校内一の美人を間違って押し倒したら、最終的に監禁されました

@handlight

第1話


 今日も校内一の美少女、磯倉(いそくら)千博(ちひろ)と同じ車両に乗り合わせた。


 俺が下校時に電車の最後尾に乗る習慣ができてから、これで何回目か分からない。


 時間帯の割にがらがらの車内。


 向かいの少し斜めの所に、モデルと見紛うような美しさと、スタイルの良さを兼ね備えたその磯倉が座席に腰掛けている。


 そして俺は今、彼女のすらりと伸びた長い脚から目が離せなくなっていた。


 ──人間誰しもなにかしらに拘りを持っていると思う。


 この俺、一色(いっしき)光斗(こうと)はそれが顕著だった。


 ルーティンとそれに準ずる儀式行動。家の戸締り何度も見に行ってしまうような確認行為。過度に清潔さを保っておかないと落ち着かない潔癖症。


 程度の差はあれ、色んな人が何かしらのこだわり、もとい強迫観念を抱えていることが多い。


 幸い俺の場合はほとんどが突発的で、生活を困難にするほど酷いものはない。しかし、時には目の前のものが気になって、いても立ってもいられなくなることがある。


 俺が磯倉の脚を見つめ続けているのは、なにも脚フェチだからじゃない。


 ズレているのだ。彼女のニーハイソックスが。


 お金持ちのお嬢様で、学校でも気品すら感じられる立ち振る舞いをしている磯倉の、ソックスが片方ずれ落ちている。


 普段のきちんとした様相とのギャップも相まって、気になって仕方がない。


 同じ高校とはいえ、いきなり声をかけたら引かれるだろうか。


 しかし、あれは正さないといけない。この感情は恐怖でこそないが、迫り来る何かが俺を掻き立てる。


 ヤバいもう我慢できない。


 俺が座席から立ちあがろうとすると、彼女と目が合った。


「さっきから私を睨んでいますけど、何か御用でしょうか」

「え、いや、別に……」


 磯倉から声をかけてくるとは思わなかったので、怯んでなにも言えなくなってしまった。


 というかあれか。俺が脚を凝視していたのを気づいていたわけか。ヤバい変態だと思われたかもしれない。


 声をかけ辛くなってしまった。


 いっそ無言で直してしまおうか。


 いや、そっちの方がヤバい。変態でしかない。


 直せないならもう気にしないようにしないと。


 気にしない。気にならない。左右非対称でも問題ない。普段は気にもとめてない。気になった時だけ気になるなんでおかしな話だ。直すのがダメなら、もう片方もずり下ろしてしまえばいいのでは?


 気がつくと俺は磯倉の前に立っていた。


「あの、やっぱりなにか……」


「ごめん。本当は言いたいことがあったんだ。君のことがずっと気になってた」


「え──」


 その時、突然電車が揺れた。

 立っていた俺は、後ろにのけぞって体制を崩してしまう。


「──危ないっ」


 吊り革を掴み損ねた俺に腕を伸ばす磯倉。


 倒れまいと反射的に彼女を抱き寄せてしまう俺。


 そのまま元の体制戻ろうとした勢いと、更なる揺れで、俺は思わず彼女を座席に押し倒してしまった。


 ──そして、お互いの唇が重なりあっていた。



 今日は学校を遅刻した。


 学校に行く途中で何度も家の施錠を確認しに戻ってしまった。


 これが癖になってルーティン化してしまうと大変なので、なるべく鍵の確認作業はしないようにしていたのだが、今日は学校に行くのが憂鬱で家から離れるのにまごついてしまった。


 休み時間になるのを見計らって教室までやってきた。


「今日も居るな……」


 教室の入り口から中を確認すると、磯倉がクラスの女子と仲良さそうにしているのが見えた。


 彼女は俺のクラスじゃないが、仲のいい友達がいるようで、毎日、それも休み時間の度にやってくる。


 いつもながらの美貌と、窓辺からの光が腰まで伸びた長い髪の艶やかさをより強調して、まるで美術品のようだ。おふざけの女子同士の会話の中、一人だけ敬語なのも相まってそこだけ別空間のような異質さすら感じられる。


