第2話 スズランの花束
私の名前は「鈴蘭」と書いて「りら」と読む。スズランの花言葉にちなんで「幸せが訪れるように」と親が付けてくれた名前だ。由来も「りら」という響きも気に入っている。しかし初見で読みを当てられる人は今まで出会ったことがない。
スズランの花言葉には「純粋、純潔」というものもある。りらは純粋そう、なんて言われることが多いけど、私だって人並みにそういうことには興味はある。言わないだけ。言えないだけ。女子が集まって男子の腹筋について話してる中、女子の体の曲線に惹かれるだなんて言えないでしょう。
昨日の夜にSNSをチェックしなかったことを思い出し、アプリを開くと「18months」と書かれた隼人くんの投稿が出てきた。へぇ、隼人くん恋人いたんだ。
……あ、そういうこと?
私は長い髪をショートカットにした葉月ちゃんに目を向ける。
二年連続同じクラスの葉月ちゃん。ちゃんと話したことはないけれど、密かに気になっている。
多分葉月ちゃんは隼人くんのことが好きなんだろうなと思う。
私は知っているから。
一年生の時、葉月ちゃんがいつも隼人くんのことを見ていたことを。
昼休みの女子更衣室や体育の授業中の体育館などの女子だけの空間では恋バナが生まれることが多い。
「そういえば、葉月ちゃんが髪切ったのって失恋したからなのかな?」
体育館の壁にもたれかかって、バドミントンのラケットをくるくると回しながらユミが言った。
「あれじゃない?『18months』」
あれは驚きだったわ、と美波が言った。
私は葉月ちゃんを探す。
見つけた。
長い髪も可愛かったけれどショートカットも良く似合っている。
葉月ちゃんは私みたいにサボって壁際で友達と話すなんてことはせずに、ラケットを握りしめてシャトルを追いかけている。真剣な眼差しがかっこいい。
そういうところが、好き。
葉月ちゃんに見とれていると、
「りらは好きな人いないの?」
と美波が聞いてきた。
「いないよ」
台本に書かれた台詞を読むように私は言った。
好きな人を異性に置き換えて話すなんて器用なことは私にはできない。
ぼーっとしていると、話題が変わっていた。
そういえば、男バスの副部長と女マネ付き合ってるらしいよ! この前部活終わった後体育館裏でキスしてたって噂聞いた! えー、やば。部内恋愛禁止じゃなかったっけ? いや、そうなんだよ。てかこの前家行ったらしい。まじ? それは絶対ヤってるって。だよねだよね。私も彼氏ほしいなーっ。
そういう話の時、私はいつも黙り込む。
自分に話をふられたら困るのは容易に想像できるから、そういう話に興味がないふりをする。
「りらって『そういう話』の時いつも黙り込むよね」
どきん、と嫌な感覚が体に走る。
そして私と恋バナをした友達はみんな口を揃えて言うのだ。
「りらは純粋だね」
他の人を愛せたら楽だろうか。
誰でもいいから愛し愛されたい。
もう、自分を偽るのは疲れた。
私は帰りの電車でSNSを眺めた。「すず」という名前のアカウントで、見る専用のアカウントだ。誰とも繋がらずに、投稿もせず、他の人の投稿にグッドマークも付けない。
「誰でもいいから女の子に愛し愛されたい」
なぜか私は検索欄にそう打ち込んでいた。こんな検索ヒットするわけない、と思いながらも検索ボタンを押すと、なんと一つだけ投稿が出てきた。プロフィールを見ると、「あんず」という名前の、私と同じ17歳の女の子のようだった。自己紹介文の欄には「sjk 不健全目的で会える女の子募集中」と書かれている。「sjk」は高校二年生を表す略語だ。アイコンは顔が写らない角度で撮られた横顔。……不健全目的、って、そういうことだよね。いつもの私だったら警戒するはずだが、私は気が付けばフォローをしていた。するとすぐにフォローが返ってきてDMが送られてきた。
「フォローありがとうございます!住みはどこですか?」
出会ってすぐ個人情報を聞く人は警戒しましょう。この前の「スマホトラブル防止教室」という講演の内容を思い出した。しかし私は好奇心が勝ってべらべら個人情報を話していた。すると、あんずさんと住みが近いことが判明した。
「突然ですが、明日土曜日だし会いません?」
会う、って。
そういうこと、だよね。
