第44話 児童館ボランティアコンサート

 1年以上のブランクを空けたピアノの演奏に徐々に慣れていく。

 新しい2年1組という居場所にも慣れていく。

 2年生となって、国公立進学クラスとなったことで加速しつつある授業、増える小テスト、そして増える宿題にも慣れていく。


 ……慣れないのは、ひなのさんのハンドマッサージだけだ。



 この学園に入学して最初の新生活のときよりは、変わり映えはしないけれども。それでも1年生から2年生に上がったことで生じた『変化』というものはあった。……まあ学年がどうこうというよりも、クラス替えという環境変化に起因するものが多いけど。


 しかしそうした変化に順応しきる前に、それをリセットするモノがやってくる。


 それは、ゴールデンウィークだ。



 そして私にとっては。これからはこの連休には、ひなのさんの誕生日を含む1週間としての意味が追加される。それは、きっと……永遠に。


 今年はそんな初回なので、準備は入念に行って――当日を迎えることとなる。




 *


 ひなのさんの誕生日前日の夜、日付が超えた瞬間にお祝いのメッセージを送ろうかな、と考えたが、しかし翌日に演奏を控えた身での夜更かしはどう考えても賢明ではない。だから夜の間に文面だけ考えてメモ帳に貼り付けておく。こうすることで、朝起きた瞬間に迷いなくひなのさんにメッセージを送れるという算段だ。


 そして翌朝は7時ちょっと過ぎに起きて、すぐさまひなのさんにメッセージを送ると即座に既読がつく。そして2分経たない間に返信とスタンプが来る。……速いな。

 多分、朝から友達への返信祭りをやっていたのだろうと思っていると、さらにひなのさんからメッセージが来て『今すぐ明菜の部屋に行っていい?』という文言が。


「ちょ……ちょっと!」


 思わず声が零れるが、ノーメイクどころかまだ顔も洗っていないし、髪もぼさぼさ、しかも寝間着のまま。拒めはしないが、だけどこの状態で自身の恋人と会うのか、と思って、取り敢えず寝るとき用のシュシュは外して急いで準備をしようとしたら、私がメッセージに既読をつけたのを確認したからか、もう部屋の扉にノックがされる。


「明菜ー、起きてるー?」


 こうなると、もうすべてが手遅れなので、諦めて扉を開けてひなのさんを招き入れるしかなかった。


「……もしかして、扉の前で待ってた?」


「まーねー。

 ……お、明菜はやっぱり起き立てかー。かわいいね?」


 そういうひなのさんは既に完璧に朝の準備を終えていた。朝の得意さに差がある私たちの間で、これは不公平だなあ……。

 ひなのさんは手櫛で、私の髪をいじりながら寝ぐせを触ってくる。


 なんか、もうされるがままって感じだが、ひなのさんがこんな朝から私のところに訪ねてきた理由には察しがついていた。


「……ひなのさん、お誕生日おめでとう。

 今日、面と向かって初めて口にしたのは、多分私になるのかなこれで」


「やっぱ、明菜はちゃんと私のこと分かってるなー。

 うむ! ありがとねっ!」


 一番初めに口頭で私からお祝いの言葉を言われたかっただけなんだろうな、って。



 予想はしていたことではあったが、制服に着替えてひなのさんと一緒に朝食を食べに食堂へと行くと、結構な人数の人たちからひなのさんは祝われていた。中には、今日どうするかを知っている相手も居て『誕生日なのにボランティアとか良い子ちゃんかよー』みたいな感じで揶揄われていたり。


 その反応は同時に、これから行く児童館での一件が私の誕生日プレゼントだと発覚していないということで。帰宅部2人という暇人が戯れでボランティアをするとか、先生から言われて云々みたいな理解をされているらしいことが分かった。



「ひなのさん、朝の時間だけで結構誕生日プレゼント貰ったね」


「まーねー」


 ひなのさんはいくつかの包み袋を持って一旦、自身の部屋へと戻っていった。友達という間柄でも、これだけ貰うと羨ましいとか嫉妬以前に、普通に大変そうという気持ちのが先行してしまう。複数人連名で、ちょっと高価なものというパターンもあったので、プレゼントの個数以上の人数から貰っているわけで。



 しかし、10分程度もしない内に、ひなのさんは再び私の部屋にやってきた。


「……もしかして。可能な限り今日は私と一緒に居るつもりだったり?」


「児童館行くまでね。だって、今日は飾城せんせーも一緒なんでしょ?」


 昼前くらいに出発して、児童館でお昼を食べながら説明を受ける感じみたい。ボランティアなので報酬は無いのだけれども、このお昼ご飯が形としての感謝の気持ちでもあるようだ。


「……ひなのさん。手……つなぐ?」


「もち!」


 お互いもう既に準備は終わって制服に着替えている。しかしまだまだ先生から提示された集合時間には数時間くらいの余裕があった。

 その間、特段何をするわけでもなく、ひなのさんと手を繋ぐと彼女は銀色の髪を私の肩にかかるようにもたれかかってきた。


「……もっとゆっくりできる誕生日の方が良かった?」


「ううん。これはこれで面白そうだし!

