第42話 覆水の返り方
高校生と小学生の恋愛。
そんなの上手くいくわけがない、長続きなんかしないと思っている私がどこかにあった。けれども、同時に委員長からしてみれば、私とひなのさんに対して全く同じことを思っているだろう。
まあ、つまるところ私はどこかで委員長のことを他人事として見ているのだろう。
そして、同時に委員長もまた私のことは他人事だ。
愚かな恋愛をしている者同士というだけの他人。
ただ、お互いにどこかどうでも良いと思っていて、本当に大切な人――と、言っても委員長がどこまでその恋愛に本気かは知らないが――が別に居るから、わざわざ内心を話す意味があまりない。
だからお互いがどう思っていようと距離感は変わらず、勉強仲間としての関係は続く。きっと委員長は私の恋愛相談すら乗ってくれるはずだ。それは私のためでありつつも、同時に善人として周囲から見られるための行動である。
私はひなのさん程、委員長のことを見透かしているわけじゃないから、私に対してそういう印象付けをする意味はあるのだから。
ひなのさんと委員長は似ていない。けれども、コミュ強という一点においては表層的な属性は近い。
つまりクラス内にグループが大きく二分される可能性もあったわけで、この2人が直接敵対しようとしなくても、クラス内の関係がぎくしゃくする可能性はあった。
しかし2人はそれを同時に解決できる人間でもあるわけで……なんというか。
2人とも国公立大学進学希望をしていて成績も申し分ない以上は、習熟度的に同じクラス分けをせざるを得ないのは分かるけどさ! この2人については別々のクラスをまとめさせた方が絶対学年全体としては上手く行くと思うよ……。
*
クラスメイト視点だと、委員長&ひなの副委員長コンビが、陽キャオーラでクラスを照らしているために、物凄く住み心地の良い世界が生まれた。
基本的なクラスの牽引は去年と似た感じで委員長がやっている。
一方ひなのさんは、孤立してしまっている子には積極的に絡みに行く一方で、1人で居る方が好きな相手に対しては無理強いはしないというカバーリングに徹しつつも、彼女自身の去年から持ち越しの人間関係もほぼ維持というバランサーとしてサポートしていた。
ただ、そうなると。
「明菜さんって、なんか2年生になって友達増えた?」
「……え、あ、そうかな?」
どちらとも関係のある私だから、私の周囲に人が集まっていると誤認する別クラスとなった友人が居るのは、ある意味では仕方の無いことだった。
しかし、そういう細事を除けば、あり得ないほど素晴らしいスタートダッシュを切れている。
……だけど。
私には、この新学期早々で。既に直面している大きな問題があった。
――それは、ひなのさんの誕生日をどうやって祝うのか、であった。
*
ひなのさんの誕生日はゴールデンウィーク中にある。だからこそ、この4月の時点でどうやってお祝いをするかを決めないといけない。
去年は、この時点ではひなのさんの誕生日は知らないどころか、まだ会って間もない頃で、友だちではあったと思うけれども不定期で偶然会うくらいの仲でしかなかった。
だから、その過ぎてしまった誕生日のお祝いをひなのさんが恋人となってから、着物デートという形でやった。
また、私自身の誕生日のときには、ひなのさんはピアノの形をした羊羹というユニークなものを見つけて一緒に食べに行ってくれた上に、更にプレゼントとして薄い桃色の部屋着……私がひなのさんにスキンシップを要求したり寂しいときの意志表示のサインとなるアイテムを貰った。
いざ着るときには、ちょっと気恥ずかしさはあるけど、これを着てひなのさんの部屋に行くと、ひなのさんは顔を真っ赤にしてくれるし、その後、部屋に招き入れてくれたらぴったりとくっついてくれるので、これ結構癖になりそう。
それはプレゼントというだけではなく、ある種の『実利的』側面からも嬉しい出来事だったので。だからこそ悩む。
ひなのさんの誕生日に何をするのか。どこに行くのか。何をプレゼントにするのか。ゴールデンウィーク中だから丸一日拘束しても良いのか。……どこまで関係を進めるのか。
こういうひなのさんに関することで思い悩むときはこれまで何度かあった。そして私はこうした問題に直面してきたとき、どのように解決してきたか。
――それは、飾城先生への相談、である。
だから私は、職員室の半個室スペースを再び借りる。
「――正直に言うと。澄浦さんが先生に相談があると持ち掛けてきたとき、先生では荷が重いなあって思いました」
なんというか、最初の頃と比べると飾城先生はフレンドリーになったというか。教師と生徒という壁をもう初手から取っ払ってきていた。が、しかし、私に対しての警戒心は露骨に上がっているように思える。