 昨日あんなことがあったため磯倉とは気まずい。


 俺がなるべく目立たないようにして自分の席に着くと、後ろから軽く肩を叩かれた。


「社長出勤お疲れさん」


 中学からの友達の中山(なかやま)だった。


「ああ、中山。連れションいかない?」


「俺、今行ってきたところ」


「手洗った?」


「洗ったよ。いきなり失礼なやつだな。なんか今日過敏っぽいけど、アレが再発でもして遅刻したんか?」


「いや、再発ってほどじゃないよ。今日はたまたまどうしても戸締りが気になって……」


「ならいいけど、中学と違って高校で遅刻しまくったら留年すんべ」


 俺の親の海外出張が決まった時に、誰もいない家の施錠確認が癖になってしまって中学時代は大変だった。


 なんとか治そうと色々試した結果、玄関と全ての窓を全開にした上で、少し離れた場所から一日中家を眺めるという、謎の荒療治経てなんとか戸締りの確認癖を克服したのだった。


「おー、一色くんやっときたの」


「え、ああ……」


 俺達とは少し離れた場所で磯倉と談笑していた女子の一人が、俺に気づいて声をかけてきた。


 中山の幼馴染の西崎(にしざき)だ。


 磯倉グループが俺の存在に気づくだろうから、できれば声をかけてほしくなかったんだけど……


 一瞬彼女達がこちらを見たが、なんともなしにすぐ談笑に戻ってしまった。


 もしかして磯倉の方はなんとも思ってない?俺が気にしすぎなんだろうか。


 でも、事故とはいえキスまでしてしまった上で、気にも留められていないのは正直ショックだ。


「社長出勤お疲れい!」


「中山と同じこと言ってる」


「えー最悪。こいつと被ったの嫌だから、課長出勤て言ったことにしてくれない?」


「あんま変わんねーだろ」


 中山がジト目で西崎を見やる。


「課長は時間守りそうだしな」


「それで一色くんは今日どうしたの?もしかして具合悪かった?」


 西崎とは中学が別の学校だったのでお互いのことをあまり知らない。が、その割には俺によく絡んでくる。中山繋がりで仲が良いからだろう。


「こいつのは心配するだけ無駄無駄。ある意味病気ではあるけどな」


「はぁ?病気なら大変じゃん」


「いや、中山の言う通りだよ。気にしないでくれ」


「気にするって!ちょいとおでこ失礼していい?熱とないかな?」


 西崎の手の平が額にピタリと触れる。


 なんか距離感近いなこの人。


 目と鼻の先にいる女子に緊張していたのも束の間、教室で何かが転がり広がる音がした。


「ごめんなさい、私ったら」


 どうやら磯倉が、机にあったペンケースの中身をぶちまけてしまったらしい。


「千博ちゃんもおっちょこちょいなところあるよねぇ」


「それより西崎、そろそろ手を退けてくれ」


「ご、ごめん。いやっだった?」


「そうじゃなくて、照れるからさ」


「そ、そか」


 ガッ。


 横目で音の先を確認すると、磯蔵が頭を抑えてしゃがみ込んでいた。学習道具を拾い集めている最中に、頭を机にぶつけてしまった様子だ。


「えと、熱はないみたい!」


「どうも」


「俺にはそんな心配してくれたことないくせになぁ」


 なんだか中山が口を尖らせているように見えた。


「あ、ごめんね!君の体を労って、有給をあげるから許してね」


「お、おお!ありがとう部長っち!」


「目上の役職持ちになめた口きかないでくれる?」


「すんませんした!」


「ほら、有給与えたんだから早く帰りなよ。課長くんは今日一緒に飲みにいこうね。雰囲気のいい喫茶店をみつけたの」


「お前、俺の扱い酷くないか、マジで」


 この人達面白いよね。


「なんか、こういうのいいな」


「一色も社員イジメに参加する気か?このパワハラ役員共が」


「そうじゃなくってさ、幼馴染同士っていいなと思って」


「それなら私が新しい幼馴染になってあげようか?」


「俺達もう高校生なんだけど」


「高校生なんて大人からしたら幼い子供でしょー」


「高校生が幼いって、これから何年一緒にいるつもりだよ」


「え、えと、できたら一生、なんちゃって──」


 ガンッ!!