 ……だからこそ、今はちょっとだけ明菜との時間を過ごしたいかも」


 ……どうやら。

 いろいろと目まぐるしい誕生日にしたからこそ、午前の空き時間は私と一緒に恋人としての時間を過ごしたいようだ。




 *


「あ。どうせだし、今のうちに渡しておこうかな」


「おっ! 明菜からも誕生日プレゼント貰えるのかなっ!? わくわくだねっ!」


「恋人なんだからあげないわけないでしょ……、ちょっと待ってね」


 私はそう言うと棚に入れて隠しておいたラッピングされた袋を取り出し手渡す。袋は結構小さめで片手で持てるくらいのサイズ感だ。ゴールデンウィークの初めのころに買いに行った。


「――はい。ひなのさん、どーぞ?」


「わぁっ! ありがとっ! ……絶対貰えるって分かっていたけど、それでもすっごい嬉しいな……」


「……別に私、難聴とかじゃないから、その呟き全部聞こえているけど」


「明菜に聞いてもらうために呟いたんですー。……開けても良い?」


「はいはい。開けな、開けな」


 ひなのさんは『とりゃー!』と威勢の良い口ぶりからは想像できないくらいに丁寧にラッピングのテープを外す。そして中から出てきたのは――。


「……口紅?」


「――って、思うじゃん?」


 直方体の箱には口紅のような絵が描かれていて、実際に中身もその絵の通りのものが入っている。見た目だけなら確かにどこからどう見てもコスメアイテムだが。

 そんな口紅の裏には不自然なUSBの差込口がある。


 ひなのさんは、結構頭を悩ませた後に、ふと気が付いたように、私の部屋のコンセント周辺にあったスマートフォンの充電ケーブルを手に取り、こう言った。


「……もしかして、充電器なのこれ?」


「正解……刺してみて」


「……うわぁっ、ホントにスマホの充電が出来るじゃん!

 よく見つけたね、明菜っ!」


 コスメ風充電器。見た目の映え感はひなのさんに渡すことを意識しつつも、口紅サイズの充電器ということで普通にコンパクトで携帯性にも優れる。

 まあ、スマホ1回分の蓄電しか出来ないらしいけれども、そこは妥協ポイントだ。



「……ちょっと、いじわるな質問を明菜にしちゃいます」


「え……まあ、良いけど」


「私も明菜から、どんなものを貰えるのか色々考えてたけど、充電器は予想してなかった。……もち、嬉しいけどね!

 ――でも、どうしてこれを選んだのか……聞いても良ーい?」


 確かに、いきなり充電器じゃびっくりもするか。脈絡が無い。

 しかし、ひなのさんは『私が何故それを選んだか』という『判断』を重要視することは以前に聞いていた。思えば、この辺りの話は『テセウスの船』のときの『私の考え』を深堀りしてきた頃から一貫しているひなのさんのスタンスだ。


 だからこそ、その答えを私は事前に用意していた。


「ほら。ひなのさんって電車が好きだし。それに自転車での移動も結構してるでしょ? あれだけ色々飛び回っていたらスマホの充電とかすぐに切れちゃいそうだなって。

 でも、ひなのさんきっと大容量の充電器とかなら持ってそうだし。これだと1回分しか充電できないけど、コンパクトだから荷物が少なくても持っていけると思ってね。


 ――なにより」


「……?」


「――今、話した用途は。

 全部、私が居ないときだからね。ひなのさんって寂しがり屋だからさ。一緒に居る時用よりも居ない時用のプレゼントの方が、私を感じてもらえるかなって――」



「……ごめん。明菜のことちょっとみくびっていたかも。

 『一緒に居ない時間』のことをプレゼント選びのときに考えるなんて発想……私には出来なかったから……ホント、すごい。

 ……これ、大事にするよ」



 ひなのさんは、その充電器を胸元に持っていき両手でしっかりと抱き込んでいた。




 *


「飾城せんせー! お待たせしましたっ!」


「いえ。時間ぴったりですよ。東園さん、澄浦さん」


 私たちは制服で駐車場まで行くと、普段より多少ラフな格好をしている飾城先生が1台の自動車の前で待っていた。……駐車場集合の時点で察してはいたけど、車通勤だったんだ、この先生。


