STAGE2 夕暮れのさなか ー"This is the beginning."


嵐のようなその場所で鳴り響く警報音が、脳裏に永遠とこびりついている。

体の奥深くから渦巻くような気持ち悪さに、息が荒くなる。

だんだんとくるしくなって、息絶えそうになる。

まるで、体に錘をつけられて、海の底に沈んでいるよう。

全身が、死の恐怖に包まれ、震えあがる。


助けて、助けて!

誰か、助けて!

いや!いやだ!



「はっ..............!」


気味の悪い夢から覚めた少女が、息荒く目覚めた。

体を起こして、ぐっしょりと汗で濡れた体に、また嫌気がさす。

質素なものが置いてある部屋に差し込んだ朝日さえも、この気持ちを照らしてはくれないのだろう。


少女は呼吸を整えながら、横で眠っている左目に眼帯をした紺色の髪色の少年をみた。

彼女はその寝顔をみて、微笑んだ。

彼女の呼吸が、すこしずつ整っていった。







少女は身支度をすませ、制服に着替えた。

そして、洗面台の前で自分の顔をじっと見つめる。

「大丈夫...大丈夫」

両手で頬を叩き、深呼吸した。




「おい、イツキ! 飯が冷めてるんだよ。こんなの食えるか」


リビングに響く怒号に、イツキ、と呼ばれるショートカットの少女は手元を狂わせる。男はそう言うと、持っていたスプーンを、机の上にたたきつけた。


「ごめんなさい...義父さん」

イツキは、震える口で答えた。

「俺はな、孤児のお前ら2人のために、金を稼いでるんだ」

男は、台所にいるいつきに近づき、人差し指で、彼女の制服のリボンを引っ張る。

「お前が稼いでもいいんだぞ」

イツキは、それが何で稼ぐのかわかっていた。逆らったら、きっと殺される。男はイツキを、床へほおり投げた。

「そうだ。明日俺の仲間が2人泊まりに来る。下手な料理出したら、何されるか分かってるな」

そういって、笑いながらカバンをもって、玄関から出ていった。


「姉さん」

いつきが床に散らばった米粒を片付けていると、紺色の髪をした少年がパジャマ姿のまま顔を出した。

「ごめん...レン。起こしちゃったね」

レン、と呼ばれる少年はただじっとイツキを見つめる。

「...今日は、学校いけそう?」

そういうと、レンは、イツキから目線を離して、つけっぱなしにしていたテレビの方へ眼を向けた。


『人類最悪の戦争である、生物兵器を使用した世界大戦から78年。紀元前1000年前の遺体が再び発掘され、人類の脅威ともいえるパラノイア種の源の...』


レンは再びイツキと目を合わせて、うなずいた。




バス停まで少し歩き、レンの手を引いて、乗り込んだ。

いつもの定位置である、一番奥の窓側に二人で座った。

イツキはレンを肩に寄りかからせて。イツキは窓にもたれかかった。


流れていく景色の中。

一瞬だけ見える東京湾が、イツキのささやかなよろこびだった。




----------------------------------『𝙿𝚊𝚛𝚊𝚗𝚘𝚒𝚊』---------------------------------------------




------------------------------------------------------------------------------------------------


「さて、ある時期になると水の中で泳げないはずのコオロギやカマキリ、カマドウマが水に次々と飛び込んでいきます。これはある寄生虫が、彼らに入水自殺させるように仕向けているからです。」


蝉が窓の外で泣いているのを横目に、イツキは長々と話をする教師の話を聞いている。蒸し暑い教室の中で、早く終われ、とノートに落書きをするもの、スマホをいじっているもの、興味がありすぎて目を輝かせるもの.....。様々な生徒のサラダボウルが、教室に居る。