 西崎の適当なジョークを、吹き飛ばした女生徒にクラス中の視線が集まっていた。


「ど、どうしたの千尋」


 磯倉と一緒になって学習道具を拾い集めていた女子が、おずおずと尋ねた。


「驚かせてしまってごめんない。立ち上がる時に、間違って拳を思い切りを机にぶつけてしまったんです」


「だ、大丈夫?」


「ええ。私ったらおっちょこちょいで。机の底がへこんでしまったので、先生に言って代わりの物を持ってきますね」


「あ、千尋ちゃん一人じゃ大変だろうから私も手伝うよ」


「俺も!」


「俺にも手伝わせてください」


 西崎が名乗りを上げると、それに続けとばかりに男達が群がっていった。


 さすが人気者の磯倉だ。


 クラスの緊張がほぐれ、元のガヤ音に戻っていく。


「磯倉ってパワータイプなのか」


「家の習い事で子供の頃から武術やスポーツとかもやってるらしいぜ」


「へぇ、さすがお嬢様。まぁ帰宅部の女子にしては体つきいいもんな」


 中山の答えに納得しながら、あの見た目でドジっ子だなんて人は見かけによらないものだと、この時は考えていた。



 気にしすぎるのはよくないと思う。


 磯倉だって俺のことなんか気にしていなさそうだった。


 だから、体育の授業で見かけたサッカーボールの籠に、一つだけハンドボール混じっていたとしても直さないようにした。


 こんなことにいちいち時間をかけていたら、人生のほとんどが身の回りの整理整頓で終わってしまうだろう。


 気に病むだけ無駄なのだ。


 そして、俺は放課後の時間を無駄にしていた。


「放課後にわざわざ体育倉庫に来るくらいなら、見かけた段階で直しておけばよかった……」


 本当に時間の無駄だ。結局気になって戻ってきたのだ。


 倉庫の扉を開くその瞬間、中から声が聞こえた。


「図書委員の仕事で初めて一緒になった時から好きでした!」


 こんな時間に人がいるのか。


 部活は専用の倉庫があるから、放課後は普段誰もいないはずだけど。


 半開きにしてしまった扉の隙間から見えたのは、二人の人影。一人は顔は見えないが男子生徒、もう一人は彼に向かい合った磯倉だ。


 どうやら、告白ジャストタイミングの場面に鉢合わせてしまったらしい。


 そのまま扉を開けきらずに身を隠はしたけど、もしかして告白の邪魔をしてしまっただろうか。


「俺なんかじゃ釣り合わないのは分かってるけど、磯倉さんが他の男と一緒いるのは耐えられないんです。どうか俺と付き合ってください!」


 邪魔にはなっていないようだ。


 野次馬根性でもう一度覗き込む。


 心臓が、跳ね上がった。


 磯倉が、こっちを見ている。


「気持ちは分かりますし、その言葉は嬉しいのですが、生憎他の誰かとお付き合いをするというのは考えられなくて……」


 男子生徒と直線上にいるからそう見えただけで、目が合ったように感じたのは気のせいだったようだ。磯蔵が特にこちらを意識してる様子はない。


「俺のこと、嫌いですか」


「いいえ、そんなことはありませんよ」


「それなら、俺、磯倉さんのこと諦めません」


「そう言われましても。どうしたら分かっていただけるのでしょう」


「俺は磯倉さんが好きで、磯倉さんも俺が嫌いではない。これってチャンスがあると思うんだ。絶対に好きって言わせてみせますから」


 彼、根性あるな。


 入学当時から幾人もの告白を断ってきた美少女と、断られても決して諦めない男か。俺は今、青春チックなラブストーリーの始まりを目撃しているのかもしれない。


「チャンス……?」


 磯倉が眉を顰めたような気がした。


「なるほど。体裁のためについ曖昧な態度になりがちだったが、それはもう付き合っている人に悪いか」


 磯倉のトーンが一段落ちて、様子が豹変していく。


「い、磯倉さん?」


「お前に興味はない。お試しで付き合ったりも絶対にない。しつこく食い下がったところで、私が靡くことはないから今後は話しかけないでくれ」


 明確な拒絶。普段と比べると荒っぽいが、怒りの感情とはまた別の雰囲気を感じさせる声色だ。


「な、なんだよそんな言い方。ずっと図書室で二人きりで委員の仕事したり、仲良くお喋りだってしてたのに……」


「暇つぶしで話していただけだっていうのに、多少二人一緒の時間を過ごしたら好きになるとか頭お花畑か?そもそも私は付き合ってる人がいるんだ。お前みたいのに周りを彷徨かれて勘違いでもされたら困るから、二度と私の前に立つなよ」

 

