第40話 回想記録
フェリー船上、本州行き——————————————
波に揺られながらも箸を動かす速度は一向に堕ちない啓介は的確に食い物を口に運ぶ。
一週間と二日前、これを初めて見た時は、それはもう仰天したが慣れたものだ。
むしろこれだけ個性がないと物足りないとさえ考えている。
こちらの認識がしやすい上に、もので釣れば使いやすいからな。
「両助は今、良くない事考えた?」
すごいな、こいつ。エスパーか。こちらの思考を読んだだと。
いやむしろ顔に出ていたのか?なら、見られるのはまずいのであしらおう。
「なんでもないわ。気にせず食べい」
「………両助?」
「……何でもないよ。お前はそれ食っとけ。ついでにこれもやるよ」
そう言って両助は啓介に買った饅頭を差し出して、その場を去る。
その思わぬ収穫に「おお、サンキュ」と喜ぶ啓介。
「両助!」
船内の指定席に戻ろうとした両助を、啓介は呼び止めた。
船の端に座り込み、こちらを見るその顔には一切の後悔も憂いもなかった。
「楽しかったな、今日は!」
「………ああ、そうだな」
この時、俺はどんな顔をしていたのだろうか。
でも、きっと………。
俺は今度こそ、間違いなく、相手を知れた気がした。
午後七時、帰宅路————————
本州に着いた俺達は、最後に打ち上げに行った。
両助ももちろん参加した。
平日であれば明日の起床を気にするところだが、今日は金曜日、明日は休みなのだ。
時間を気にせずに過ごせることのなんと気楽なことか。
両助は数時間の馬鹿騒ぎの後に帰宅した。
なぜか、打ち上げの席でおもむろに隣の席に座って来た伊藤天音が気になったが、何も話しかけてこないので偶然そこに座っただけだろう。
ん?何?気があるかも?ん~~…多分ないかも、だって無表情なんだもの。わかんない。
一頻り楽しんだ余韻に、まだ少し胸が躍っている。
それにちょっと子供だな、と思いながらも電車に揺られる両助。
疲れた体に、移り変わるが変わることのないいつもの景色、これがまた眠気を誘うのだ。
電車の駆動音と線路を走る音ですら子守歌のように思えてくる。
月明かりに照らされた街並みを見ながら、うたた寝しようとしたところで側方からの声に目を覚ます。
「影峰さん」
その声の主はロングヘアが特徴的な楠木薫だ。
彼女とは帰り道が同じだったので、こうして一緒に帰宅している。
解散直前に、「夜も遅いし、影峰君帰り道一緒では、送ってあげなよ。男だろ?」と佐伯に言われたので両助が同行することになった。
「どうしたの?」と聞くと彼女は口を開く。
「影峰さんっていつも乗ったままだから、自宅はかなり遠方ですよね?私も家が遠いのでわかります。大変ですよね」
一瞬それに反応できなかった。まさか彼女もこちらの存在に気付いていたとは。
両助は電車内で暇を持て余したので気付くことが出来た。しかし、彼女はいつも本を読んでいたはずだ。
「気づいてたんだ?」と聞いたら、「まあ、同じクラスの人ですから」と答えた。
「まあ、そうだね。時間も早いし、大変だよ。でも、楠木さんだって大変でしょ?女の子だから男の俺よりやることも多そうだ」
両助は特に身に気を使う必要はない。
しかし、女の子はそういったところに敏感だろう。
かくいう両助の妹も朝と寝る前は洗面台を一時間も独占している。
女兄弟がいるあたり、そういったところには理解があるのだ。
「はは、確かにそうですね……」
苦笑しながら言った楠木さん、あながち両助の言葉は間違っていなかったようだ。
少し場が乱れる。いけない。ナイーブな内容を言ったせい空気感が落ちてしまった。
そう感じた両助はすぐに話の主点を苦労話から尊敬に移した。
「でもそれを毎日するなんて正直楠木さんを尊敬するよ。もしも俺が女だったら初めの三日は真面目にするだろうけど、それ以降は放置だもん」
「い、いえ私なんか。……女の子は皆やっていますよ」
「何言ってるんだ、楠木さんもその女の子じゃないか。だったら楠木さんもすごいよ。すごいすごい」
「か、影峰さんは人を褒め過ぎです」
少し顔を赤らめた楠木さんに、離島と同じく畳みかけたい気持ちが湧いたが、一旦その気を静める。同じ失敗は二度も踏まないからな。ここいらが潮時だろ。
多分この子、普段から褒められることに慣れてないのかな。謙遜も大事だけど、もう少し自分を誇っても良いのですよ?