「ではその寄生虫とは...」


「はい。ハリガネムシです。彼らは水中で交尾しなければならず、取り込まれた瞬間に宿主をマインドコントロールさせ、水中へと向かわせ...」

その、目を輝かせるもの、がとっさに手を上げ、まるで博士のように淡々と話し始めた。教師は苦笑いをした。そのものはやってしまった、と顔を赤くして椅子に座った。

「よく知っていますね。もうよいですよ...えー、それでハリガネムシは水生昆虫の体内にも入るわけですが、体の先端についたノコギリで腸管の中を進むのです。2,3か月すると、」

「はい!シスト状態になるんです!」

またもや、そのものが鼻息を鳴らしながら興奮気味に言い、クラスにはどよめきが響く。

「ああ.....そうです。このシストという状態は、自分で殻を作って休眠をした状態です。マイナス30度でも死なないという特性があり...皆さんご存じの、世界大戦でも使われた生物兵器に、これらの特性は十分に使われたのです」


イツキは興奮状態のその生徒を見つめていると、その生徒と目が合い、

とっさにノートを写しているフリをした。

教師の頭上にある時計に目をやって、また5分しか経っていないことが気がかりだった。

「あ」

頬から垂れた汗が、ノートについていた。



授業が終わると、先ほどの興奮ボーイがイツキに近づいてきた。

「.... 」

「....あ」

「日向くん?」

「あなたも、寄生虫に興味があるのかと思って」

興奮ボーイ、改め、日向と呼ばれるメガネをかけた少年は、おそるおそる聞いた。イツキは言葉に迷っていた。

「...あるよ、でも、そこまでじゃない。ただ、すごいなって思っただけ。そんなに熱中してて...いいなって」

「僕が...?」

日向は、目を丸くした。

イツキは、それじゃ呼ばれてるから、とその場を後にした。




「先週はふでばこをゴミ箱に捨てられ、上級生からも暴言を吐かれていたと、生徒から目撃されています...おまけにあの眼帯は、ケガではななく、暴行されたのではないですか?」

応接室に、ジャラジャラとした耳飾りをしたスクールカウンセラーと、貧乏ゆすりをする若い男の担任教師とが、イツキと向き合って座っている。

「大和...何か答えなさい」

教師にそう言われるが、イツキは黙っている。

「学校は義父さんの顔もみたことがないのよ?...これは児童虐待よ。」

「大和、君はまだ16歳だ。未成年だ。下手をすれば、別々の児童養護施設にいってもらうしか」

「大和さん...?あなた、このまま将来はどうするの?」

イツキはぐっ、と握るこぶしに力を入れ、怒り狂うあの男の姿を脳裏に浮かばせた。

「...私が、居ます。ずっと2人で生きてきました。これからも...ずっと、だから..........大丈夫です」



暗い面持ちのまま、教室に戻り筆箱を開けると、消しゴムには落書きがされていた。

黒板に一番近い席に座っている女子のグループが、イツキを見て、笑っていた。

イツキは何もできず、席に座った。


”アイツ頭いいからって、調子のってるんだよ”

”日向と話してたけど、悪い意味でお似合い”

”金がないからエンコ―してるって”

”オトウトがカワイソウ”


根も葉もないうわさが飛び交うのは日常茶飯事だった。

イツキは聞こえてくるそんな声をかき消そうと、今日の晩御飯のことを考えはじめた。

”オトウトがカワイソウ”