相手は女子高生を偽ったおじさんかもしれないし、犯罪に巻き込まれるかもしれない。しかし私はそんなことまで頭は回らなかった上に、怖いという感情は全くなかった。
本当の自分を確かめたい。これが良い方法なのかは分からない。分からないから試したい。
私はあんずさんのメッセージに返信した。
「会いたいです」
最寄り駅で降りずにいつもと違う駅で降り、初めて一人で下着屋に入った。張り切りすぎだろうか。店の中に入った瞬間、目の前にキラキラとした眩しい光景が広がった。いつもは何の装飾もないカップ付きキャミソールだから、煌びやかなレースで装飾されたブラジャーとショーツが眩しく見える。眩しい光景にくらくらしていると、
「いらっしゃいませ。ご試着もできますよ」
と大人の女性な雰囲気を醸し出した店員のお姉さんが、制服姿の私に声をかけてきた。場違いなのではないかと感じたが、店員さんは私を一人の客として接してくれた。「大人の女性」が身に付けるものだと思っていたものを自分が身に付けてもおかしくない年齢になったのか。
「あ、あの、おすすめはありますか」
下着におすすめなんてあるのかも分からないが、私は何も分からないのでこう聞くしかなかった。するとお姉さんが私の緊張を察したのか、さっきよりも柔らかい笑顔で言った。
「まず採寸しましょうか」
チリチリ、とメジャーを伸ばす音が耳に届く。
測り終わり、しゅるしゅるしゅる、とメジャーを戻すと、お姉さんが小さなメモ用紙に私のサイズを書いてくれた。
「お客様のサイズですと、あちらのコーナーですね。同じサイズでも品番によって大きさや形が微妙に違ってくるので、必ず試着するようにしてくださいね」
何かあったら何でもお聞きください、とお姉さんはレジの方へ行ってしまった。
お姉さんに教えてもらったコーナーに行き、「人気NO.1」とシールが貼られた、白地に水色のレースが施されたブラジャーを手に取った。ちょっと派手すぎるかな、と眺めていると、さっきとは別のお姉さんが私に声をかけてきた。
「ピュアな感じで可愛いですよね」
盛り盛りの厚手のパッドが入っていてレースがたっぷりなのに、この店では「ピュア」と表現されるのか。大人の世界ではこれがピュアなのか。私はよく分からなくなった。
「ご試着もできますよ」
お姉さんがにこにこと話しかけてきたが、私は試着するのがなんだか恥ずかしくて、大丈夫です、と言ってさっきのお姉さんのいるレジに向かった。
「ありがとうございましたー」
自動ドアが閉まる。
買ってしまった……! 店名が書かれた紙袋を持つのはなんだか恥ずかしかったが、それ以上に大人になれた気がして誇らしかった。家に帰ると、買った下着を家族に見られないように、紙袋ごと自分の部屋のクローゼットの中に隠した。
土曜日の朝がやって来た。昨日下着を試着しなかったことを後悔した。まだホックを留めてないけれど身体に合わないことが分かる。ホックを留めてカップに胸を収めると厚手のパッドで胸が強調されるのが分かった。正直に言うと、苦しい。血が止まるくらい苦しくはないけれど、これを毎日着けたいとは思えない。まぁ、今日だけなのだから、と私は服に着替えた。
待ち合わせ場所に着くと、あんずさんからメッセージが送られてきた。
「すずちゃんどこにいますか? 私は髪下ろしててブラウンのロングコート着てます!」
私がきょろきょろ辺りを見回していると、髪を下ろしてブラウンのロングコートを着ている女性が近付いてきた。
「すずちゃん、ですか?」
「そうです! あんずさん……ですか?」
「そうです! え、すずちゃんめっちゃ可愛い〜。あ、さん付けしなくていいですよ! ぜひタメで話しましょ!」
「じゃあ……あんずちゃんって呼ぶね!」
「うん! すずちゃんよろしくね」
あんずちゃんは良い意味でイメージと違った。ネットでセフレを募集するくらいだから、もっとチャラい見た目なのかと思っていたが、どこにでもいるような女子高生だった。
どうして私をフォローしたの? 急に誘っちゃってごめんね、なんて会話をしながら駅前を歩く。私は何も分からないから、とりあえずあんずちゃんについていく。あんずちゃんは私に触れてこない。手を繋いでくることもないし、心の内に踏み込んでくることもない。初のDMで住みを聞いてくるような人なのに、学校名や本名を聞いてくることはなかった。