そういう反応になったことに私は心当たりしかないので、申し訳なさがある。
とはいえそれでも話を聞く姿勢な辺り、教師ってやっぱり大変だよねえ、と思いつつも切り出した。
経緯も含めて大雑把に数分話した内容を飾城先生はまとめる。
「つまり……東園さんのお誕生日についての相談ということですね?」
「はい」
「……澄浦さん。1回だけ言いますね。……それを、先生に聞きます?」
「飾城先生しか『第3音楽室』の件は知らないので」
教師相手にする相談でもないということに加えて、飾城先生自身が今なお失恋を引きずっているという点も踏まえると、本当に私は関わりたくない生徒だなあとは自分ながらに思ってしまう。
私はひなのさんほど、上手く人付き合いは出来ない。とはいえ、あのレベルの立ち回りの神がかり的な巧みさは不可能の域に入っているから、それ自体は既に諦めている。あの子、未だに私や飾城先生以外からは『天才』だとは思われていないし。……ちょっと片鱗を喰らった委員長の印象ですら、コミュ力お化けで止まっている気がする。
それでも、ひなのさんは私のことを口が上手いとか、察しが良いとか、褒めてくれるけれども。確実なのは、私のやり口は少なからず誰かを敵に回しかねない、ということ。要は反感を覚える人も居るのだ、私のコミュニケーションは。
というところで、飾城先生に向き直ると、結構先生に対してはプラスの印象にならないことを仕出かしている自覚はある。そこには、どうにもならない感情的な側面と、私の行動が拙かった側面、どちらもあって。
それでも私のことを飾城先生は拒絶しない。『教師』だから。『大人』だから。
――そして飾城先生は、自己の領分を越えない範囲については、真摯に向き合ってくれる。
そんな先生の誠実さを、私は利用している。
その性格の悪さは自覚していたが、もっと切羽詰まった助言が必要なタイミングでは、飾城先生は助言はしてこないと分かり切っていた。
「……わざわざ先生に聞く、ということですから。
まずは、想像されている通りの答えを言いましょうか。『音楽』を贈ってみてはいかがでしょうか?」
「……クラシック畑の人間なのに、随分と『ロック』なことをおっしゃいますね」
私が地雷原だと考えている『音楽』のプレゼントを的確に踏み抜いてきた。
友だちという関係だけだった時代の『最後のクリスマス』における『あんまり良さ気じゃないプレゼント交換会』にて、私は既に音楽を
「――あら? その意見は『古典的』を通り越して化石ですよ?
クラシックの影響を受けたロックなんて、それこそ星の数ほどあるじゃないですか。
先生が演奏できるフルートに限定したって、メンバーにフルートが居るバンドも昔からあります」
「……確かに、これについては私の失言でした」
ロックの人間がどう思っているかは知らないけれども、この2つは隣接分野――そう考えていたのは私自身であったはずなのに、飾城先生の方がもっと近い感覚で居たらしい。
想定以上に『ロック』に寄っている飾城先生に対して、何らかの背景があるだろうってことは薄々察していたが、それに突っ込むよりも聞くべきことがあったので、そちらを優先して先生に尋ねた。
「ひなのさんが、『音楽』のプレゼントを好みそうだと思った理由について教えてくれますか。
先生は、以前ひなのさんを『音楽に留まらせる意義はあまり無い』と言っていたはずですが――」
それに対する飾城先生の答えは端的で明瞭であった。
「――でも、東園さんはきっと。
澄浦さんの音楽には、興味を抱くと思いますよ?」
その言葉には私は閉口させられる。
クラシックでも、ロックでも、現代音楽でもなく――私の音楽。
確かに、その視点は今の私が有していないものであった。だって……私自身が紡いでいたかつての音は、今となっては『音楽』と認識していなかったのだから。
*
「ちなみに、ゴールデンウィーク中と言っていましたが、具体的な東園さんの誕生日がいつかは分かりますか?」
「え、あ、はい。5月の4日ですけど……」
それから数言話したあとに、話題転換のように問いかけられたのは具体的なひなのさんの誕生日の日程。そういえば、言っていなかったかと思いながらその日付を告げれば、飾城先生は目線を上の方に向けて悩みだした。
その質問と反応は想定していなかったために、私も困惑していたが、とはいえ先生の考えがまとまるまではひとまず待つことにした。結果、1分程度の長考を経て、飾城先生は次のように語った。
「……本当は、澄浦さんにこれを紹介するつもりは無かったのですけれども。
ちょっと、机まで取りに行っていいかしら?」
「別に構いませんが……」
そして一旦半個室を出て、さほど時間もかけずに戻ってきた先生が手にしていたのは1枚の紙であった。
