悪魔が囁く塞翁が馬

 「よし、もうやるしかない」

 

 大学共通入学試験の朝、受験生たちが入場している。一人で大学構内のベンチに座って周囲を警戒している少年が意を決してつぶやいた。

 だが彼は高校2年生で受験をしない。ここにいるのは以前からの計画を実行しようとするためだ。

 僕は彼のすぐ近くに立っているので小さな声でもよく聞こえる。


 彼は物心ついたときから試験を受けてきた。

 受験は幼稚園と小学校、中学は高校までの一貫校なので計3回。その他に習い事の水泳、ピアノ、柔道の昇級。中学生活では一定以上の成績以下だと別の高校へと促されるので、毎回の定期試験は受験並みのプレッシャーがかかっていた。

 無事に系列高校に進学しても大変だ。大本命の大学受験に向かって毎週の模試が続く。

 学校内はもちろん塾での試験を含めると年間100回以上は受けている。

 何故彼はそこまでしているのか。

 それは彼の両親が望んでいるからだ。

 両親はバブル崩壊後の失われた世代と言われる就職氷河期を経験している。

 特に父親は公務員試験を何度も受けてどうにかなった男。母親とは同じ職場で知り合った。

 一般企業への就職活動をしなかったわけではなかった。

 しかし先輩の話だと、バブル崩壊しているのに営業目標は下がるどころか上がる、新入社員は前年の一割しか採用しない人材不足、給与は据え置きなうえに福利厚生は無くなったという。

 ダメ押しは時間外のサービス残業が200時間を超えているという。

 バブル前も似たような勤務で成果に比例して給与も多かったが、今は働けど結果は残らない。

 無駄な時間を過ごしていると気づいているが、定時で帰るなどということはできない空気がある。

 その点公務員なら残業代はしっかり出る。役職付きのベテランより多くなることもあるようだ。

 実際に公務員となったが所属課の移動や勤務地の変更、上位下達の先例。資格試験に向けての勉強は不可欠。

 残業は想像していたよりも過酷だった。終電に間に合うのはまだいいほうで、むしろ通勤時間を考えると仮眠をとって翌朝の始業を迎えたほうが良かった。

 家庭を持ち子供をもうけたが、今後の景気が良くなるとは考えられない。

 子供には苦しい仕事には就いてもらいたくないというのは当然だ。

 親が元気なうちに子供の才能を伸ばせる機会を与えたい。

 優れた人間に囲まれて育てばそれが当たり前となり自然に優秀な人間となってくれるだろうと考えた。最終的に国立大の医学部か法学部に入ってもらうことを願っている。


 そんな両親の期待を知ってか知らずか、彼は与えられたことを順調にこなしていった。

 しかし高校で伸び悩むことになる。いや相対的に順位が下がったのだ。

 点数は上がることはなかったが下がることもなかった。

 つまり壁にぶつかってしまった。

 思春期にはよく聞く話だ。スランプだったり他に興味が移るなどしてしまう結果ゆえだ。

 成長期には体が大きくなるだけでなく脳も心も成長する、誰でも漏れなく。

 幼い頃に延びなかったけど延びる時期だし、違う才能が伸びることもある。

 しかし中学から勉強だけだった彼にとっては衝撃だった。

 初めての挫折といっていい。

 だからといって相対的に低いが決して無能なわけじゃない。その辺の100人を集めてもベスト3には入るだろう。

 ただ彼と競っている連中は全国でもトップクラスなゆえに自分の本当の価値を知らなかったため今朝の行動になってしまった。

 そう彼は人生に絶望してここに居る。

 

 僕はそんな彼に声を掛けた。


 「何をやるんですか?」


 突然、しかも独り言をしたタイミングで掛けられた声に彼は驚いた。


 「な、何をって」


 彼は目の前にいる黒づくめのスーツ姿の僕に目を見開いた顔を向けた。


 「まあ、知ってはいるんですよ」


 「何を知っているんですか・・・」

 