 うわぁ、なんて酷い言い草……


 その言い回しと振る舞いは、ドジっ子なんて目じゃない驚愕を俺にもたらしていた。これが磯倉の本性なのかと、その彼女に実は付き合ってる人がいたのかと。


 感情を整理する前に、振られた男子が飛び出してきそうだったので、俺は急いでその場を離れた。



 駅のホームで電車到着前のアナウスが流れている。


 告白現場から勢いで駅まで走ってきたので、ギリギリの時間の電車に間に合ったようだ。


 本当はバスかタクシーで帰りたかったが、生憎そんな金はない。


 そして、俺は電車で帰る時に、最後尾に乗る習慣ができてしまっている。


 人には決して理解されないだろうが、俺は乗車せずにはいられないのだ。磯倉も乗るであろう最後尾に。


 胃がキリキリしてきた。


 擬似的ではあるが、磯倉と二人きりのようなあの空間には行きたくない。


 電車が到着し、ドアが開いた。


 そうだ。なにもこの電車に乗る必要はない。電車を二本、いや三本遅らせれば鉢合わせないはずだ。すぐにここから立ち去ろう。いや、でもいつもより早い時間の電車だから今日は彼女と会わない可能性も……


「ほら、ぼーっとしていると、電車に乗り遅れてしまいますよ」


「えっ」


 迷っていた俺は、後ろから押されるままに乗車してしまった。


「い、磯倉……」


「間に合ってよかったですね」


「あ、ああ」


 人のほとんどいない車内で立っているのも不自然なので、流れで座ると、磯倉も隣に腰を下ろした。


「声、かけてくれればよかったのに」


 やっぱり、告白のやり取りを覗いていたのがバレていたのか。


「毎日一緒に帰ってるんですから、今度から駅までの道のりもご一緒しましょうよ」


「……そっち?」


「そっち、とは?」


「いや、なんでも。というか、声をかけあうような間柄じゃないだろ。なんで今日は話しかけてくるんだよ」


 電車内ではもちろん、学校でもまともに会話したことがない。西崎繋がりで二、三口を利いた程度だ。


「そんな、寂しいこと言わないでください。もう何もない間柄じゃないんですから」


 そう、何もない顔見知りから一転して、キスをした関係になってしまった。


 磯倉も実のところは意識していたようだ。


「……昨日は、ごめん。その、ちゃんと謝りもしないですぐ次の駅で降りちゃって」


「いいんですよ。事故だったんですから」


「それと、倒れそうになった時に助けようとしてくれてありがとう」


「ふふ、どういたしまして」


 彼女の微笑みは柔らかく自然なもので、だからこそ俺には不気味だった。


 俺は磯倉の本性を知っている。彼女の秘密のようなものも知っている。


 なんで俺に話しかけてくるんだ?


 ……あぁ、そうか。俺は次の標的なんだ。あの感じからして、男を惚れさせてからこっぴどく振るのを楽しんでいるのだろう。これから先、俺はあの男子生徒と同じ目に遭うのかもしれない。親しくしているうちに好きになって、告白したら彼氏持ちなのを明かされる。


