第22話 運命も神も死んだ。
土俵中央、分厚く重たい恰好をした行司が、「はっけよい」と準備を促す。
力士同士は両手を地に付け、始まりの合図を待つ。
ゲーム内の会場が静寂に包まれる。
互いの視線がぶつかる。交差するそれは行司の持つ軍配を粉微塵にしてしまうのではないかというほど鋭かった。
背景で流れるBGMも壮大だ。こちらとあちら、両雄の気分を高まらせ、勝負の開始を今か今かと待ち受けさせる。
そうして音楽の音調がサビに、つまり頂点に達した時と、行司が「のこった!」と軍配を上がるのは同時だった。
そして勝者を告げる宣言も。
『2P WIN』
画面にはそうデカデカと表記されていた。
玲さんは「は?」と間抜けな声を出す。
敗因は投げだった。それも普通の投げではない。
啓介達の力士は、俺達の力士を映画「マトリックス」のアンダーソンのように、またスケートのイナバウアーのように、張り手をしてきた腕を掴み背面を反らせながら投げたのだ。
両助はここで理解した。これがクソゲーではなくバカゲーであることを。
その事実に玲さんは動揺を隠せなかった。あまりの受け入れ難さから声を荒げる。
「こ、こんなバカなことがあってたまるか!」
その通りだよ玲さん、これはバカゲーなんだ。
これはむしろ本気になるユーザーの方が悪いっていう部類のゲームなんだ。
だがそんなこと玲さんには関係が無かった。彼女が重要視しているの勝敗なのだ。
「もう一回!もう一回だ!」
ああ、負けず嫌いな玲さんも可愛いな。
両助は傍らからそんなことを考えながらゲームの結末を見る。
しかし結果は同じだ。何度やろうとも奇怪な動きで啓介達の力士が勝利する。
「あ、ありえない」
「もう、めんどくさいから次で最後にするよ」
そう言って最後の試合が、啓介がスタートボタンを押したことによって始まる。
その時、玲が両助の裾を掴む。
「両助~、僕達の力士が~…」
(ああ、ダメ……抱きしめてあげたい)
涙目で顔を歪めた玲は両助に悔しさを露わにする。
両助は包んであげたい欲に囚われたが、ギリギリのところで我慢して試合の経緯を見守るように促す。
「と、とりあえずこの試合の結果を見よう。もしかしたら勝てるかも」
「絶対無理だよ~。今のとこ全部変な負け方してるもん~」
まあ、彼女の言う通り実際そうであるので何とも言えなかった。
もう玲さんは意気消沈していた。彼女に向かって「大丈夫だから」と励まして画面に目を向ける。
まあ、確かに落ち込むよね。頑張って育てたキャラが膝カックンや首トンでやられたら…。
そうしてこれまでと同じく行司が試合の開始を告げる。
だが、軌跡か偶然か、今回はこれまでとは様子が違った。
開始の合図と同時に玲さんと育てた力士が覚醒した。
ムービーが流れる。画面中央で俺たちの力士が躍動し、体に炎を纏わせた。
背景では専用BGMが流れているではないか、SEも通常のモノとは違う。先程よりもこちらの胸の内を揺らす重たいビートだ。
「おお、凄いよ、玲さん。勝てる勝てる」
「ほ、本当?」
玲さんは両助の腕を強く握りしめながら、ゆっくりと画面をのぞき込む。
画面では俺達の力士が対戦相手に向かって猛撃していた。
その様子に彼女は少し息を吹き返す。彼女も画面の中で汗水を垂らし、雄叫びを上げながら戦う力士に感化されたのだ。
そうして啓介達の力士が土俵際に追い込まれた。後は押すだけ。
俺達の力士は振り絞った右腕を突き出す。
変なおっさんに怪我をさせられようが、相撲部屋がちゃんこ鍋の不始末で炎上して精神をやられようが、海馬に電極を刺されて脳に障害を起こそうが、宇宙人に攫われて三半規管がずれようが、自身の体重に押し負けて脊髄を故障しようが、ずっと打ち続けた張り手だ。それには並々ならぬ思いが込められている。
その右手から湧き上がる炎は血と汗と努力の証。そう彼はその全てを宿敵へとぶつけたのだ。
皆も傍から見ていて状況を察しているのだろう。いつの間にかギャラリーが集まってきていた。