「助手席……じゃない方が良さそうですね。

 2人一緒に、後部座席に座ってください」


「あっ……なんかすみません」


「……明菜ー、そこで謝るのは良くないって。

 せんせー、ありがとうございますっ!」


 飾城先生は私たちが恋仲であることを知っているので、助手席を敢えて進めず、2人で座れる後ろの席を勧めてきた。

 ひなのさんは、人目がある場所なので完全に『友だちモード』になった。であれば、私も。

 飾城先生の車の中での移動中に、こっそり手を繋ぐ真似すらしてこないし、しない。普通に飾城先生も交えて3人で話していて、先生はただの友だちのようにしている私たちに多少動揺しているようだった。

 本当に『友だち』だけだったクリスマス・イヴのときの方が、恋人の空気感を醸し出していたからなあ。



 そして程なくして、児童館に到着した後も。職員さんの話を聞いたり、お昼ご飯を食べているときも私たちは私情を持ち込まない。デートのときは思いっきり接近するけど、今日はボランティアなのだから。

 最終的にコンサートを利用するとはいえ、作業や仕事をサボってイチャつくことは全くお互いの頭に無かった。


 そういうところで不用意に敵を作ることは、私たちはしない。だからこそ、ボランティア活動は本気でやる。



 コンサートまでは時間があったので、何かの荷物の搬入作業を手伝ったり、手すきになれば職員の人の補助に回って子供たちと一緒に遊んだりする。その際、午前中ずっとべったりしていたとは考えられないくらい私たちは別行動を取っていた。


 途中から私は、そうしたお手伝いの作業から抜けて、演奏する場所へと案内される。そこは学校の教室くらいの広さだろうか、机などは端によけられていて、アップライトピアノが置かれていた。

 職員の人に確認を取って鍵盤蓋を開ければ、ヤマハ製だと分かる。Uシリーズの中でも特にスタンダードなものかな。さすがにスタンダードモデルだと見た目ではモデルまでは分からない。


 ピアノ椅子に座って少しだけ演奏感をチェックしてみる。……まあ、音楽に関係のない公共施設だから調律には多少目をつむらないとかな。しかし気になったのはそれくらいで、子どもが多い場所の割には手荒に扱われていないと感じた。



 そして、飾城先生もひなのさんももう一度集めての最終調整。コンサートに割かれた時間は30分。合計で5曲選曲している。セットリストは先生と職員の方には事前に伝えているが、今この場に至ってもひなのさんには伝えていない。


「……では、特に無ければそろそろ児童を集めようと思いますが――」


「あ、そういうことなら1つだけ皆さんにお願いがあります。

 1曲目だけは、率先して手拍子をしてくれると助かります。2曲目以降は、児童の皆さんがするかにお任せしますが、最初の掴みだけは協力してもらえますか?」


 そんなに難しいことを要求したわけでも無かったので、全員快諾してくれて、始まるまでに今児童たちと遊んでいる職員にも伝えておくとも言ってもらえた。




 *


「はい! それでは、今日は碧霞台女学園からピアノが弾けるお姉さんが来てくれました! 澄浦さん、自己紹介をお願いします」


「――碧霞台女学園2年の澄浦明菜です。今日は児童館に呼んでもらったこと、そして皆さんがゴールデンウィークにも関わらずこうして来てくださってありがとうございます。

 ……先ほど、一緒に遊んだ子もちらほら居ますね。堅苦しい演奏会などではないので、是非リラックスして聞いてくださいね」


 前口上をしつつ見渡すと、大体20人くらいの小学校中学年から高学年の男女の姿があり。先ほどまで見かけていた子が多かった。だからアウェーではない。


 全員の前で礼をすると、パラパラと拍手が起こり、私は頭を上げてから――ピアノへ向かって歩く。



 ――周囲の意識が完全に私へ向いているときの数歩。

 当然、私は空気を掌握させるために気合のスイッチを入れて歩く。……ただ、それだけで、素人相手ならば私でも子どもを『聴衆』に仕立て上げることは、できるのだから。



 そして。

 ひなのさんのために、ピアノが弾けない少女であることを――止めた。


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