 バカバカしい。


「ねぇ一色くん。連絡先、交換しませんか?」


「えっと……」


「ね?」


 バカバカしいのに、何故か携帯を取り出してしまう。


 磯倉に嫌われたくないと思ってしまっている。


 そもそも、最後尾車両に乗る習慣ができたのは、彼女が原因だっから。


 それからというもの、『磯倉と電車で乗り合わせる』から『磯倉と一緒に帰る』が俺の日常になっていった。


 学校では相変わらずだが、電車内では他愛もない会話もよくするし、家に帰って一息ついていると彼女からのメールが飛んでくる。


『夜遅くまでメールするのやめてくれよ』


『私が送りたくて送ってるだけなので、返信は翌日でもいいですよ?』


『いや、俺返信しないと気が済まないんだ。放置できない』


『それはいいことを聞きました。今夜も寝かせませんよ一色くん♡』


 磯倉とはまるで付き合いたてのカップルのような関係になっていた。


 俺は携帯を枕に放り投げ、自分の部屋のベッドに転がって天井を仰いだ。


「ハートマークなんかつけちゃって。からかわれてるのか、お茶目なのか」


 多分前者だろう。


 携帯が着信で再び振動する。


 「あ、未返信か二つになってしまった。こんなことは許されない」


 そして夜がふけていく。



 昼休みの予鈴が鳴って教室から磯倉が去った後、彼女といつも仲良さげに談笑している女子が俺のところまでやってきた。


「ねぇ、一色って千尋と仲良いの?」


「別に普通だけど」


「えーほんとかなぁ」


 何かニヤニヤとしている。


 そして女子は、ぐっと俺に顔を近づけてきて囁いた。


「この前二人が中良さそうに歩いてるとこ見ちゃったんだけど」


 距離が近い。この距離感は今時の女子の流行りなんだろうか。


「あ、ああ。帰り道が同じだから」


「帰り道が同じってだけで千尋が学校外で男と二人きりはないって。めっちゃ楽しそうだったし」


「そう、なのか」


 本鈴が鳴って教師がやってきた。


「こらー席につけー」


「ふふ、私応援してるね」


 彼女はそんな言葉を残して自分の席に戻っていった。



 今日も今日とて、電車内で俺の隣に磯倉が座っている。


 いつもと違うのは今日は彼女が一言も発さないところだ。


 なにか嫌われるようなことしたっけか。それとも俺といるのに飽きたんだろうか。


「……今日、私の友達と話していましたよね」


「え?」


「あなたと同じクラスの」


「あぁ、磯倉と仲良いいのかって聞かれただけだよ」


 いというか、見てたのか。教室にいなかったはずだけど。


「キスしてましたよね。どういうことなんですか?浮気ですか?」


「クラスが同じってだけで……、は?浮気?」


「私というものがありなが浮気だなんて絶対許しません。絶対に認めない。あの女消すしかない」


 普段の磯倉じゃない。体育倉庫の時のような迫力をみせている。


「お、落ち着けって。あんな教室でキスなんかするわけないだろ」


「私には電車でしたじゃないか」


「だからあれは事故だって。そもそも浮気ってなんだよ。俺たち別に付き合ってるわけじゃないだろ。ていうか磯倉って恋人いるよな?」


「ああいるとも。私の恋人の名前は一色光斗だ」


 何が何だか分からない。


「いきなり私に告白してきて、事故とはいえキスまでした。あれは本当に嬉しかった……」


 恍惚としている磯倉の言っていることが分からない。確かにキスはしたが告白って……


 あ、『君のことがずっと気になってた』って言ったっけ。


「あぁ、そうか。そうでした。本当にごめんなさい私ったら。あの時は動揺してお返事がまだでした。一色くん。いえ、光斗はそういうちゃんとしたやり取り気にしそうですもんね。では改めて、私も光斗を溺愛しています。高校入学の時からあなたのことだけを考えて生きてきました。ぜひお付き合いしましょう」


「ま、待ってくれ。気になってるとは言ったけど、好きとか、ましてや付き合ってくれだなんて言ってない」


「言いましたよ?照れてるんですか?」


 これは演技とかじゃない気がする。本気でそう思ってるって顔だ。


「そしてもう一度熱い口付けを交わした後、愛を語り合って、別れ際に耳元で結婚の約束までしてくれました」


「あの後すぐ駅に着いて俺は降りたんだから、そんな余裕あるわけないだろ!」


「うん……?」


 磯倉は少し考えるような仕草を見せた後、


「あ、すみません。自分の妄想とごっちゃになっていました。キスをした後、嬉しさでトリップしてしまって」


 ヤバイ女だ。


「でも交際がスタートしたのは妄想ではありません」


 どっちも妄想だよ!


「いいか、落ち着いてきいてくれ。俺は磯倉に交際を申し込んだりしていなんだ。君のことが気になるって言ったのはその、あの時磯倉のソックスが片方だけずり落ちてたからどうしても気になって……」