本当に今から「する」のだろうか。私は勇気を出して「そういう」話題を出してみることにした。
「高校生でラブホって入れるの?」
「んー、本当はダメだけど、入れることには入れる。今までの経験からすると、自動精算機のホテルだったら私服で入ればバレない」
今までの経験。
そうか、私にとってあんずちゃんは初めての相手だけど、あんずちゃんにとって私は数多くの経験の中の一人なんだ。
あーあ。
私は今日で「喪失」するんだ。
卒業、なんて誇らしい勲章のようなものじゃなくて、喪失。
私の青春、こんなはずじゃなかった。
急に、寂しさとも悲しさとも悔しさとも言い表せないよく分からない感情が込み上げてきて涙が出てきた。
「泣いてるの?」
「泣いてない」
「涙出てるじゃん」
「涙じゃない」
涙で滲んでどこを歩いているか分からない。
分からないから、あんずちゃんについていく。
もう、自分がどうなっても構わない。
「着いたよ」
涙を拭い、顔を上げると、そこはラブホテルではなく、お洒落なカフェだった。
「アイス食べよ」
あんずちゃんが微笑んだ。
カップに入ったソフトクリームを一口食べると、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。何も話さなくても、あんずちゃんは、うん、うん、とただ頷いてくれた。
「なんかごめん、急に泣いちゃって」
鼻をすすりながら、溶けたソフトクリームをスプーンですくって口に入れると、あんずちゃんがカフェに入ってから初めて口を開いた。
「初めては大切にした方がいいよ」
「え……?」
それだけ言うと、あんずちゃんは窓の外を眺めた。
「あんずちゃんの初めては……」
私が聞こうとすると、
「思い出したくない。上書きして消そうと思ってるけど、消えない」
とあんずちゃんの顔が少し曇った。
私はこれ以上何も聞けなかった。
アイスを食べ終わると、私たちはカフェを出て駅に向かった。
私はあんずちゃん、と声をかけた。
「その、自分みたいに同性が好きな人に今まで出会ったことがなかったから嬉しかった」
すると、あんずちゃんが言った。
「いると思うよ。言わないだけで私たちみたいな人は世界にいっぱいいるって。たとえば、すずちゃんがSNSフォローしてる友達の中にも何人かいると思う」
「そうかなあ」
「そうだよ」
私は「18months」の投稿を思い出した。相手が彼女だって決めつけていたのは自分の偏見だ。隼人くんの恋人の性別は分からないけれど、きっとこうやって自分の偏見で決めつけて、他人を判断してしまっているんだろうな。
しばらく歩いていると花屋を見つけた。カフェに向かう時は泣いていたため、花屋があることに気付けなかった。
「花屋寄って行ってもいい?」
とあんずちゃんに聞くと、
「もちろん」
とあんずちゃんは優しく笑った。
花屋に入ると、スズランを見つけた。ポップに「鈴蘭」と漢字で書かれていて、その下には説明が書かれていた。
可愛い、とスズランを眺めるあんずちゃんに、あのね、と声をかけた。
「これ、私の名前。本名」
私はポップを指差した。
「なんて読むと思う?」
するとあんずちゃんは、しばらく考えた後、口を開いた。
「りら」
私は驚きでしばらく固まってしまった。
「なんで分かったの?」
「当たってた? なんとなくそう思った。『りら』って感じの顔をしてた」
「なにそれ」
私たちは笑いあった。そして、スズランの花束を買って花屋を後にした。
あんずちゃんは駅の改札まで送ってくれた。
「じゃあね」
と手を振った後、多分もう会うことはないんだろうな、と思った。
また会おうね、とはお互い言わなかった。結局最後まで学校名は教えあわなかったし、あんずちゃんの本名も聞かなかった。
家に帰ってクローゼットを開けると下着屋の紙袋が目に入った。コートをハンガーにかけると、私はベッドに倒れ込んだ。
サイズの合わないブラジャーが苦しい。ホックを外すと、苦しさから解放された。
「ばいばい」
私はSNSのアカウントを消すと、洗面所に向かった。水道から水を出し、瓶に水を入れる。そしてスズランを入れて部屋に置いた。
スズランはソフトクリームのような白色をしていた。
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