そうして力士は全力の張り手を繰り出した。
衝撃がゲーム内の会場に響き渡る。空気裂く乾いた音。それは相手に直撃した。
衝撃は相手力士の胸から背中にかけて駆け巡ったことだろう。
そう、当たっていれば、だ。……現実は非常だ。
その右手は啓介達の力士に当たることはなかった。
その力士の正面に透明な障壁は発生したのっだ。
そして、今度はこちらの番だとでも言うように背景のBGMが変化した。
(ん?流れ変わったな)
啓介達の力士の口角が上がり、俺達の力士の表情は絶望の色に変わる。
次の瞬間、ニヤ付いた力士は世界を凍らせた。
そう形容するしかない。まるで時でも止めたかのように彼の周囲の人間達が動きを止めたのだ。
「え?」
もちろん玲さんは困惑する。「さっきまで勝つ流れだったじゃん…」と瞳が潤みだす。両助はその顔を直視することが出来なかった。瞳を伏せて首を左右に振ってみせる。
時を止めた力士はゆっくりと土俵際から、炎の力士の後方へと回り込み、その肩に握りこぶしをぽんと当てた。
別段不思議なことをやったようには思えない。だってそうだろう?
なんの攻撃を行わずに、拳をぶつけただけなのだ。
だが、それを見た啓介は全てを察して、悟り声を出した。
「終わったな」
自分の力士は攻撃を終えた。これにて終了と、結果を見る前に理解した。
そうして力士は土俵中央へと歩み、中央を超え、反対側の土俵際へ。
「え?何もしてな——————」
ドカーンッ!
玲さんの言葉と啓介達の力士が土俵際から足を持ち上げる、両助達の力士が爆発四散するのは全くの同時だった。
「なんでだあああああああぁぁぁッ!」
「………」
玲さんが教室の床に両手両膝をつき、悔しさから叫ぶ。
今度こそ勝ちを確信した、だが届かな——————届かなかったのか?あれは?何か別の要因な気もするが。
まあ、よく考えればあんな仕打ちをしたのだからしっぺ返しが来ても文句が言えないが。
「おーい、皆―。健康診断の時間だぞ…って何やってるの?集まって」
「………」
そこで沢野先生が教室に現れた。一時間前にも言った通り、八組の面々を呼びに来たのだ。
両助の席の周りに集まっていたギャラリーが散る。正直彼らがいて幸運だった。
でなければ、スマホで遊んでいることがバレバレだっただろう。
彼らが消える前に啓介は自身のスマホと玲のスマホを懐に回収する。
「よーし、皆終わったら教室で待機だから。よろしく~」
「………」
そう言って、沢野先生は自身の業務にまた戻る。
年始めならぬ学年始め、やることは多いのだろう。
その退場を合図に全員が動き出す。
各々着替えを以って校舎一階にある更衣室を目指す。
そこで床で落ち込んでいた人物は立ち直ったのか、気持ちを入れ替えたのか、立ち上がり、健康診断に向かう。
「もう僕、二度とやらないこんなクソゲー…啓介、一緒に行こう~」
「……ああ、ちょっと先に行っといて」
「?分かった。先行ってるよ」
「………」
教室から先程までの喧騒が消える。
「………」
ここには誰もいない。皆、目的のため出ていったからだ。そうここは無人なのだ。
「………」
両助と啓介を抜いてなら。
「まあ……なんだ」
教室の隅、両隣の窓際の席で二人揃って壁に背をもたれる。
初めに声を出したのは啓介だった。
彼は鈍重な空気の中で重たい口を開いた。
両助はその時、一番よくコイツの声を聴いたかもしれない。
喧騒が離れるのを無心で聞く、声が遠くなることに、集団から離れることにこれほど感謝したことはない。
でもその楽し気な雰囲気の裏で、自身はこんなにも沈んだ気持ちになるのは、どうにも悔しかった。
これなら安心だ、と遠のく声でそう判断した両助は、動き出した。
「ちなみに玲君が心は男で体が女のかの——」
「ないな」
その希望は即座に打ち砕かれた。そうして啓介はこちらに声をぶつける。
「ちなみにいつ気付いた?」
啓介が両助に問いかける。無論何のことかなど聞くまでもない。