「はい?何を言って…………あ」


 そのまま彼女は押し黙ってしまった。


 急にどうしたんだ。『あ』ってなんだよ。なにか言ってくれよ。


「付き合っていたのは私の勘違いだった……?」


 何故かわからないが急に目が覚めたようだ。


 そして電車が停車する。


「そ、それじゃあ俺、行くから」


「どこへ行くつもりですか?」


「いや、ここ俺が降りる駅だから……」


「分かりました」


 口とは裏腹に、とても納得した顔には見えなかったが、とりあえず解放してくれるようだ。


 駅から出て俺はほっとため息をついた。


 なんだあれ。色んな意味で怖い。ここ最近、磯倉へのイメージがコロコロ変わりっぱなしだ。ドジっ子、猫被り、腹黒、そして恋する乙女を通り越したヤバイ女。


 もうよそう、あいつのことを考えるのは。親に頼んで小遣い増やしてもらってバスで帰るようにしよう。いや、でも磯倉ならついてきてもおかしくないか。


 これからの下校の手段を考えながら歩き出そうとすると、肩を掴まれた。


「どこへ行くつもりですか?」


 既についてきていた。


「乗ってください」


 目の前に停まった黒塗りの車のドアが開かれた。



 黒服の付き人が怖くて、連れられるがままに高級マンションの一部屋にやってきた。


「もう下がっていいですよ」


 黒服は会釈をした。


 緊張しながら靴を脱いで部屋に上がったが、中は普通だった。リビングは全体的にシックにまとめられており、シームレスのキッチンも見える。


「お家の人は?」


「私、光斗と同じで今は一人暮らしなので」


「へぇ」


 俺が一人暮らししてること言ってたっけ……


「ソファで待っていてください。今お茶淹れますから」


 座りながら俺がキョロキョロしていると、


「父が家具なんかを揃えてくれたので。あまり女の子らしくないかもしれません」


「そうか?男っぽい磯倉には似合ってると思うけど」


「あぁ、素を見られてましたね。お淑やかにしなさいと両親に怒られるので、敬語で話すようにしているんです。それに、私の趣味自体は女の子っぽいんですよ?ここじゃなくて私の部屋に行きましょうか」


 美少女からのお誘い。


 クレイジーな女ではあるけれど、どうしてもドキドキしてしまう。


「そこの部屋です」


「……遠慮しとく」


 校内一の美少女の部屋に入る機会なんてもうないかもしれない。しかし、俺の直感が警笛を鳴らした。


 彼女の言動を考えると、俺はあの部屋で襲われてしまうかもしれない。いや、磯倉に襲われるならなんの問題もないし、むしろ嬉しいくらいだろう。だけど、何故あの扉には近づきたくなかった。