そんなお節介な考え方をしているうちに今度は彼女の方から話題が振られる。
「気になったんですけど、影峰さんのご自宅の最寄り駅は?」
いつも両助が電車に乗ったままだったからどこに住んでいるのか気になったのだろう。
両助は「○○駅だよ」と答えると、楠木は驚く。
へえ、結構な田舎だから名前を聞いてもイメージは湧かないと思ったが、知ってたんだ。
「すごく距離があるじゃないですか⁉」
「そうだね、だから部活もやってない」
楠木が降車してから両助は五つの駅を渡る。
都会民は「駅五つ?近くね?」と思うだろうが、田舎を舐めるなよ。
絶世の過疎地帯、駅間の距離は都心よりもかなり離れている。
駅同士の行き来を時間換算すると十五分は揺られ続ける。
十五×五=七十五分、つまり一時間と十五分は電車に揺られ続けることになる。
まあ、さすがに両助の場合は全ての駅間が十五分もかかるわけではないので、楠木が電車を降りてからは五十分ほど電車に揺られている。
まあ、(両助の通学時間を比較対象にするのは反則なので)彼女の通学時間も大概長いが。
と、そこで電車内にアナウンスが流れる。もうすぐ次の駅に着くようだ。
それを聞いた楠木は「あ」と声を漏らす。
どうやら自宅の最寄り駅が次の駅のようだ。
「ごめんなさい。もう着いちゃったみたい。残念です、もう少しお話したかったんですが…」
楠木は両助に名残惜しそうにそう言った。
相席する彼女の眉も、どことなく少し曲がっているように思えた。
なんだい、嬉しい事を言ってくれるじゃないか、楠木さん。
「そんなのこれからたくさんあるよ。なんなら明日にでも」
「ふふ、影峰さん、明日は土曜日ですよ」
そんな喜びを悟られることを気恥ずかしく思い、努めて冷静に対処した両助。
しかし、別のポカをしてしまった。今度はそれに対して恥ずかしくなり頬を掻く。
「では、これで」と楠木は立ち上がり、扉に向かう。
「影峰さん、また学校で」
途中でこちらに向き直り、彼女は両助に対して小さく手を振る。
なんでもない。もう一度会うために挨拶。それがこうも愛おしくなるなんて。
これが友達というものか。
「ああ、また学校で。風邪引いちゃダメだぞ?」
「ひ、引きません!」
そうして、少し怒りながらも今度こそ扉の前に向かった楠木。
彼女は扉が開くとそのまま降車して姿を消した。
一人になった。
だが、一人ではない。
そんな相反する感情を胸に秘めながら、本日のことを夢想する。
帰る場所がある。それだけでこんなにも心の安寧が得られるとは。
……言っておくが、家の話じゃないぞ?友達の話だ。
初日の帰宅ではどうなるものかと思ったが、なんとかなったみたいだ。
(やっぱ、啓介君はすごいねえ~)
奴には結構救われている。
あいつがいなければ俺の高校生活はどうなっていたことやら、思えば会話のきっかけもあいつだった。
あいつは進藤には勝てないと言っていたが、正直負けてはいないと思う。
顔の話じゃないぞ?コミュニケーションの話な。顔は完全に進藤に負けている。
(淳也もまあ、心配ないよなあ~)
あいつは啓介と違い、表立ってとっつきやすい個性はない。むしろ巨漢が良くない悪印象を生じさせる部類だ。
だがあいつはおそらくじわじわと好感を持たせるタイプ、スロースターターだ。
たとえ、その不利があろうとも、にじみ出る思いやりが障壁を消し去るだろう。
(あれ?本当に俺いらなくない?ていうか俺お荷物では?)
彼らに対する認識がその結論へと至らせる。
彼らせっかく青春の一時を与えたのに、それを邪魔しては本末転倒ではないか。
本当であれば、区切りのいいところでフェードアウトすべきだったのだ。
「………」
それを口にするのは躊躇われる。
言ってはならない。
認識してはならない。
事実として浮上させてはならない。
戻れなくなる。だって、そう決めたではないか。
なのに……。
“『今日は楽しかったな!』”
その一言が脳裏に浮上する。
記憶が、とめどなく彼を引き留める。
そうだ、俺は……。
「……ああ、楽しかったんだ」
だから、離れられない。
愚かにも未だにそこに残ってしまっている。
だが、なぜだろう?
これは決して間違いではないように思える。
そうして楠木と別れた両助はまだ半分以上も残る帰り道を進む。
唯一の暇つぶしである外の景色を楽しむは、夜も回ってしまっているせいで出来なくなってしまっている。
うつらうつらと眠りに堕ちそうになりながらも、両助は思考を回す。
「あーあ、病みそ……」
入学式と同じことを考えた両助。
彼はこれからおこるであろうことを考えて、そう呟いた。
しかし、その声音にはこれまでの落胆と絶望の色は見られない。むしろそれとは真逆の感情を孕んでいるように思えた。
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