私が一年生のときに書いた朝顔の観察日記が、当時担任の先生にべた褒めされたのを知って、助言を求めてきたのだ。もう四年も前のことなのに。
「芽が全然出ないからとか言ってたけど、一本仕立てでちゃん育ってたじゃない。なんか妙な感じはしたけど……」
「取り敢えず、一緒に庭に来てくれる」
「ねえ……私が来たときと、何か違ってるよね……?」
「うん、そのときはまだ確信は持てなかったんだけど、これで間違いなさそうね」
プランターに近づくと、その形がよりハッキリとわかる。
「最初は遠目からだから気がつかなかったけど、こういうことだったのね……」
「私、思いついたら我慢出来なくて……昨日の夜中にね……お婆ちゃんにも内緒で試してみたの」
「これは……まさに“蔓編み”……」
編み棒を支柱にした二本の蔓は、そのまま真上に伸び続けたあと、中央で縒り合うように絡みあっている。
その形はまるで、編みかけの小さな緑色のセーターが、宙に浮かんでいるかのように見えるのだった。
(了)
初稿∶「ツイスターズのテーマ」SSG 2020/6/18
第二稿∶「神の手」小説家になろう 2020/7/1
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