悔しいけれど、その言葉がイツキの心に刺さってしまった。


日向が、イツキをじっと見つめていた。

そしてイツキの様子を見る、おさげの少女の姿があった。






授業がすべて終わり、イツキは学校の校門前でレンを待っている。

レンは背が小さく、髪もめずらしく生まれつきの紺色だから、ほかの生徒とすぐ見分けがつくのだ。

しばらくすると、レンがとぼとぼとやってきた。

しかし、それと同時に、レンが左目の眼帯のほかに、頬にアザを作っていることが分かったのだ。

「これ...またやられたの?」

イツキがそう言うが、レンはただ黙って歩き出した。



夕焼けに向かっていくように遊歩道を歩いていると、一羽のカラスが空高く飛んでいることに気づいた。

「...どこかに、飛んでいけたら」

イツキがそうポツリと言った。レンは無表情で、イツキを見つめる。

「ここじゃない場所で、違う環境に生まれて、違う自分になって、もう一回、レンと...こうして歩くんだ....」

イツキの瞳がゆらゆらと揺らぎだす。

そんな彼女の瞳を夕焼けが照らし続ける。

「そんなこと...かなうはずない」

レンに向かって微笑んだ。

「...姉さん」

そう言うと、レンは目をそらして、ある場所に吸い寄せられるかのように、焦点を合わせた。

そしてレンは横断歩道の信号を無視して、走っていった。

「まって!レン、レン!あぶない!レン!」

イツキも、車にぶつかりそうになりながら、弟を追いかけていく。

”あぶない!”怒号が飛び交う中、イツキは走り続けた。

20秒ほど走ると、レンが走っていったのは公園だと気づいた。

イツキが息を切らしながら、あたりを見渡すと、公園のブランコに腰掛けるレンを見つけた。

「レン...なんで、急に」

レンは何も言わず、自らの足でブランコをこごうとするが、足が届かない。

イツキは、微笑んですぐにレンの背中側へと向かい、レンの肩を揺らした。

「....小さいころ、よくやったね。覚えてる?レンは小さかったね。母さんと......3人で来て......」

イツキは無意識に、母というワードを出してしまい、なんとか話題を変えようとする。

「喉乾かない?私ジュース買ってくるよ。ちょっと、まってて」

走ってきたときに、公園から離れたところだが、自販機があったことを思い出し、駆け足で向かった。



夕暮れの公園には、錆びたブランコのきしむ音がキーキーと鳴っていた。レンは足をぶらぶらとさせて、ブランコをこごうとする。

しかし前に進むことができない。

その時、レンの体に、ヒヤリとした何かが当たり、前に押してくれた。

「姉さん...?」

レンがそう振り向こうとした次の瞬間だった。


グッッッ......シャ.........グッグッ....ポタ...ポタ.......


肉がつぶされるような、破裂するような、生臭い音がした。

レンの顔にはべっとりと血がかかり、おそるおそる自分の体をみてみた。

レンの上半身と下腹部には、大きな穴が開いていた。

そしてその大きな穴を開けたと思われる手がチラリと見えていた。

レンはガチガチと歯を鳴らして、叫ぼうとしたが、”何か”がレンの口を塞いだ。

「ン....ンンン!!ウッグッ.......ン!!!」

「ごめんね.....」

耳元で囁くものが、なんなのか分からない。

死ぬ、死ぬ、死んでしまう!

レンを、恐怖が取り囲んだ。

震えた女の声のようなそれが持つ手からは、白い枝のようなものが生えはじめ、レンの下腹部に密集した。

「ン.....ン、ン.........」

レンは恐怖のあまり失神し、抵抗していた体の力は徐々に抜けた。

そして密集していた枝のようなものは、すべてレンの体へと吸い込まれるかのように

するすると入っていった。

すべて”取り込み”終わると、レンの顔についた血や上半身から下腹部にかけての大きな穴は消え、何事も無かったかのような状態になった。





「人類のために」










レンは、闇の中で、最後にその言葉を聞いた。















「ごめん、自販機とおくて..........」

イツキは、レンがブランコの前で横たわっているのに気づき、すぐに駆け寄った。

「レン.....!!!」

レンの頬は赤く、まるで眠っているかのような姿だった。

「...久しぶりの学校、疲れたのかな?おんぶしてってあげる」

レンの体を起こし、イツキはレンを背負って、公園を後にし、帰路に着いた。


「.....」

レンはイツキの背中で、目を醒ました。

あたりをきょろきょろと見渡し、信じられない、といった表情で自分の腹のあたりをさする。

「あ、起きた?ジュースあるけどいる?オレンジジュース」

イツキにそういわれた。


「...喉、かわいてないんだ」


レンはそう言った。




日が沈み、暗くなった公園で、わずかな血のついたブランコがいつまでも揺れていた。




























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