A4サイズ、チラシとポスターの中間といった見た目のカラーの紙に書かれていたものは。
「――ボランティアコンサート?」
「ええ。とは言っても、学園の近くの児童館で行われるミニイベントで、率直に言えばただの出し物レベルです。
……これの実施日がちょうど5月4日です。澄浦さんが弾ける曲を何曲か見繕ってくれればよくて、本当に練習とかもしてこなくて大丈夫なのでこのコンサートでのピアニスト……やってみません?」
「は、はあ……。話は分かりましたが、これとひなのさんの誕生日が結びつきませんが……」
「澄浦さんの演奏を子どもに聴かせている姿は、東園さんは見たことがないと思いますよ」
「それは……そうですが……」
コンサートと銘打ってはいるが、その枕詞になっている『ボランティア』の様相のが大分強いものだと、飾城先生から更に説明を受ける。
つまり、ボランティアとして児童館の子どもの面倒を見るついで、くらいの認識で良いらしい。その児童館のホームページを検索したら、同じようなチラシで別日に『チャリティーフリーマーケット』やら『フットサルで遊ぼう!』とか『ブーメランを作ってみよう!』みたいなものがあって、あくまでそうしたゴールデンウィーク中のアクティビティの1つとして位置づけられているものみたいだった。
だから、そんなに形式ばったものでもないし、ひなのさんを連れてきて演奏を見せるくらいの私物化は許容されるみたい。というかひなのさんもボランティア活動に巻き込むという話だろう。
……ただ。問題は。
まず大前提として誕生日なのにわざわざボランティアをやらせること。
恋人からお祝いされると期待していたのに、蓋を開けてみたら無給労働だったら……と考えると、ひなのさんがやりたいかどうかはまず最優先だ。
そして、ひなのさんはピアノを弾くという『趣味』を『作業』にしたくないという考えの持ち主だ。
百の言葉よりも一度の演奏が、ひなのさんの意識に致命的な影響を与えかねないと考えて、私は極力ひなのさんの前で演奏することは無かった。和風アトリエのときに、もしかしたら部屋から零れた音を聴いていたか、くらいのレベルでしか、ひなのさんは私の演奏を知らない。
……でも。
ひなのさんはクリスマスのとき、持論を曲げて、私からの意見を受け入れた。
だからこそ、ひなのさんが私の演奏を聴きたがっている可能性は少なからずあって。その為に私自身の持論を曲げることは……やぶさかではない。
「……ひなのさんが受け入れるかどうか。
それが最優先事項になりますが、よろしいですか?」
「ええ、勿論構いませんよ。もし澄浦さんが断った場合には、先生は別の生徒を探す必要があるので、あまり長い時間悩まれても困りますが、2、3日程度なら問題ありません」
と、いうことで。
私は、そのまま飾城先生からボランティアコンサートのチラシを拝借して、その足でひなのさんの部屋を訪ねる。
「あれ? 明菜、どったの?」
「実はね――」
そこで先ほど聞いた話を洗いざらいひなのさんに説明する。最早誕生日のサプライズ感は皆無となってしまったが、これは仕方ないだろう。彼女は先の予定が分かっている方が安心できるタイプだと前に聞いたので、割り切る。
そして全部聞き終えたひなのさんが一言。
「……随分と、変化球的なお祝いを考えたもんだ」
「まあ……一から十まで先生に考えてもらったものだけどね」
「世の中に完全オリジナルのものなんて、そんなに多くないしー? 明菜が『判断』したってことが大事だもんっ!」
……それは私を安心させるとともに、私の選択能力への信頼が垣間見えるものだった。裏を返せば、どんなに独創的で自分が考えたことであっても、何故それを『選んだ』のかをひなのさんは重視するということである。
ひなのさんは続ける。
「……実を言うとね。明菜のピアノの演奏は――ずっと聴きたいな、って思ってたんだ。
でも、明菜は私のことを考えてピアノを弾かなかった。それは尊重しなきゃ、と思ってたから言わなかったんだよ?」
「私のピアノ……聴きたいんだ、ひなのさん」
「もちっ! そりゃあ、気になるよ。気になるに決まってるじゃん!
初めてちゃんと聴く場が私の誕生日ってのも、特別感があって良いし。それに、子どもの相手をするのは嫌いじゃないし。
良いよ。今までに無い……誕生日の経験、させてよ」
「……やっぱり、ひなのさんって言い方上手だよね。
断りにくくさせつつ、私をときめかせるプロだ」
「それを言ったら、明菜もときめかせのプロだけどね」
ともかく。
ひなのさんは、自身の誕生日にボランティアの日程を入れるという異例の申し出を受け入れて。
――私の、ボランティアコンサートへの出演が確定した。
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