彼はしかとその目でそれを捕えている。幻と思いたかったが、何度見返しても現実は目の前にあった。
床に手をつく高校生活の初恋の人、その人の履き物に。
そうして両助は啓介に応えた。
「玲君が床に手をついた時」
「え?wwww何お前wwwww目の端でも捕えられないとかwww天井でも見てたのwww」
啓介は両助の回答に爆笑したのであった。
それにカチンときた両助は啓介に食って掛かる。
「ふざけんじゃねえ!わかってたなら初めから言えよ!」
「最初の反応見た時からだろうと思ったよ。……で、こっちが重要なんだけど。俺も自分の身が心配だからな…お前そっちになることある?」
その質問に胸倉を掴み、揺らしていた腕を止め、顔から即座に熱が消えた。
だが迷いはない。これはすぐに答えられる。
「あったらこんなに落ち込んでねえよ!」
両助の宣言に啓介は訝しむ。
その反応に、なぜか胸の中がもやもやした。
恥部の公開、疑惑への怒り、友情への亀裂の不安、友から向けられる冷たい感情、それらが
ごちゃ混ぜになり、どうにかなってしまいそうだった。
そうして啓介はこちらから決して視線を外さず、再度問いかける。
「俺もこれからの身の振舞い方を考えなきゃならん。もう一度言うぞ、心配ないな?」
それは刃物で切られたかのように痛かった。
その答えを考えるが、思考がまとまらない。両助は今確実に取り乱していた。
「…正直分からない」
今掴んでいる啓介の胸倉はまるでバラを触っているかのように、痛い。
「でも、気持ちが揺らいだのは玲だけだ。でもそれもあいつが男だってわかってから失せてる。もちろん他やお前にそんな感情は湧かない」
「………」
啓介はこちらを見下ろす。その目は友に向けるものではなかった。明確な敵に対して向ける視線だ。
それを見て、両助はこいつが格闘技を嗜む者だと再認識する。
そうして裁定は下った。
「…まあ、下手にないって言われるよりかはマシか。とりあえずは信じるよ」
その言葉に体にのしかかった重圧から解放される。
心胆冷めやらぬ思いだった。もう二度と御免だ。
だが、啓介の胸倉から手を離した両助はその現実を受け入れ難くいた。
「え?嘘?マジで?俺の高校生活の初恋、男だったうえにたった一時間で終わったの?」
「それが現実だ。受け入れろ」
「……なあ、お願いだから誰にも言わないでくれよ」
その懇願に啓介は少々考え込む。え?ちょっと待って、凄い嫌な予感がするんだけど。
「食堂メニュー、特盛項目、グランド焼き肉白米特盛定食」
「はあ⁉」
直後、とんでもないことを口に出しやがったのである。
啓介が口に出したものは、食堂の中でも金額が最上で量も特大のモノだ。
正直、高校生の財布に甚大な被害を与える金額だ。
なのでそれが買われる機会は今だ見たことが無い。
なんでそんなこと知ってるかって?いや、さすがにあの金額があったら目を惹かれるじゃん。昨日見た時は、それはもうびっくりした。
だからそれだけは避けなければならない。あんな高額なヤツ、一日の食事に払うなんて馬鹿らし過ぎる。
「無理だって!他のヤツにしろよ!」
「じゃあ、仕方がない。玲にチクるか。まあ俺が言わなくても、最後まで気づけなかったお前だとばれるのも時間の問題だと思うけどな!」
「んだとコラァッ!」
「あん?やんのか?俺は柔道部だぞッ!」
「上等だコラッ!何が柔道だ。殴り合いもしたことねえくせに」
「あッ!手を出したなッ!お前はそういう男だったんだなッ!」
「うるせぇッ!さっきから変な構文ばっかり使いやがって、舐めてんのかッ!」
そうして揉みくちゃになった彼らはその後、傷だらけになりながら保健委員の前に出て彼らを困惑させたのであった。
目前で啓介と交戦しながら、今の出来事を思い返す。改めて悲しくなってきた。
(あーあ、病みそ……ひん…)
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