『𝙿𝚊𝚛𝚊𝚗𝚘𝚒𝚊』
水野スイ
プロローグ 『𝙿𝚊𝚛𝚊𝚗𝚘𝚒𝚊』
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最も強いものが、あるいは最も知的なものが、生き残るわけではない。
最も変化に対応できるものが生き残る。
チャールズ・ダーウィン
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さざ波は宴を誘う。
寄せる波に頬を奏でよう。
肌と肌で、ささやきあって、さあさあこちらへ。
さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
一人の男が、夜の貨物船で、ネオンに包まれた工業地帯を眺めながら、その文章を頭に思い浮かべる。そして、さざ波の音が聞こえる静かな海と、頬にあたる風をささやかに感じている。
「悪趣味な」
男はそういうと、茶色のトレンチコートの右ポケットに手をやって
ああない、と思って左に手を回す。しかしお目当てのものが見つからなかったのか、舌打ちをして、腕組をする。
「これか?」
しぶい声が聞こえた、と男は目を丸くして右手をみた。
目鼻たちの整った男がおり、四角い小さな箱を手渡そうとしている。
「お前も悪趣味だよ。そんなことすすめるやつじゃないだろう」
男は手渡されたものを受け取り、中から煙草を取り出す。
「いるか?」
顔立ちのいい男はそう言って、火を差し出してきた。
「今日はやけに気が利くな」
再び去り行くネオンを見つめながら、深く煙を吐く。
「...こんな残忍なことをして、人間性を忘れても、美味い煙草の味は忘れない。なぜだろう。なぜだと思う」
男は、鼻を鳴らしてそう言った。
目鼻立ちの良い男は、何も言わずただ船に砕ける波を見つめていた。
その時、館内の警告音が赤くひどく鳴った。
----------------------------プロローグ 『𝙿𝚊𝚛𝚊𝚗𝚘𝚒𝚊』-----------------------------------
赤い警告音にまみれた館内で、ゴーグルとライフル銃を次々と機動隊が装備している。早くしろ、遅い、死にたいのか。怒号が飛び交う中、赤いバンダナを右腕につけ、髭を伸ばした司令官のような人物が指揮をとる。
機動隊が列に並び終え、視線をその人物へと向ける。
「MP5からM1500までなんでも撃ちかませ。バーミンダー仕様ならとにかく。あの生物をこの船内から一歩も出すな。見事命中させたものには、昇進が待っている」
「はっ!」
大勢の隊員はライフルをもって、一斉に隅から隅へと散らばっていく。
『現在、メインゲートおよびサブリミナルゲートを閉鎖。非戦闘員は緊急退避。繰り返す...』
女性オペレーターの声が館内に響き渡る。
病院のような館内では、白衣をまとった研究者のような人物たちが迫りくる機動隊におびえている。お好きな研究をしていたのに、なにやら物騒な事が起こっている。そう口々に、彼らは青ざめて言った。
すると、司令官のような人物の隣にいるゴーグルをかけた若い機動隊員が、話しかけた。
「しかし司令、指揮官からの命令では生け捕りではなかったのですか?」
それはもっともな質問だ、と司令官は息を吸った。
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同時刻
一人の黒髪の女が、白い衣服を身にまとって貨物船の船内の暗い廊下を裸足で走り回っている。白い服の下には、何も着ていないために、女は必死で体を隠しているようだ。
『ッ.....は...』
女が歩くたびに血がしたたりおちているが、女は意図的にそれを落としているようにも見える。
女は暗い船内を歩きながら、ところどころについている研究室の明かりを頼りにして進んでいる。二秒に一回鳴るその警告音の、ジリジリとした音が、女をさらに焦らせる。
しかし、女のその強靭な瞳は、その闇雲を断ち切るかのごとく、颯爽としていた。
女はついに目からも血のようなものを流しながら、
ひとつだけ滑稽な明かりを灯した研究室を見つけ、その目についた血を、右手で振り払った。
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「生け捕り?」
次の瞬間、司令官が口角を上げながら、若手の質問にそう答えた。
「あれは、人間ではない」
その言葉は、まるで決まり文句のようだ。
司令官はにやついた。
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一歩ずつ、一歩ずつ、右足、左足。
「....」
まるでロボットのような動きをするそれを、微弱な力だととらえるには儚く惜しい。
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「あの生物には、死という概念はないのだよ」
若手は、その言葉に息をのみ、震える声で聴いた。
なにせ、自分たちがみてきたものは、引き金を引けば殺せるものだからだ。
そこには常に死があることが当たり前だった。
その”生物”は、機動隊員たちの想像をはるかに超えた何かなのだ。
「では...どうやって、我々は、対抗すればいいのですか」
司令官は、その言葉に息を吐いた。
「...」
そして、一度自分の足元に目をやり、じわじわと血のような赤い”シミ”が増殖
していることに気づいた。
「いよいよ本領発揮...か。ひさしぶりだよ」
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そして、女は研究室の中へと足を踏み入れた。
瞬きを忘れた彼女の眼球が、その”奥”にあるものを徐々にとらえ始める。
さあ、いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
いらっしゃい。
女は、丁寧に保存されている長いフラスコに入ったそれを見つけると
吸い寄せられるように駆け足で向かっていった。
それに頬を摺り寄せ、ささやかな吐息で出迎える。
「ずっと...待っていた」
そう呟き、フラスコに入ったオレンジの液体を口に流し込んだ。
舌に絡みつくほど離れないその味覚を味わって、女は空になったフラスコをなげ捨てた。女の体内にじわじわと侵入するそれが、彼女の体を火照らせてゆく。脳内に染み入るのに時間はそう長くはかからない。うっとりとする女の瞳は、どこか官能さをまとっている。
そして女は同時に二つのことを感じた。
「化け物!!!!」
ひとつは、
この空間を汚す、妨害者の存在。
メガネをかけた小太りの研究者が、銃口を女に向けた。
「入ってくるな!!出ていけ!撃つぞ...」
研究者はよほど怯えているのか、研修室には一歩も入ってこない。
研究者は”ばけもの”の存在と、自分の貴重な研究サンプルが破壊されたこと、ふたつのことに動揺しているようだ。
女の体は徐々に沈黙を身にまとった。
火照りは遥か彼方へ、昨日のおてんとさんに捨ててしまった。
今はただ、目の前に居る妨害者を明日のおつきさまに見せてやらねばならない。
さあ、いこう
さあ、いこう
さあ、いこう
さあ、いこう
さあ、いこう
しかしそれはまるで、嵐の前の静けさの用だ。
女は、そんな空気を切るように、研究者をじっと見つめた。
彼女の上唇と下唇が、じっくりと唾液の糸を引いて、言葉を発する。
「化け物はどちらだ」
そしてもう一つ女が感じた事がある。
それは、みなぎる生物としての本能だった。
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