「それで、話があるんだろ?それとも恋人ごっこの続きなのか」


 磯倉はかぶりを振ると、紅茶を俺の前に置いて向かいに座った。


「どうぞ」


「いただきます」


 変わった味の紅茶だ。お金持ちだし、高いやつなのかもしれない。


「私、あなたの気を引こうと色々してました。毎日同じ電車に乗ったり、あえてソックスの片側だけをおろしたり」


「え、あれわざとだったのか」


「はい。ああすれば話しかけてくれるかなと。ただ、光斗の言葉とキスに舞い上がってしまって、自分から仕掛けたことだったのにうっかりしていました……」


 計算高いのか、ドジっ子なのか分からんな。両方か。


「光斗は、私のことが好きだったりしませんか?」


「……今はちょっと、分からないかな」


「そう、ですか」


 磯倉は俯いてしまった。


「私、ダメなんです。実は今までもずっと我慢していました」


「な、なにが?」


「光斗が他の女と仲良くしているのが許せない」


 目が、怖い。


「初めて見た時から好きでした。光斗が他の女と一緒になるところで想像するだけでいても立ってもいられません」


「そんなこと言われてもどうしたらいいのか……」


「私のこと、嫌いですか?」


「嫌いではないけど。というか、なんか告白されてる時と逆になってるな」


「え?」


「あ……ごめん。実は磯倉が告白されてる所見ちゃってたんだ」


「あぁ、知ってましたよ。だからこそ、あの男との関係を勘違いされたくなくて酷い振り方をしました」


「そうだったのか……」


「まぁ、あなたと恋人になれたというのがそもそも勘違いだったわけですが」


 彼女は一旦紅茶を飲んでから再び口を開いた。


「なので、あなたはもうこの家から出ないでください」


 全く文脈の繋がりが感じられない『なので』が、一瞬理解できなかった。


 一瞬という時間がとうの置き去りにされても、未だ答えが見えない。


「もう無理なんです。恋人関係という幻想が瞬く間に崩れ去って、不安で不安で仕方ありません。光斗を一生監禁して私の手元に置いておきたい。いいですよね?」


「い、いいわけないだろ」


「なんでですか?」


「なんでって、この世に監禁生活を望む人間が何人いるっていうんだよ」


「今まで私に告白してきた男達の中には、私に監禁されて飼われたいという人が5人くらいいましたよ」


 思ったより多いな。


 というか、告白する時にわざわざペット希望宣言するとか、世の中にはヤバイ奴らが意外と多いのかもしれない。


「そいつらと同居しろよ」


「あなたじゃなきゃダメなんです」


 俺が立ち上がると、磯蔵もすぐに玄関への通りを塞ぐようにして両手を広げた。


「逃さない」


「落ち着いてくれ」


「私は落ち着いてる。光斗こそ私から離れようとしないでくれ。私を不安にさせないでくれ」


「……分かった」


「え、本当に?」


「お前は病気だ」


「……光斗には言われたくないんだが」


「ああ、俺もお前も同じだ。なにかから、追われるように、そうせざるをえない」


「やはり光斗は分かってくれるのか。だったら──」


「でも、監禁生活は無理だ。何故なら、今日は風呂掃除の日だからだ。いまから風呂のカビ共駆逐しにいかなくちゃならない」


「でも光斗の家のお風呂場は綺麗だろう?」


「目に見えなくてもカビ菌は……なんで俺ん家の風呂事情を知ってるんだ。ああっ、クソ。家の施錠も不安になってきた!」


「このマンションのセキュリティは万全ですよ。この家に住みましょう」


 そう言いながら、磯倉は自分の部屋の扉を開いた。

 そして俺はその時ようやく気がついた。俺がこの部屋に違和感を覚えたのは直感のせいなんかではなかったことに。


「……本当にセキュリティ万全だな。入るのはもちろん、出るのだって難しそうだ」


「気づいてしまいましたか」


 その部屋の扉のノブ下をよく見ると、外側に施錠用の捻りが付いていた。つまり、鍵が閉まると中からは出られないのだ。


「残念だったな。まぁ元からその部屋に入るつもりなんてなかったけど」


「いいえ。もう手遅れですよ」


「なに、を──」


 急に足元がふらついたと思ったら、磯倉に抱きかかえられていた。


「ああ、これでやっと安心できる」



 今は何時か分からない。頭がはっきりしない。


 ベッド上で、大の字になったまま動けない。


 手足が手錠で繋がれている。


「目が覚めました?」


「やりやがったな」


「光斗がいけないんですよ。私から逃げようとするから」


「頼む一回手錠を外してくれ」


「ダメです」


「じゃあ右手のほっぺをかいてくれ」


「こうですか?」


 少しこそばゆいが痒みはおさまった。


「次は左だ」


「こっちも痒いんですか?」


「痒くないけどダメージを均等にしないと。いや待ってくれ。なんだこのタオルケット」


「風邪引くといけないと思って」


「頼む足の先まで覆うようにしてくれ。幽霊に持ってかれる。後携帯を見せてくれ。メールがきてるかもしれない。それから、それから……」


「ふふ、隙を作ろうとしても無駄ですよ」


「違うんだよ!身動き取れないと思うとあらゆることが気になり始めるんだ。そうだっ、頼む一回だけ家に帰してくれ。俺がお風呂場掃除しないとカビだらけになってしまう!」


「大丈夫ですよ。光斗の家はここなので」


「じゃ、じゃあ解放してくれとは言わない。ガチガチ手錠はめたままでいいから、一緒に俺の家の戸締りを確認しに行こう」


「光斗」


 彼女が俺に覆い被さって、彼女の美しい顔しか見えなくて、その妖艶な瞳に吸い込まれるようで。

 一瞬にして俺の不安はおさまっていった。


「光斗のそれは病気なんです。一緒に治していきましょう」


「磯倉には言われたくはないよ本当に。自分の病気は棚上げかよ」


「名前で呼んでください。後、私のは、ちょっとした焼きもちです」


「このすっとこどっこいが。毎日別の女子の名前を叫んでやろうか」


「その女の命が惜しかったらやめてください」


「……はい」


「光斗」


「なんだよ」


「名前」


「…………千博」


 その妖艶さに惹かれてしまっているせいか、彼女の頼みごとはどうにも断れない。


 千博の体と、甘い香りが俺を包みこむ。


「もうなにも怖がることはない。光斗はこれから先ずっと私と一緒なのだから」


 結局、俺もペット宣言した奴らと同じなのかもしれない。


 将来の不安なんかを全て、千博に任せて仕舞えばいいと思ってしまっている。そして、千博もそれを望んでいる。俺がここに留まり続ける限り。


 監禁生活も悪いものではないのかもしれない。

















「頼むやっぱり家の鍵の確認だけさせてくれ。頼む」


「ダメです」

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