 「君が無差別テロをしようとすることをね」


 「・・・・・・」


 彼はさらに驚いた顔をしたが声は出さなかった。


 「いやなにね、僕は期待しているんですよ。なにせ僕は悪魔ですから」


  彼は僕の告白に驚いたというよりも馬鹿にした顔をした。


 「もしかして信じていませんね。まあそうですよね、これまでも何度か自己紹介をしても最初はそんな感じがほとんですから。たまに信じる人がいれば僕のほうが驚くくらいです」


 僕は彼の隣に座り、暖かい缶コーヒーを彼に渡した。


 「信用してもしなくてもいいんですけど、まあ信用してもらうという前提で話を進めましょうか。

 ああ、それは僕のおごりですからご遠慮なく。

 僕は悪魔ですから死には敏感です、それも一気に大量の死があればなおさらです。

 だからちょっとしたアドバイスをしようと思いましてね、おせっかいですかね?」


 彼は「ああ、いや・・・・」と、うなずくわけでも拒否するわけでもない感じだ。


 「あなたもできればやりがいのあるテロをしたいでしょう。善人より悪人、貧乏より金持ちを狙ったほうがすっきりしますよ。

 そうですね、例えばあそこの学生。

 彼は医学部に入りますね、そして順調に医者になり稼ぎます。ただ未来は患者に逆恨みで殺されます。

 ああ、あそこに立っている学生も現役で入学しますね。親は金持ちなのでバイトをしなくてもいいので遊びまくり結果中退してフリーター。30代で詐欺で実刑を繰り返し最後は獄中死ですね。

 あの貧相な男子、彼は4浪で今回も落ちますね。そしてバイト先の飲食店が潰れるんですが、経営を引き継いで大成功をおさめますね。70代で癌になりますが90過ぎまで生きるかな。

 どうです、ターゲットは決まりましたか。もしあれなら、その都度瞬時に相手の情報を脳内に送りますよ。そうすれば躊躇なくできるでしょう」


 彼は黙って下を見ている。


 「最近は巻き添え自殺が流行っていますね。しかも善人ばかり犠牲になっている。

 僕は悪魔からなのか、悪人の魂を好んでいるんですよ。

 善人の魂は天使の領分ですから意味ないんで困っています。

 だから君には悪人か悪人予備軍をやってもらいたい。

 君はテロの後に自殺しても悪人をやれば善人として天国に行けますヨ。

 僕としては君の魂一つでより多くの魂が得られるので差し引きお得なんですよね」


 彼は話が終わって期待している僕の顔を確認すると立ち上がった。

 そして真っすぐ、そのまま門の外に出て帰ってしまった。


 「おーい、どうしたんだい。帰ってしまうのかい?・・・・」


 僕は彼が見えなくなるまで声をかけ続けた。


 「まあそうなるかな・・・」

 

 僕がつぶやくと目の前に白い全身スーツの男が現れた。

 そして僕に馴れ馴れしく話しかける。


 「よお、どうしたんだそんな恰好で。今日は非番じゃなかったじゃないのか。

 しかも今月は悪魔シフトじゃないだろうに」

 

 白スーツの男は不思議そうに言う。

 そう彼は天使だ。

 僕らは月替わりで天使と悪魔のシフトをしている。

 僕も今月は天使の仕事をしている。


 「ちょっとした実験をしてみたんだ。悪人の魂を多く得られれば来月の仕事が楽になるかなと思ってね。魂が地上に漂う時間を計算すれば今日に死んでくれればちょうど良かったからな。

 善人の魂でもまあ良かったけど、今月は少し働き過ぎたからこれ以上はね・・」


 「なるほどね、でも結局うまくいかなかったようだな」


 「そうだな、最近は感染症の影響で善人の魂ばかりで悪人の魂が少ないからどうしようかと考えたんだけどさ、そう簡単じゃなかったな」


 「ところで話しかけていたあの少年にはどんな人生を歩むか話したのかい」


 「いや、彼はそのまま善人として生きていくからな、苦労はしても見合った成功はする。

 ここでテロを起こしてもアドバイスで天国だったし。

 希望の進路には行けないが、かえってそれが一番の道ということに死ぬまでに気づくことだろうな。

 彼が死ぬときにタイミングが合って天使シフトならもう一度話してみますかね」


 せっかくの非番の日だったが、暇つぶしの遊びとしては良かった。

 今度は天使の姿で試してみようと思った。





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